第4話 皇帝へのプレリュード チャプター5 コンサート
明後日
住民区にある、おそらくは元々市民体育館だったであろう大きな施設。
窓は暗幕によって光を遮られ、照明を消せばこの場を照らすのは、かすかに暗幕の隙間から漏れ出る光のみとなっていた。
パンク寸前になるほど人に溢れている為、熱気が充満し息苦しい。
僕と我妻さんは、人の波が放つ熱気のうねりに呑まれながらも、用意された席で今か今かとコンサートの開始を待った。
幕の降ろされたステージ上に人が現れた。それと同時に、会場のボルテージは勢いを増す。
中央へ立つと、マイクを取り出して大きく息を吸い込み、会場の端まで聞こえる大きな声で、最前列近くにいる僕からしたら少しうるさすぎる声量で宣言した。
「それでは、大変長らくお待たせしました! ただいまより、第三十一回芸道衆コンサートツアーinミストピア! 開催です!」
会場のボルテージはよりいっそう激しく沸き、雷轟の如く鼓膜を破壊しにかかってきた。
隣にいる我妻さんはというと、この吹き荒れる嵐の様な凄まじい歓声などどこ吹く風。むしろその嵐の一部になっているかの様にステージへと声を飛ばしている。
この光景には見覚えがある。猿渡夫妻が新曲を初公開する番組を観ている時の姉さんと同じだ。
観客側の照明(正式なコンサートホールや劇場なんかでは《客電》と呼ばれているらしい)が消え、会場内に暗がりが訪れる。
スポットライトによってステージ上に灯された一条の明かりが、中央に立つ女性を照らしている。
歌姫・猿渡歌織の姿がそこにはあった。
会場の歓声は最高潮まで高まり、それが静まると同時にステージ脇のピアノが奏でられる。
演奏者は猿渡響也。この間はバイオリンだったが今回はピアノだ。
バイオリニスト兼ピアニスト。他にも多種多様な楽器をトッププロレベルで奏でる奇才。
更には作曲作詞、指揮者もこなすらしい。天は二物を与えず何て言うけどとんでもない。音楽というジャンルに限っては、二物どころか才能のてんこ盛りだ。
静かでキレイな、それでいてどこか遊び心が感じられる前奏から歌織さんの歌声が合わさり、会場中に響き渡る。
そのピアノの旋律と歌声に僕は、きっと僕以外のここにいる全員。聴衆だけでなく他の奏者も含めた文字通り全員が、その歌声に酔いしれ、捉われていたことだろう。
頭の中が空っぽになっているかのように、そのメロディが、歌声が、耳から脳へ、極々自然に伝わってくるようだった。
凄い……! これが猿渡歌織の歌の力なんだ。そしてそれを最大限に引き出しているのが猿渡響也の曲であり、歌詞であり、彼の奏でる音色。
これが猿渡夫妻の音楽……まるで音楽を支配する王と女王のようだ。
あっという間に一曲目が終了。演奏が止まり、歌織さんが深くお辞儀をする。
数秒後、ふと我に返ったように誰かの拍手が静寂に包まれた会場内に響いた。
それに釣られるかの如く、あちこちから拍手が上がる。
やがて会場内は万雷の拍手に包まれ、再び熱気を取り戻した。
その後も何曲か公演は続いた。
しかし素晴らしいコンサートだった。今でも高揚感と多幸感が込み上げて身体が宙に浮きそうな感覚だ。
こういうのを気分が舞い上がるというのだろうか。
帰路の途中でらしくもなく、スキップでもしそうになりながらメジャーベースへと戻ってきた。
早く部屋へ戻って先程会場で貰ったCDを聴きたい。生歌とは違うけどあの二人の歌をもう一度聴きたくてしょうがない。
姉さんや我妻さんがあれだけ熱狂的なのも頷ける。
ちなみに我妻さんはまだ会場内で余韻に浸っている。念願の生猿渡夫妻だ。幸せ過ぎて動けないらしい。
その我妻さんや勝賀瀬さんたちの部屋がある居住スペースとは反対側にある自室へと向かっていると、今は使用されていないはずの空き部屋から声が聞こえた。
女性の声だ。透明感とハリのある綺麗な歌声。少し猿渡歌織に似ているような気もする。そんな声。
「あ~♪ ああああ~あ~あ~あ~♪ ああああ~あ~あ~ああ~♪ あ~あ~♪ あ~あ~ああああ~♪」
歌詞のない歌だがその歌声は僕を引き付けた。先程まで高揚していた気分が次第に落ち着いていく。
気づけば猿渡夫妻のCDよりも、この歌に興味が映っていた。
歌が終わると、今度はバイオリンの音色が聞こえてきた。
「~♪」
優しい音色だ。こっちは猿渡響也の演奏に少し似ている気がする。
誰が演奏しているのか知らないが、もしこの部屋の中にいるのが一人であれば、歌とバイオリンの演奏をどちらもこの高いレベルでできるということになる。
猿渡夫妻レベルとはいかないまでも歌唱と演奏、双方ともにプロとして恥じない腕なのではないだろうか?
