第二十三話

 週刊誌の記事を読み終わり、顔をあげると雪さんが私の方を、深刻な顔をして見つめていた。


「どぅお?」


「あ……、すごい酷い事件ですね、なんというか、胸が苦しくなるような記事でした」


「だよねぇ。読んでいて、私も胸が苦しくなっちゃったわ」


 読み進めるうちに目の前が真っ暗になって行くような、胸に迫る記事だった。子供を持つ親として、その一文字、一文字から、伝わってくるイメージが、パズルのピースが集まって行くように脳裏に浮かんできた。被害者の女の子を、人として全く見てないような、記事に書いてあるように、狩猟した獣のような扱い。


 インタビューを受けた人の写真が載っているけれど、それは一人ではなく、三人で座っている顔が写っていない写真で、きっと、誰が話したのかを分からなくする為に三人の写真なんだと思った。一刻もはやく、子供たちに迫る犯罪への危機感を、週刊誌を読んでくれる女性たちに伝えたい。そこから拡散してほしいと思って、週刊誌のインタビューに答えているのではないか。


 SNSの甘い言葉を安易に信じてしまってはいけないと、子供たちにちゃんと言える大人が少しでも増えてほしいという願いが、そこにあるような気がした。


 人を人として扱ってないような、残虐な事件。そんな事件の犯人がこの街に来ていた、そう思うと、私も喉の奥が締め付けられてくる。うちはまだ子供にスマホは渡してないけれど、その時はもうすぐくる。その時に、私もちゃんと伝えきれるだろうか。ネットの世界は恐ろしいよ、と。そんなことを思いながら、また週刊誌の記事に目を落としていた。


「それでね、考えたんだけど」


「え?」


 雪さんの言葉に、また雪さんの方を向く。そういえば智美ちゃんはこの部屋からいないようだ。テーブルの上の器類がなくなっているから、私が読んでる間に、きっと片付けてくれているんだ。そんな気配を感じることがないくらい、集中して読んでいたのだろうか。闇に吸い込まれて行く気分だったから、気づかなかったのかもしれない。後で、お礼を言わなくては。それよりも、雪さんは何を考えたんだろうか。いつもならすぐに言葉が続いてくるのに、いつもと違って少し言いにくそうにしている。


「私……、思ったんだけどね。さっちゃんちのキナコちゃんについてきたあの最初の紙ね、……警察に持って行ったらどうかなって思ったの」


「え……? 警察ですか……?」


「もちろん! 関係ないと思うよ、思ってるし、そう思いたいじゃない? でもね、この街の、しかもすぐそこの防犯カメラに、二人目の被害者の子が映ってるって聞くとね、なんか少しでも役に立つかもって思ったのよ」


「でも、警察になんていうんですか? 猫が首輪にたすけてって書いた紙をつけてきたって言うんですか?」


「そこなのよぉ。それだけではなんの信憑性もないわよね。でも案外、そう言う手がかりから事件が解決するパターンもサスペンに多いのは、確かなのよねぇ」


 雪さんはさっきまでの深刻な重たい雰囲気から少しずつ、いつもの調子を取り戻し始めている気がする。サスペンスとか言い出したし。きっと会話があちこちに飛んで一周回って戻ってくる思考パターンだと、深刻な気持ちもすぐにどっかへ飛んでいってしまうのかもしれない。私には考えられないことだけれど、私の目の前で、顎に手を当てて考えているところを見ると、もう雪さんの頭の中は水曜サスペンス劇場になっているのだろう。……嫌な予感がする。


「あっ! そうか! いい手があるわっ! さっちゃん!」


 まるでポクポクポクと木魚の音でも脳内に響いてるのではないかと思うような唸り声の、その後の第一声にふさわしい勢いで、雪さんの顔が明るくなった。


「こういうのはどう? 立花にきた警察官の人の連絡先を、店長から聞いて、そこに電話して、こういうのよ。飼い猫の首輪に助けを求める手紙がついてきたから、その紙についている指紋と、二番目の被害者の指紋が一緒なら、何か捜査の役に立ちますか? って!」


 突拍子もないとはこのことだろう。指紋が一致? しかもなんだろうか、その捜査の役に立ちますか? というフレーズは……? 私がそう思っているのはもちろんお構いなしな雪さんは、さらに話を続ける。


「だからね! さっちゃん、善は急げよ! 今日、この後一緒に警察に行きましょう! そのキナコちゃんの紙を持って!」


「いや、ちょっと雪さん、それは、私、今日はこの後子供が帰ってきて、それであの……」


「夜の営業までに戻ってこればなんとかなるだろうから、今から行ってもまだ時間は十分あるわね! そういうのは、聞き取り調査とかもあるじゃない? だとすると、二時間くらいみとけばいいかなぁ? ね、さっちゃんどう思う?」


――だめだ……。もう限界……


「あの、雪さん、すいません! 私、この後、子供がもうすぐ帰ってきて、その後は夕飯の準備して、子供たちをスイミングに連れて行かなきゃいけなくて、今からそんなの無理だし、ほら、もう時間も時間なので、帰らないと!」


 時計を指差して、雪さんに訴えた。でも雪さんは時計を見て、さらりと言った。


「あら、本当だわ。もう三時半じゃない。さっちゃん、急いで帰らなきゃ」


 勇気を出して言いたいことを言ってみた割には、あっさりと雪さんは帰らなきゃという言葉を発した。もう、頭の中がどういう構造になってるのか、覗いてみたい気分だ。でも、全く悪気はない。いつものことだけれども、なんだか今日はいつもよりモヤっとする気がする。それは、さっき記事を読んだ胸の重さの名残りだろうか。


「残念だわぁ。いい考えだと思うのよね、だって、もしもよ、もしも!」


 雪さんは私がどう思っているかはあんまり興味がないらしく、右手の人差し指を立てて、まるで探偵のように話を続けてくる。


「その指紋が一致したとしたら、どう思う?」


「え? どう思うって、それは、怖いですよ。だって自分の家の猫が殺人犯の近くにいたことになるんですから……」


「そうよね! ほら、さっちゃんも、怖いと思うでしょ? だから、その恐怖を取り除くためにも! 警察に指紋鑑定してもらうのよ。そういうのは簡単にすぐ照合できちゃうんだからっ」


「そうなんですか!?」


「そうよぉ。もう、そんなん一瞬よ、一瞬!」


 目の前の雪さんが、「掃除婦は見た」のおばさん俳優さんに見えてきた。雪さんの頭の中では、私の思考スピードの何倍もはやく色々なことが組み立てられているはずだ。


――巻き込まれる気しかしないんだけど……


「だから、殺人事件と、キナコちゃんの手紙が全く関係ないって証明するために、警察にその紙を提出するのよ。さっちゃんどう思う?」


「確かにそれで関係ないとわかれば、私も安心ですけど、でも、あのきょ……」


「でしょ! じゃあ、早速さっちゃんは今から家に帰ってもらって、私がその後を車で追いかけるから、さっちゃんの家で待ち合わせましょうね」


「え!? 今からうちに!?」


「善は急げ! さっちゃんは警察に行かなくても大丈夫! お子さんスイミングだもんね。私が警察に持って行くことにするわ!」


 そういうことか。納得できた。一応、私の言いたいことは受け取ってはくれていたのだ。でも、雪さんの思ったことはやり遂げる。さすが名物女将で、一人でこの店を作ってきただけのことはあると思った。


 私が行かなくていいのであれば、いろんな意味で問題ない。それならと、私の自宅で待ち合わせて、雪さんにキナコが持ってきた小さな手紙を託すことにした。絶対一致しませんようにと思いながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る