第5話 小笠原リサ


『――およそ四半世紀前、世界は様変わりしました』

 桐華も中空に映る小笠原リサに目を向けた。

 まず目につくのは、演壇の照明のもとでつややかに輝く金色のロングヘア。垂れ目がちな顔立ちやココア色のワンピースを張り出させる大きな胸も、魅惑的な印象を与える。

 存在そのものの華やかさが、とかく人目ををきつける。それにくわえて、鈴を転がすようなという形容が似合う、通りの良い声が耳にすっと入ってくる。

『それまでのデジタル技術が0と1による機械言語によって機械コンピュータを動かしていたように、〈デジタル魔術〉は0と1による特殊な言語体系によって、自然界のあらゆるものを操り、理解することを可能としました。

 これにより、地球環境は劇的に改善され、食糧生産も安定し、社会課題は解決を迎えました。

 また、〈バブル〉に代表されるサイバー空間プラットフォームでの社会活動、また〈アーティスティックマギア〉などのエンターテインメント、その他様々な場面でわたしたちの生活にも溶け込んできています』

 周りの学生たちも、皆一様に中空の画面を見つめている。

『しかし、一方で新たな問題もあります。

 魔術が社会を大きく変化させ大きな利益をもたらす一方で、その変化に置いていかれる人々、利益を受け取ることのできず、むしろ損なわれる人々が少なくないことも忘れてはいけません。

 くわえて、強大な力を手に入れたわたしたちには、高い倫理観と正義感が求められます。力におごり溺れるのではなく、世のため人のために役立てなければなりません』

 ちらりと睦美を窺うと、下ろした腕の先で軽く拳を握っている。

『学びは皆さんのためにあるのではありません。皆さん以外の誰か、あるいは社会や世界のためにあるのです。

 そういった幅広い視野を持って、このDMACでの日々を過ごしていただければと思います』

 桐華の視線に気づいたのか、睦美がこちらに横目を向けた。それから、脱力するように掌を開閉させる。

「どうかしたの?」と桐華。

 睦美は答えず、デニムのズボンで手汗を拭う仕草をしている。

『――ところで』

 小笠原リサの語りは続く。桐華は視線を中空に戻した。

『今日、学びを得るのに場を選ぶ必要はありません。

 日本のどの地方、世界のどの国にいようとも、配信などで講義を見て学ぶことはできます。ある方を師として、実際に門を叩くことも難しいことではありません。

 身も蓋もありませんが、このDMACまで来て学ぶことに、学問をするという点においては、大きな意義はないでしょう』

 小笠原リサは、そこで一呼吸置いた。桐華以上に大きな胸が、ゆっくりと上下する。

『それでも、このDMACには、だからこその大きな意義があります。

 それは、友と出会い、学び、語り、競い、励まし、そしてともに成長していく、そういう交流の場としての意義です。生身の相手とのふれあいの中でこそ向上心は育まれ、切磋琢磨せっさたくまの中で新たな知恵は実を結び、学びの楽しみを得ることができます。

 時に価値観や信条の違いにより衝突するようなこともあるかもしれませんが、それを乗り越え分かり合うことができれば、それは学問ではない学びを、成長を、皆さんが勝ち取ったということになるでしょう』

 成長を――夢を、勝ち取る。桐華は小さく呟いた。悪くない言葉だ、身震いがする。

 その後も小笠原リサは滔々とうとうと語りかけ、やがて礼をして締めくくった。辺りの生徒がパラパラと拍手を送る。

「……なかなかの名演説だったね」と桐華は感想を漏らす。「思わず聞き入っちゃった」

「まぁ、何かと注目される人だからね」と涼至が応じる。「そのうち、紹介するよ」

 どこか上の空な解答に、桐華は涼至のほうを見返った。涼至はなおも、中空を見つめている。

 キャリーバッグの持ち手を、グッと握りしめる。





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