第2話 青い空の記憶 チャプター4 テディベア

 翌朝。目が覚めると殺風景な部屋のままだった。どうやら昨日の出来事は夢ではなかったらしい。


 身体の節々の痛みが昨日の戦闘を思い出させる。


窓の外に見える空は奇怪な二色の空に戻っていた。昨日は見られなかった雲が浮かんでいる。雲は地球と同じ白色なのか。


 太陽は見当たらないが、何故か日光のような光は空から降り注いでいる為暗さは感じない。奇妙だ。まぁここは何でもそうか。


 顔を洗い、昨晩食堂で持たされた朝食用の総菜パンを食べ、歯を磨き、着替えて指令室へと向かった。既に勝賀瀬さんと里中さん、代神子原さんの姿があった。


「おはようございます」


「おはよう憐人君」


「おはよ~。憐早いね、昨日あんなことがあったのに」


「おはよう相沢君。あまりぐっすりとはいかなかったかしら? 無理もないわね、突然の神隠しに命のやり取り、急激な生活環境の変化で落ち着いて身体と頭を休める余裕なんてないわよね」


「いえ、そういうわけでは……」


 指令室で談笑をすること数分。新たに我妻さんが指令室へと入ってきた。


「おはよう我妻さん」


「おはよう相沢君。よく眠れた?」


「どうだろう? そこまで辛くはないけど」


 睡眠時間だけを見ればまずまず眠れたとは思うが、昨日色々とあったにしては少ない気もする。もっと昼過ぎまで死んだように眠っているものだと思っていた。


 そんな話をしていると所長が入ってきた。


「皆おはよう。早速昨日の検査結果を発表したいと思う」


「お、出たんだね所長」


「ああ、まず我妻君、君からは確かに活性化したアルカナ粒子が確認できた。間違いなく君はアルカナだ。まだ何のアルカナかまではデータが少なく断定できんが」


「はぁ……喜んでいいものなのかどうか」


「それで相沢君の方なのだが……」


 これで僕がアルカナなのか判明する。


 今までは女性しかいなかったけど、あの時僕の身に起こった変化は間違いなく我妻さんと同じものだった。それが何を意味するのか、僕の力とはいったい……


「結論から言うと彼はアルカナではない。アルカナ粒子は確認できなかった」


「えっ!? 嘘!? 出なかったの?」


「まぁ当然と言えば当然ね。だとすれば所長、彼の力はアルカナとは違う新たな力なのですか?」


「う~む……様々な方向から検査を行ったが、普通の人間のそれと特に変わりはなかった。ごくごく平凡な青年というのが検査の結果だ」


 どうやら僕には何の力もない一般男子高校生と判明したらしい。


 僕も今までそのつもりで生きてきたから、そう言われても別にどうってことは無いけど、だとしたら昨日のアレはいったい?


「でも私はっきりと見たんだよ? 昨日憐がアルカナの力を引き出しているのを!」


「ええ、それは私たちの方でも確認してるわ」


「間違いなくあの時彼は特殊な力を行使していた。それも我々の知るアルカナの力と非常に似た、同質と言ってもいい力をね。だから何かあるはずなんだが、データが少なすぎる。そこでだ」


 所長は腕輪を二つ取り出した。


「この腕輪にはアルカナの力を計測する機能が備わっている。データ収集のために二人には付けてもらいたい。そのデータを基に相沢君の力について何かわかるかもしれない。我妻君の方もより詳しいデータが欲しいからね、協力してもらえると助かる」


 差し出された腕輪を受け取り、取り敢えず付けてみる。結局この時は僕の力が何なのかはわからずじまいで終わった。



「いつでもいいよ。どこからでもかかってきて!」


 メジャーベースの一角に設けられたトレーニングルーム。そこで薄手の黒いトレーニングウェアに着替えた勝賀瀬さんと相対していた。


「どうしてこんなことに……」


「戦ってみればもしかしたら何かわかるかもしれないでしょ。さあ! かかってきて! こいこい!」


 そんなことを言われても……というか、いくら実戦経験豊富な人とはいえ女性相手に挑むのは気が引ける。


「来ないならこっちから行くよ~。ほっ!」


 そう言ってこちらへ接近してきた。思わず両腕を構える。その両腕は回し蹴りであっさりと崩れてしまった。っていうかすっごく痛い。


「ほっ」


「ぅあ痛いっ! ぐほぉっ!?」


 一瞬、勝賀瀬さんが笑顔を作ったと思ったら左のローキックで左腿を蹴られた。しかも痛いと叫んでいる間にそのまま鳩尾を蹴られ、倒れこむ。一瞬息ができなかった。今も肩から腰にかけて寒気がする。


「ほらぁ、立って立って」


 まるで転んだ小さい子を立ち上がらせるような感じで催促してくる。痛む胸を押さえながら何とか立ちあがり、指でクイクイッと挑発してくる勝賀瀬さんに向かって仕方なくパンチを繰り出す。右腕を大きく振るったが軽くお辞儀をするように躱されてしまい、腕を振り切ったところに顔面へのパンチが飛んできた。鈍い痛みが顔の骨に響くように伝わっていく。


