伝書猫

和響

第一章

第一話

 ある日、うちの飼い猫キナコが、首輪に小さな手紙をつけて帰ってきた。それはまるで神社のおみくじのように小さく畳まれ結ばれた、薄汚い紙だった。そして、その小さな汚い紙を開くとそこには、「たすけて」と、煤ぼけた色をした文字が四つ書いてあった。三日前のことだ。それがなんだか気になる今日この頃である。


「と、いうことなんですけどね」


 そんな話をパート終わりの賄いタイムでしている。今日の賄いは好きな具材をこれでもかというくらいに盛り付けた海鮮丼である。


 これでもかというくらいに盛り付けた具材は、マグロの端切れだったり、イカの端っこだったり、タコの白いところだけだったりするけれど、これはこれで美味しい。端っこと言っても、女将が素材に拘った、ここいらでは人気の定食屋「海鮮ゆきちゃん」の賄いだからだ。今日も忙しくて、はらぺこだった私の手には海産物や卵焼きなど、好きなものをこれでもかと乗せた海鮮丼が乗っている。


 お昼時に人の食べてる姿を見ながらホールスタッフをするのは、なかなかお腹が減る仕事だ。特にカキフライ定食なんて頼む人がいたら、フライの匂いが鼻につき、今日はなんの賄いだろうかと、もうそればかり考えてしまうくらいに。なんなら、今日の夕飯はカキフライで、自分だけ先につまみ食いをしてしまおうかと思えるほどに、羨ましい気持ちで御膳を運ぶこともある。


 現在、午後三時、目の前の二人もそんなおいしい海鮮丼を食べながら私の話を聞いていたが、気になるところがあったのか、豪華絢爛端っこだらけの海鮮丼を一旦テーブルに置き、口に入っていた卵焼きを急いで飲み込んだ智美ちゃんが私に尋ねた。


「えー、それは気になる! で、その後どうしたんですか?」


「いやぁ、どうも? 金曜日だったし、夕方だったから、習い事の送り迎えとかで忙しいし。だってどう考えたって誰かの悪戯でしょ? そんな助けてだなんて物騒な。ここは東京の繁華街でもなければ、駅前の繁華街でもない、私の家はただの普通の住宅街だよ?」


「そうだけど、めっちゃ気になるじゃないですかぁ、 ねぇ雪さん」


「そうねぇ、確かに気になるわよねぇ。でも、子供の悪戯かなんかだと、普通は思うわよねぇ。それより気になるのは、さっちゃんちの猫が外に行ってるってことだわね。今時、外に飼い猫がうろうろしているなんて珍しいじゃない?」


「確かに。幸子さんの家では猫は放し飼いなんですか?」


「あ、うん。そうかも。うちは放し飼い。そっか、確かに、今時珍しいかもですよね。猫を飼うといえばペットショップか譲渡会ですもんね。うちは夫が猫はお金を出してまで飼わない主義なので、ご縁があって今は飼ってるけど、譲渡会じゃないから、結構自由かもしれないです」


 我が家は猫を数年前から三匹飼っているが、そのどれもがご縁あってやってきた保護猫ちゃんだ。一匹目の福助は知り合いの人が保護していた猫ちゃん、二匹目の本日出てきたキナコはお隣さんが拾った子、三匹目の玉吉は雪さんの店の裏で、私が保護した猫ちゃん。


 「海鮮ゆきちゃん」の店の裏で保護したなら雪を名前に入れたらどうかと進められたが、「雪ちゃんそんなところでおしっこしちゃダメ!」と怒る時があるかも知れないと思い、全く違う名前にした。さすがに、働いている定食屋の女将さんの名前をそんな風に呼びたくはない。女将さんに勧められたとしても、だ。


 元々猫好きで、結婚する前から猫を飼いたがっていた夫は、家を買ったときに猫専用ドアなるものを取り付けた。だが、夫は頑なに、偶然ご縁あって我が家に出会った猫を飼いたかったらしく、そのドアを取り付けてからしばらくは、ただのスキマ風製造マシーンとして猫専用ドアは活躍することになる。夫のこだわりは、「偶然ご縁があって」だけではなく、「猫は元来自由な生き物だから外も自由に行くことができる」であるからだ。


 ずいぶん暖房費用を無駄にしたなと思うのは、きっと家計を握っている私だけのはずだ。風の強い冬の日はバタンバタンと音を出しながら北風小僧を家の中に招くことになる、利用猫がいない、最悪の猫専用ドアだった。


「うん、そうよね。うちも猫は飼ってるけど、譲渡会で出会った子だから、やっぱり外には出さないなぁ。結構制約あるじゃない、譲渡会で猫ちゃんをもらってくるって」


「ありますあります。それで私は一向に猫との暮らしができませんよぉ。猫好きなのに」


「あぁ、一人暮らしはダメだったか、あと、独身もだったけ?」


「そうそう、やっぱり責任持って飼える最低条件で引っかかっちゃって、猫大好きなんですけど、誰か見つけて結婚してじゃないと、その夢は叶いそうにないですよ。猫にも癒されない、彼氏もいない、ほぼ毎日ここで働いている。それって、どう思います?」


