第12話 ロビーにて


 倒れた桐華をロビーのベンチに寝かしておき、近くのウォーターサーバに水を取りに行く。両手に紙コップを持って戻ると、桐華は寝転がったまま目だけは開けていた。

「……もしかして、私、倒れちゃった?」

「そう」睦美は水を差し出す。「飲める?」

「うん、ありがとう」

 桐華はゆっくりと体を起こして、それを受け取った。睦美も、隣に腰を下ろして、軟らかな水で口を湿らせた。

「……へへへ、やっぱり無茶だったかな?」

 桐華が自重するように苦笑いを浮かべる。

「無茶というか……、まぁ、小笠原リサの魔術に取り巻かれたのが原因ね」

「あ、やっぱりあのホール中の桜吹雪は実体化の魔術だったのね。でも、ホログラム画像くらいならいつも平気だったんだけど」

「それとは話が違うのよ。そもそも空間に実体を出現させる魔術には二種類あって……」

 睦美は左手首に巻いたウォッチ型デバイスを差し出す。側面のボタンに触れると、青白い光が文字盤から照射され、やがて真四角なタッチ画面となってデバイスの上に浮かぶ。

「一つが、これみたいな実体化ホログラム。投影機が空間に魔術を発して、その先に実体を生み出す。システムはシンプルだけど、投影機からの限られた範囲でしか起動できない」

 一方、とデバイスの画面をしまいながら続ける。

「さっきのは、ホール全体の空間を舞台として魔術を起動させ、そこに桜の花弁という実体を生み出した、より高難度の魔術ね」

「なるほど?」

「原理的に近くて、身の回りにある例は、ITSインターネツトトランスポートシステムの出口ね。入口で0と1に変換された私たちの身体は、出口に来た時にもう一度実体として組み直される。

 このとき、私たちを乗せた箱の外、普段は見えないけれどその外側の装置の中という座標空間において、私たちは再構成されているの。入口でスキャンされたデータを元にね。

 それで、その身体の代わりに桜、装置の代わりにホールの中としたのが、小笠原リサの魔術の概ねの仕組みね」

 視界の端で、桐華がしきりに頷いている。

「複雑なシステムだけど、より完全で自由な表現が可能だし、プログラムを空間に起動させるための電波の発信装置だけあれば使える。

 逆に言えば、あの規模の実体化魔術となると空間全体に電波が大量に発信されている。もちろん魔術光も一緒に。

 おまけに、変身するみたいに色を変えていた衣装も実体化魔術だったし、空中浮遊の魔術も使ってた。それらの相乗効果でとんでもないことになって、桐華は倒れたの」

「すごーい、よく分かったよ睦美先生!」

 感心して体で目を丸くする桐華。睦美はかえって眉をひそめた。

 と、すぐ横の通用扉が開いた。顔を上げた睦美は、そこに見覚えのある顔を見つける。

「赤坂先輩」

 手に空のボトルを持った赤坂涼至が振り向く。二人を見て、片手を上げた。

「やぁ、小鳥遊さん。桐華も、来てくれてありがとう」

「涼至さん、おつかれ」と桐華。「ちょうど控え室になってたんですね、ここ」

「そう。二人は、どうしてこんなところに?」

「あはは、ちょっと失敗しちゃって」

 桐華がまた苦笑を浮かべる。涼至もそれで理解したのか、あきれた風に肩をすくめた。

 その時、再び通用扉が開いた。三人の視線の交点に、金髪長身の優美な姿が現れる。

「あぁ、リサ」と涼至が頬を緩ませる。「飲み物なら俺が買ってくると言ったのに」

「良いのよ。せっかくなら自分で選ぼうかと思って、出てきただけだから」

 小笠原リサはそれから、ベンチに腰を下ろす睦美たちのほうに振り向いた。

 間近に見ると、幾分と小ぶりな輪郭の中に、二重まぶたの瞳や色の薄い口元など、つやっぽいパーツがそろっている。

 そして、白のワンピースを内から押し出す胸元のインパクトは、同性の目にも強烈だ。

「あら、涼至さんのお知り合いかしら?」

 リサはそっと微笑みかけるように訊ねる。

「この春から来た新入生だ」と涼至。

「そうなの。はじめまして、小笠原リサです」

 リサが手を差し出す。睦美は慌てて握手に応じた。すっと長い指は色白で、爪は丁寧に切りそろえられている。

「お初にお目にかかります、小笠原先輩。小鳥遊睦美と申します。先ほどの演舞は、規模と言い表現と言い、本当に見事でした」

「ありがとう。あなたみたいな立派な方からおめにあずかるなんて、光栄だわ」

 リサは続いて桐華にも握手を求めた。だが、桐華は会釈えしゃくし名乗りはしたものの、手は出さなかった。笑みもどこか引きつっている。

「リサ」と涼至が口を挟む。「早くしないと、最後の舞台挨拶に間に合わなくなる」

「そうね」とリサも身を起こした。「それじゃ、失礼するわね」

 涼至とリサは連れだって、ロビーのほうへ歩み去っていった。高身長の二人の後ろ姿は、それだけでもどこか人目を引く。

 それからゆっくりと、睦美は振り返った。桐華の顔から笑みは消え、ただじっと二人の背に視線を向けている。

「……桐華、大丈夫?」

「……え? 何が?」

 返答もどこか上の空だ。睦美は言葉を続けられず、また姿勢を元に戻した。

 と、二人が立つ自販機の手前に、こちらを見つめる少女の姿がある。白を基調としたブレザーは、中等部の指定服だ。

 その少女がこちらに駆け寄ってくる。

 近づくにつれ、彼女が留学生であることはすぐにはっきりしてきた。プラチナブロンドのゆるふわショートヘア、白色の肌色、大きな瑠璃るり色の瞳。

 彼女が睦美の正面で足を止める。睦美の顔をじっと見て、やがてぽつっとつぶやいた。

「……ムーミン?」





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