「ほ~ら。どうしたのっ!」


 顔面を抑えていた腕を掴まれると引き寄せられ、腹部に左膝がクリーンヒットした。その痛みを感じ始めた頃には僕は宙に浮かんでいた。足を、左足のアキレス腱の上あたりをキックされたことでバランスを崩し、両足が地面から離れてしまったのだ。それに気づくと同時に、背中と後頭部が地面と衝突する。


「ちょっと~、しっかりしてよも~」


 困り顔で僕の顔を覗き込んで来る勝賀瀬さん。この時僕は身体中の至る所が痛くて何かを言う余裕さえなかった。痛みと圧迫感の中でかすれた声だけが漏れ出ている。


「おいおいその辺にしといてやれよ。つーか十分やり過ぎだ」


 見学していた兵頭さんが止めに入ってきてくれたが、どうせならもっと早くに止めてほしかった。痛い痛い! 足も太腿もお腹も胸も顔も背中も頭も痛い!


「なんか反応あった?」


「何もねぇよ。ただお前が痛めつけただけだ」


 こんな目にあっても結局成果は得られずじまいで終わった……



 全身の痛みが時間経過とともに消えてきた時に、廊下で我妻さんと鉢合った。

 小さなテディベアを両手で大事そうに抱えている。


「相沢君、どうしたの? 顔に痣が」


「さっきちょっと……それより我妻さんは?」


「私は昨日持ち帰った物資整理を手伝った帰り。お礼にこのテディベアを貰ったから和花ちゃんに渡そうと思って。あの子、いきなりこんなところで独りぼっちになってしまったから、心配なの」


 そういえば寝たまま別れたんだった。それに僕らはここメジャーベースに来たけど、和花ちゃんや他の人たちはここにはいない。《住民地区》と呼ばれる区域に集められたと昨日検査中に兵頭さんから聞いたのを思い出した。


 和花ちゃんみたいな身寄りのなくなってしまった子供は、保育施設で住むことになっているのだとか。


「それなら僕も行きたいな。昨日はちゃんとお別れ言えなかったし」


 ビー! ビー! ビー!


 僕が言い終わるとほぼ同時に、けたたましい警報が鳴り響く。

 

『エリアS ポイント14にミスト反応! エリアSポイント14にミスト反応!』


 代神子原さんの声が建物中に響き渡る。ミスト反応っていうと昨日の霧がまた発生したのか!? なら昨日みたいにあの怪人・マグニが?


「愛美! 憐!」


「勝賀瀬さん」 


「丁度良かった。兵頭さん! 二人と合流できたから現場に連れてくね」


『おいおい、いきなり現場連れてくのかよ』


 勝賀瀬さんの腕輪から兵頭さんの声が聞こえてくる。腕輪には通信機能もあるみたいだ。


「だいじょーぶ! 二人は私が守るから。さ、行くよ!」


 こうして僕たちは勝賀瀬さんに手を取られ、半ば強引にマグニが出現した現場へと連れて行かれた。



 エリアSポイント14


 果てしなく続く荒野の中、切り取られたようにポツンと存在するコンテナ置き場。霧はそこに立ち込めていた。


 一足先に現着した勝賀瀬さんがバイクに搭乗したまま、コブ怪人・コブリンを蹴散らしていく。


 少し遅れて僕たちの乗った車両も現着。運転手を除いた計七名のAGE‐ASSIST隊員が即座に車両から降り、特殊な近未来銃を一斉に発砲しコブリンたちを攻撃しだした。


 何体かのコブリンは横殴りに降り注ぐ弾丸の雨により黒い霧へと変貌し、霧散していく。


「変身!」 


 バイクに搭乗したまま勝賀瀬さんは腕輪を操作し、粒子が変化した装甲を身に纏う。バイクで通りすがり際にスティックを振り回し、残りのコブリンを瞬く間に処理していく。現着からわずか一分ほどでコブリンを全滅に追いやった。


「凄いわね……」


「あんな一瞬で……」


「本番はこれからだよ。二人とも! 私の戦いよーく見といてよね」


 それだけ言うと、勝賀瀬さんは表情をより険しくし、警戒を強めて霧の中を睨む。


 霧の中から出てきたのは亀の姿をした二足歩行の怪人。タートルマグニってところだろうか? 銀色のボディに蠢くコブは、まるで機械に取りつき操る寄生生物のようにも見えた。胸部の発行体は赤く発光している。


「いくよ!」


 勝賀瀬さんは右手のスティックをくるりと回すと、一気にマグニとの間合いを詰めた。


 大振りの一打がマグニの頭部に痛烈な一撃を叩き込む。そのまま返しの打撃でマグニの左手を狙う。衝撃で左手は身体の外側へと弾かれ、銅に隙ができたところへ素早い乱打が繰り出される。


 二打三打、四打五打と猛烈なスティック捌きで攻撃を次々に叩き込んでいく。碌に防御もできないまま、マグニの身体にダメージが蓄積されていくのがわかった。


 圧倒されていたマグニがようやく反撃に出た。身を屈めて体当たりを繰り出す。硬い表皮と堅牢な甲羅、それらの重さを考えると見た目以上の破壊力が炸裂したことだろう。当りさえすればだが。


