第4話 皇帝へのプレリュード チャプター10 前奏曲

 数日後。


 最後のコンサートの日。


 相も変わらず、会場である元市民体育館は人で満ちていた。


 公演の終盤。いつもオオトリを務めている猿渡夫婦の演奏が終わり、万雷の拍手が会場内に轟く中、猿渡響也が会場に語りかける。


「会場に来てくれたみんな! ご清聴ありがとう。さて、いつもならこれでお開きといったところだが今日は一味違う」


 会場に黄色い声が響く。


「本日のオオトリは俺たちの一人娘! 猿渡奏のデビューライブだ!」


 その宣言に会場内は黄色い声が消え、どよめきの嵐となる。


 そんな中でドレスアップした奏さんがステージ上へと姿を現した。


 しばしの困惑の声。静まるとバイオリンを奏で始めた。


 響き渡る音色。それは皮膚を通して聴衆たちの心を優しく包み込んだことだろう。僕がそうだったように。


 曲が終わるまでの数分間、皆が呼吸を忘れているかのように彼女の奏でるバイオリンの音のみが会場内の音を支配していた。


 彼女は笑顔だった。奏でる音が彼女の感情を教えてくれる。


 喜んでくれてよかった。と。


 曲の終わりに絃を指先で少しつま弾き、短い残響が静かな会場内に響く。奏さんの演奏を聴きに、毎日足を運んでいた時に教えてもらったが、これはピチカート奏法と呼ばれるものらしい。


 弾き終わった後、少しの沈黙が訪れ、それを破るように拍手と歓声の嵐が巻き起こる。


 演奏は大成功だ。


 中々鳴り止まない拍手の嵐。それを静めたのはバイオリンの音色だった。


 猿渡響也の奏でるバイオリン。それに続くように他の奏者たちも各々の楽器を奏で始める。


 そしてステージの最前列には奏さんと猿渡歌織。美しい旋律に寄り添うかのように、二人の歌声が聴衆を魅了した。


 ラストコンサートは新星の誕生を祝うかのように幕を閉じたのだった。



 芸道衆の皆さんが本部を発つ日がやってきた。


 トラックやバスへ次々と荷物が運ばれていく。僕はそれを手伝っていた。


 そこに奏さんがやってきた。


「憐人君」


「奏さん。あの時は本当にありがとうございました」


「いえ、それはもうこの前聞きましたから。それに感謝するのはぼくの方です。憐人君のおかげで大事なことに気づけたし、目指すべきことも見つけられました」


「目指すべきこと、ですか?」


 「ぼく、地球に帰ることができたら音楽家を目指そうと思っています。今までは迷っていたけれど、改めて父さんと母さんと同じ道を歩んでいこうと。それでぼくだけの音楽を完成させて、みんなに喜んでもらえるような演奏ができたらと思って」


「そうですか。嬉しいです。あっちに帰った後も奏さんの音楽が聴けるようで安心しました」


 これでこっちの世界に長居する理由は本当になくなった。


「それで、もしよかったらこれを」


 少し恥ずかしそうに差し出されたのは一枚のカードだった。以前姉さんや我妻さんの見せてくれたファンクラブの会員証そっくりだ。


 これは……奏さんのファンクラブ会員証?


「音楽家を目指すって打ち明けたら小林さん、父さんたちのマネージャーさんがきっと帰ったらすぐにデビューできるだろうからって張り切って作ってしまって。そんなにプロは甘くないのに」


「いけますって! 奏さんなら!」


「あ、ありがとう……。それで父さんが今の内に渡してこいって」


「そういうことなら喜んで」


 受け取ったカードには会員番号0000000003と記されていた。


「3番?」


「憐人君は父さんと母さんに次いで三番目にぼくの音楽を好きになってくれた人だから」


 3番。響也の《き》と歌織の《か》に次いで3番……


「また、か行に負けて3番か……」


「え?」


「いえ、こっちの話です」


 その直後に、「そろそろ出発しまーす」と誰かの声が聞こえてきた。話している内に全ての荷物を積み終えたみたいだ。ぞろぞろと人も乗車し始める。


「そろそろぼくも行かないと」


 彼女は先頭をバイクで一人走りみんなを護る役目がある。遅れるわけにはいかない。


「また奏さんの音楽を聴かせてくださいね。絶対!」


「はい。いつか必ず」


 初めてあった頃は進む方向を、歩む方法を悩んでいるようだった奏さんだったが、今の力強い歩みを後ろから見て、もう迷いはないのだと僕ははっきりとわかった。



 ややあって、芸道衆の皆さんは無事に本部を去っていった。


 彼らは次の支部へ、また次の支部へと、この世界で懸命に生きる人々に娯楽を与える為に荒野を走る。


 黄金のバイクに跨った皇帝に続くように。

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