 すっかりうちのキナコが変な手紙を運んできたことから話がそれてはいるが、今年で三十四歳になる智美ちゃんからすれば、うちの猫の話よりも切実な話題であることはわかる。確かに誰か相手を見つけないと、猫を飼うことは難しいだろう。その他の問題もあるかもしれないけれど。


「雪さんはいいですよね、だって息子さん家族と同居だし。一戸建てで、ちゃんとしてますもん」


 雪さんはこの定食屋「海鮮ゆきちゃん」の女将さんで、店舗の隣にある自宅に住み、息子さん夫婦とお孫さん二人と、五人家族で暮らしている。猫の譲渡会で条件を満たすのは容易いことだったらしい。猫を飼いたがったのはお孫さんだと聞いてはいるが、なかなか雪さんも猫に甘い。雪さんの家の猫は舌が超えているのは、間違いなさそうだ。うちは普通のキャットフードだけだけど。


 そんな雪さんにも悩みはあるようで、息子さんは普通の会社員で「定食屋ゆきちゃん」を継ぐ気はないらしく、常々それをぼやいている。元々は海のそばで育った雪さんは、海のないこのN県に嫁いでから、「美味しい日本海のお魚を売りたい」と意気込んで行商を始め、現在自宅の隣に定食屋を構えるまでにした、生粋の商売人である。しかし、サービス精神が旺盛すぎて、利益がなかなか出ない。それも常々ボヤいているが、ついつい盛り込みすぎてしまうため、一向に改善の余地はなさそうだ。


 そんな女将さんがやってる、安くて美味い人情派女将の店「海鮮ゆきちゃん」は、かなりの人気店で、平日でもサラリーマンや奥様方がランチ会でよく利用する。名前を書いて外で待つ人も出るほどに。だから賄いはいつも三時過ぎとなる。奥様のランチ会はフレックスだからだ。


 私が二人の会話を聞きながら豪華な賄いを食べて進めていると、雪さんが智美ちゃんの話から元に戻し、私に聞いてきた。すっかり私が自分の海鮮丼を食べ終えた頃のことだった。


「それで? さっちゃんは、それ、どうするの?」


「そうですね、捨てないで取ってあるのはあるんだけど、気持ちの良いもんじゃないし、どうしたら良いんでしょうね?」


「なんか事件が起きないと警察も動いてはくれないって、よくテレビドラマじゃいってるわよね。あと、ストーカー事件とかでも」


「ですよねぇ。気持ち悪いから捨てたいけど、でも、なんか事件だったら証拠品になるかもだし、と言っても、そんなことはないって思ってるんですけどね。一応、取っておこうかなぁ。はぁ、めんどくさい」


「そうねぇ、しばらく様子見て、同じことが起きなかったら捨てても良いんじゃない? なんか気持ち悪いし」


「ですよね、気持ちの良いもんじゃないですよね」


「それに、猫って行動範囲があるじゃない? 迷い犬みたいにどこまでも行くわけじゃなくって、家の近所の半径数百メートルしか行かないって、保護猫の会の人も言ってたわ。逃げ出したら、家の近くを名前呼びながら探してくださいって言われたし、そういう時もあったから」


「あ、それうちもありますよ。時々。そうか、じゃあ手紙の主はご近所ですよね。なんかその日はバタバタしてて、そこまで考えてなかったかも」


「じゃぁ幸子さんの家の近くで助けてって言ってる人がいるってことになりますね」


「ええー! もう、そんな怖いこと言わないでよ智美ちゃん」


「でもそういうことになりますよね? 今の話の流れだと?」


 すっかり賄い飯を平らげた智美ちゃんもまた話に参戦してきたが、確かにそうかも知れないと思うと、少々気持ち悪さが背中に伝い始めてきたので、そこで一旦話を切ることにした。そのまま話を進めていたら、子供が帰ってくる時間までに家には帰れないだろうとも思ったからだ。独身の智美ちゃんとは違って、私は小学生の母親だ。子供が学校から帰ってくるまでに自宅に帰らなくては、子供たちが家には入れないだろう。今日は月曜日。いつもよりも帰宅時間が早いのだ。


 「海鮮ゆきちゃん」から自宅までは自転車で十分の距離にあるが、今日は生憎の雨である。雨の日は最寄りの駅からこの店の最寄りの駅まで一駅なので、電車で通勤することにしている。乗車してしまえば五分足らずで到着するし、駅からは徒歩一分で我が家だ。毎日電車に乗らないのは、もちろん節約の為。少しでも節約しておかないと、自分へのご褒美を買うことができないからである。とはいえ、一万円以内でのご褒美だけれども。


 時間を確認すると、もう三時半を過ぎていた。この時間だともしかしたら、子供たちの方が先に家に着いているかも知れない。学校までは徒歩で四十分はかかるが、今日は雨。いつもよりは遅い帰宅時間になるはず。とはいえ、さすがにもうタイムリミットだなと思った私は、急いでタイムカードを押して店を出ることにした。


 なんだか胸にすっきりしないものを仕舞い込みながら。

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