「よっと」


 勝賀瀬さんは体当たりしてきたマグニを、スティックの持っていない左手だけを使い跳び箱の要領で飛び越えた。着地後すぐさま振り向いて駆け出し、ワンテンポ遅れて振り向いたマグニの腹部へ剣道の抜き胴さながら、渾身の一打を叩き込んだ。


「よっ! ほっ! でぇい!」


 マグニのパンチ、と言っても拳ではなく、ウミガメの様に平たい手で繰り出されたもの。それをひょいひょいと躱し腹部に膝蹴りのカウンターを浴びせる。腹部を抑え、頭を屈めて悶絶しているマグニを野球のバッターのようなフォームでフルスイング! スティックでマグニの頭部をかっ飛ばす。


 マグニは勢いよく地面をゴロゴロと転がっていった。あの方向と勢いなら三遊間を抜けるかもしれないな。


 その後も一方的な戦いが続いた。勝賀瀬さんの攻撃がマグニへダメージを蓄積していく。たまにマグニが反撃するも、躱されるか捌かれるかで勝賀瀬さんへは届かない。まさにワンサイドゲームだった。


 だが――


 グワッ! っと霧の中からもう一体のマグニが出現した。金色のタートルマグニがこちらへ迫る。


「嘘っ!? もう一体いたの!?」


 勝賀瀬さんは銀色の方のタートルマグニにつきっきりだ。敵わないながらも勝賀瀬さんがこっちに来られないように進路をブロックしている。


 怪物ながら連携する知能があった。思えば昨日も、僕たちの退路を断つためにバリケードを作らせて給気口から侵入なんて手段を使っていたな。


 AGE‐ASSISTの隊員たちが応戦するも、コブリンが相手の時とは違い有効打を与えられていない。平らな手での手刀や重量を生かした踏みつけなどで、隊員たちは次々と戦闘不能になっていく。


 運転席で待機していた八人目の隊員が車から降りて発砲、しかしたいしたダメージは与えられず反撃の体当たりが繰り出される。


 運転手の隊員は体当たりを寸でで避けるも、マグニはそのまま車両にぶつかり車両は横転。勢い余って二百七十度回転した車両から、ガラス片と中の荷物が外に飛び散る。


 その中にテディベアが、急に言われたからそのまま持ってきてしまっていた和花ちゃんへのプレゼントがあった。近くでマグニが暴れている。


「ダメっ!」我妻さんがそう叫び走り出した。


 僕は「我妻さん!」と叫び、同じように駆け出していた。 ほとんど無意識だった。


 ガラス片の散らばった、この世界では珍しいアスファルトの地面へ投げ出されたクマのぬいぐるみへ駆け寄る我妻さんと、それを追う僕。


 我妻さんはクマへ飛びついた。そしてすぐそこへマグニが迫っていた。二度目の体当たりを再度運転手兼任の隊員へ繰り出し、これも躱されていた。


 しかしその勢いのままこちらへと突っ込んできているのだ。


 僕は我妻さんとマグニの間へ立っている。一応防御姿勢を取っては見るがあまり意味はないだろう。でも避けるわけには……


 ――和花ちゃんに届けないと……


 頭の中に声が聞こえた。昨日と同じ、高い綺麗な声……


「ふんっ! うぉおおおおおお!? っと!」


 衝撃は来なかった。勝賀瀬さんが銀のマグニを振り切ってこっちに駆け付けてくれたんだ。マグニの顔面を蹴り飛ばし振り向く。


「言ったでしょ。二人は私が守るって。って、二人ともそれ! 力引きだせてるじゃん!」


「「へっ!?」」


 二人同時に声が出た。我妻さんを見ると右目が黄色く変化している。昨日と同じだ。地面に散らばった大きめのガラス片に視線を落とすと、片目が黄色い僕の姿も確認できた。身体からも力が溢れてくるのがわかる。


「指令室」


『確認している。データもしっかりと取れているよ』


『生命の危機に反応したか火事場のバカ力か、二人同時に発動したな』


『所長、この反応』


『これは……』


「とにかくデータは取れてるんだね?」


 自分でもどうやったかわからない。けど僕も我妻さんもまたこうして力を引き出すことに成功した。


「あっ! そうだマグニ!」


 勝賀瀬さんのその言葉でハッとして身構える。二体のマグニが霧の中へと引き返していくのが見えた。


 影も見えなくなると、霧はこのコンテナ置き場から逃げ出すように引いていった。


「あちゃ~、逃がしちゃったか。ま、収穫はあったし良しとしますか。兵頭さん聞こえる? 車大破しちゃったからもう一台寄こして」


『運転してたのは山下だったな、一台おしゃかにしやがって、後でしばく』


 勝賀瀬さんの通信が終わると、僕はもう元に戻っていた。我妻さんも両目黒色になっているのを確認した。


 しきりに「良かった……」と呟いてテディベアをギュッと抱きしめている。兵頭さんの迎えを待っている間、我妻さんはテディベアに飛び散ったガラス片が付着していないかずっと確認していた。

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