僕は音楽に詳しくないから半可通の意見だと言われてしまえばそれまでだけど、少なくともこの歌をもっと聴いていたい。もっとこの演奏を聴いていたい。そう思うほどには美味いと感じるし、僕がこの音楽を好きだった。
バイオリンの音色が途絶え、ガラっと扉が開いた。
部屋にいたのはやや背の高い女性だった。
ふぅ、と息を吐き、前髪をかき分ける彼女と目が合った。
彼女は僕と目が合うと、キョトンとしたような表情と驚いた表情のちょうど中間のような表情のまま固まってしまった。
気まずい雰囲気が流れる。
「あ、どうも……」
何とかこの空気を変えようと試みたが、僕の口から出たのはこれが精いっぱいだった。
目の前の少女は顔を真っ赤にして部屋へと戻っていった。
勢いよく閉められたドアの奥から、声になっていない悶え声が聞こえてくる。
歌や演奏を聞かれたと思ったのが恥ずかしいのか、極度の人見知りなのか……
と、考えたところで扉が少しだけ開いた。先程の彼女が、半端に開いた扉越しに話しかけてくる。
「……聞きましたか?」
「すみません突然。使われていない部屋から声が聞こえたのでつい」
隙間から真っ赤になった顔がかすかに見えた。
「えぇと、もしかして芸道衆の方ですか? お見かけしたことが無かったので本部の職員ではないと思いまして」
「……猿渡奏」
「猿渡!?」
以前芸道衆がやって来た日に勝賀瀬さんが言っていた話を思い出す。アルカナ№4
言われてみれば顔立ちや雰囲気がどことなくあの二人に似ている。そうか、この人がそうなのか。
「どうしてこんな所に?」
「この辺り、いつ来ても誰もいないから……」
そういえばこっちの居住スペースは以前は普通に使用されていたが、ある時を境に反対側に新たな居住スペースを作った影響で今はほぼ使用されていない。半ば倉庫代わりになっていたと話に聞いた。
僕がこっちに来た際に、流石に女子と同じ居住スペースはまずいだろうということで急遽こっちの一部屋を僕の部屋にしたんだとか。
なるほど。今まで本部に立ち寄った際は誰もいないここでこっそりと練習に励んでいたというわけか。
「練習の邪魔をしてしまってすみません。自室に戻る途中で誰もいないはずの部屋から歌が聞こえてきたので気になってしまって」
「自室?」
「ええ、この先に一応自室がありまして」
そりゃあ今まで誰もいないと思っていた場所に人が過ごしている部屋があるとは思わないよな。だが僕の返答で彼女の顔は次第に青ざめていく。
「もしかしてこれまでずっと……」
「いえ、僕は最近、つい一か月ほど前にこっちの世界に来たばかりなので」
「そう、ですか……」
ほっと息をつき、青ざめた顔が元に戻っていく。
「えっと……」
「あ、僕は相沢憐人って言います」
「相沢憐人君……どう思いました?」
「え?……どうって、何がです?」
「ぼくの演奏。それから歌も」
さっきまで恥ずかしがっていたのに自分から訊いてくるのか……
「えっと、すごく上手だったと思います。もう一度聴いてみたいくらい」
あの心地のいいソプラノの歌声も、鮮烈に耳に届くなめらかなメロディも、僕はまた聴いてみたい。
「あんな中身のない音楽をですか?」
「それってどういう?」
「ぼくじゃ父さんや母さんのようにはできないですから……」
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