第3話 熊野桜


 歩き出して二分もしないところで、睦美が先の方を指さした。

「あれが、事務局の建物よ」

 桐華も顔を向けると、木の建材の温かみとガラスの無骨さが共存した建物が立っている。

 だが近づくにつれ、建物の正面で枝を伸ばす桜の木と、一面の桜吹雪が目を引いた。淡紅色の花弁が、片や左に流れ片や右に舞い、あるいはくるくると踊っている。

「わぁ、華麗」

 足を止め、率直な感想を口にする。

「それにしてもこの時期に見頃を終えるなんて、早咲きなんだね。やっぱり温暖だから?」

「これは熊野桜くまのざくらといって」と睦美。「この地域に自生してきた山桜の一種。元々、ほかの桜よりも早咲きなの」

「なるほど、なるほど。そう聞くと、なんだか『遠くに来た』って感じがしてくるよ」

「……どういうこと?」

 睦美の黒々とした瞳に見返され、桐華は少し思案顔しつつ応じる。

「だってさ、ITSで十秒もしないうちに日本の東から西に移動したって、全然実感わかないじゃん。やっぱりその土地ならではのものがそこにないと」

「そういうものなの?」と睦美。「あんまり遠出の経験とかないから、イメージがわかない」

「そういうもの! その土地だけの風物、清潔で洗練された街のにおい。全部が新鮮で、あぁ遠くに来たなって感じがするよ」

 桐華は両腕を広げて、くるりと半回転。難しい表情の睦美に向かって、白い歯を見せる。

 と、そこに男声が割って入ってきた。

「さすがは桐華、感覚的なところは変わらずだね」

 二人同時にそちらを見やる。

「涼ちゃん!」

 桐華はすぐに声を上げた。

 髪をハーフアップにした、長身の男子。あごのラインがシャープなハンサム顔に微苦笑を浮かべ、腕組みをしたまま幅広の両肩を少しすくめてみせた。

「その呼び方はやめてくれよ、こっぱずかしい」

「あはは、ごめんって」桐華は変わらず満面の笑みを浮かべる。「久しぶり、涼至さん」

 涼至と呼ばれた男子は、ようやく表情を和らげて腕をほどいた。それから、睦美のほうに視線を向ける。

「驚かせてしまって申し訳ない。俺は高等部二年の赤坂あかさか涼至りょうじ。東京・赤坂に涼しさ至ると憶えてくれれば良い」

「涼至さん、そういう言い方こそキザっぽくて恥ずいよ」

 桐華は唇をとがらせる。涼至は特にリアクションをしなかった。

 睦美がちらと桐華を見やってから、涼至に対して背筋を伸ばす。

「お初にお目にかかります、赤坂先輩。お噂はかねがね。昨年度の魔術格闘競技会で一年目ながら入賞されたそうで」

「いやいや、言っても地区レベルでの話だから。それにしても、新入生? なのに詳しいね、えっと……」

「申し遅れました。私は、小鳥遊睦美と申します」

 睦美が名乗ったところで、涼至の眉がピクリと動いた。表情にも、笑顔の中に驚きが垣間見える。

「……小鳥遊さん、って、もしかして……」

「涼至さん、知ってたの?」

 桐華が首をかしげつつ、口を挟む。さっきから蚊帳の外にいる気がして、なんだか面白くない。

 対して、桐華のほうに振り向いた涼至の顔には、明らかにあきれかえったような色がある。

「桐華……。いくら君が魔術嫌いだと言っても、今日の社会常識にすら疎い人間に育てた憶えはないよ」

「育てられた憶えがそもそもないんだけど」

 むくれ気味に桐華は反論するも、涼至はやはり顔色を変えない。

 一方で噂の睦美はといえば、うつむきがちになり二人を交互に見やっている。視線が合うと、どこか居心地悪いかのように、目をそらされてしまった。

「いくら桐華でも」と涼至。「〈リトルバード〉や〈バブル〉といったネットワークサービスは知ってるだろう?」

「もちろん。サイバー空間に自ら入り込んじゃって、世界中の人と交流や社会活動ができるプラットフォームでしょ? それが?」

「そういった空間派魔術を大成させて、さっきのサービスをこの社会に生み出したのが、小鳥遊美和みわと山本陸梧りくごの二人の権威。その娘さんで秘蔵っ子なのが、この方だよ」

「へぇ、そうなんだ……って、えぇぇっ!」

 桐華の驚愕の声に、広場の人々が振り返った。





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