第四十八話

 電車の中は思った通り空いていた。同じ車両には数人しかいない。向き合う形に並べられた座席の足元からは温かい空気が流れていて、雨で濡れたズボンを乾かしてくれているようだった。久しぶりに電車に乗った。大学に入ってからまだ夏に一度しか実家には帰っていなかった。同じ県内とはいえ、自宅までは三時間以上かかる。でも、そのことが今は悔やまれた。もっと何度も帰って、五稀の様子を見たり、話を聞いてやったりできたかもしれない。でもそんな後悔の全ては後の祭りだと分かっている。


 気持ちを切り替えようと、外を見た。動き出した電車の窓から見える街並みを見るのは好きだ。でも、今日は生憎の雨で、その景色を見ることは難しかった。窓に打たれ流れていく雨水は斜めに線を描き、次から次へと生まれては消えていく。その光景が自分を嘲笑っているかのように思えた。お前はダメだと言われているような、お前のせいだと言われているような、次から次へと俺に罵声を浴びせては流れて消えてゆく雨粒の群れ。


――なんでもないことが妙に気に触る。やな感じだ。


 俺はそんな性格だったか、と自分に聞きたくなった。まるで、思春期の子供みたいじゃないかとも思った。でも、十九歳もまだ子供なのかもしれない。俺もまだ、十四歳の五稀と何も変わらない、そう思えた。


――そうか、そうだよな。じゃあ俺だったらどうするか、をもっと考えてみたらどうなんだ?


 降って湧いた考えだった。自分ならどうするか。もちろん性格も境遇も性別も違うけれど、大人では分からない、見落としてしまうようなことがあるかもしれない。家出しようと思ったらまずする事、そこから考えてみたらどうだろうか。


――まず、それならスマホを触るよな。それで検索をかける。


 急いでポケットからスマホを取り出して、画面をタップした。緑のアイコンが付いているのを見つけ、急いで開いてみるも、田中からバイトの面接についてのRINKだった。


「それどころじゃないって、ごめん田中」


 返信するのを躊躇いながら、既読無視にして、五稀のRINKを開くも、まだ既読はついていなかった。そのまま何かヒントがないかと思い、五稀のトークルームを辿っていく。そんなに頻繁にRINKをくれるわけではないが、時々友達と撮ったプリクラのような写真が届く時がある。今見てるのは、ハロウィンのような飾り枠に、魔女のような帽子がスタンプで押してある、どこか少し大人っぽい加工された写真の妹。


――こうやって加工した写真なら、中学生の子供だって気付かないよな。


 そう思って、見ていたら、背筋が急に寒くなった気がした。ガタガタと音を出す窓からたまに漏れてくる寒い空気のせいかもしれない。そのまま指で丁寧にスワイプしていくと、今度は夏休みに友達と遊んでいる時の写真が出てきた。さっき駅の構内で見かけたアメリカブランドのおしゃれなカフェで、スイカのような真っ赤な色をしたフラペチーノを飲んでいる写真だ。黒い粒々したものが見えるから、やはりスイカ味なのだろう。楽しそうに友達三人で写っている。こんなにも普通のなんでもない日常を過ごしている女の子が、本当に犯罪に巻き込まれたりするだろうか。自分から進んでそちら側に行かない限り、犯罪に出会うことなんてないんじゃないか。


――そうか、自分で進んで行かない限り、ないんだ。で、あるならば、進んでいくような場所、情報があるのかどうかだ。


 家で読んだ記事を思い出す。もう一度そのページをスマホで読むことにした。家出した少女を保護する団体。そして、家出少女を自宅に引き入れて監禁する男たち。そのどちらの記事にも、SNSと出ていたじゃないか。やはり、読み進めていくと、最初の入り口はSNSだと確信した。想像すると吐き気がするほど酷い犯罪もその先に潜んでいる気がするが、まずは調べてみなくてはいけない。


――確か、SNSは、短い文字で気軽に呟けるTubuyakkiと、写真を見せ合うInterMRoomじゃなかったか……


 中学生になる時に父さんにそのアプリを入れてもらったはずだった。俺はそんなのはやらないけれど、女子というのはそういうのがどうやら好きらしい。


「お願い、お父さん、みんな入れてるよ? 本当だって、学校の子みんないれてるし、美樹もいれてるって。離れてても近くにいるみたいに感じるしさぁ、ねえ、いれていれて」


「でもそれは子供用のフィルタリングを外さないといけないだろ?」


「だからー、みんなそんなの外してるんだって。私くらいだってそんなのいれてるの」


「それでも、ダメなものはダメだろ。危険性があるからそういうフィルタリングが存在しているわけだしな」


「だって引っ越しするんだよ? もうすぐ。引っ越しなんてしたくないのに。もう友達と気軽に会いに行ったり遊んだりできないんだよ? そしたら、たまに会えた時、私だけみんなの会話についていけないじゃん!」


 そう言って、押し切って入れてもらったはずだ。


――俺、どっちも入ってないじゃん。


 まずはアプリをダウンロードするところからだと、スマホのアプリ購入画面で検索をかけた。どちらも無料のアプリだから、少々手間な情報入力作業をすればアカウントは取れるはずだと思った。


 思った以上に手軽に、最低限の情報でどちらもアカウント登録ができた。しかし、その簡単にアカウント登録ができるということがなんだか恐ろしくなってくる。誰でも簡単に、何が溢れているかわからないネット社会の中に、アカウント登録さえすれば自分という存在を作り出せるという事だ。


「まじで、……危険」


 電車に乗っている時間はまだ一時間以上ある。俺はその時間ずっとそのアプリの中の世界を覗くことにした。きっとこのどこかに俺の知らない五稀の存在が隠れているはずだ。俺はなぜだかわからないけれど、そう確信していた。俺なら、その世界にいる五稀を見つけ出せるかもしれない。


 死んだと思っていた、自分の父親だって見つけられたんだから。

 




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