第1話 霧の中の世界 チャプター2 霧が来る
ビー! ビー! ビー!
「エリアGポイント6に転送反応! エリアGポイント6に転送反応!」
「今回は早いな。前のからまだ一か月くらいだろう?」
「
「当然! ちゃっちゃと行ってサクッと連れてくるよ。
「わかってるってそう急くな!」
神隠しにあってからしばらく経った。
当然スマホの電波は届かない。母さんたちはニュースか何かで僕が神隠しにあったって知った頃だろうか。それとも中々帰らない事に怒っているだろうか。
……麻婆豆腐、食べたかったな。
ショッピングセンター内は阿鼻叫喚の大騒ぎだ。
発狂している人、店員さんに八つ当たりしている人、ひたすら大声で泣きじゃくる人、意外にケロッとしていてむしろこの状況を楽しんでいる人と様々だが、どれも騒がしいことに変わりはない。
店員さんや責任者の方々は、八つ当たりするお客たちに対してただただ謝るしかなかった。神隠しにあってまでクレーム対応なんて不憫で仕方がない。自分たちもわけがわからず泣きたいだろうに。
そういえば買い物かごと一緒に鞄を食品売り場に置いてきたんだった。
神隠しにあった今必要があるとは思えないが一応唯一の所有物だ。持っておいた方がいいか……
予備電源はまだ生きてはいるが、自動ドアはほぼ手動に成り下がり、店内は照明がほとんどなく暗い。冷房の冷気がほとんど消えてしまって店内は蒸すように熱くなってきている。
ショーケースの冷房は予備バッテリーでまだ稼働を続けてはいるが、もって後一時間だろう。
スマホの充電を惜しみながら、ライトをつけて奥の食材売り場へと向かう。このスマホも直に使えなくなるのか……
途中何度も物にぶつかりながらも、何とか食品売り場へと到着した。
鞄は飲料コーナーの近くだ、つまりもっと奥に進まなければならない。
スマホのライトを頼りに奥へ奥へと……
「きゃっ!」
「うわぁ!」
突然の声にびっくりしてこっちも声が出てしまった。我ながら情けない声だ。
「え、我妻さん?」
ライトを声のした方へ向けると、そこには眩しそうな表情の我妻さんがいた。急いでライトの向きを変えて、光が直接当たらないように調整する。
「相沢君? あなたもこっちに?」
「うん、昼食の食材を買いに来たらこの通り……我妻さんも?」
「私はお夕飯の食材。それと課題の自由研究に使う材料と読書感想文用の本」
そう言って見せてくれたトートバックには本やマーカー、他にも色々と入っていたが暗くて全容まではわからない。
「でも全部無駄になっちゃった。私たち、神隠しにあっちゃったんだもんね……」
声こそ軽くて明るく聞こえるが、薄暗い中でかすかに見えた表情は途方に暮れていた。いつもの凛とした雰囲気は感じられない。
「ちょっとショックでボーッとしてたらさ、予備の電力も弱くなってて辺り真っ暗。そこに相沢君がやって来たってわけ」
「そうだったんだ」
「相沢君は割と平気そうね? 私が思っていたより精神的にタフだったり?」
「僕はもうひとしきりテンパった後だから。僕以上にテンパっている人も何人かいたし、その人たちを見てたら逆に落ち着いちゃって」
まだ心臓に穴が空いたような消失感は残っているけど、幾分かマシになった。
「あの、迷惑じゃなかったらしばらく一緒に行動しない? 一人じゃ心細くて……」
男が女の子に提案するようなものじゃないかもしれないけど。ていうかクラスが一緒ってだけで碌に話した事もないし、誘っても無駄なんじゃ……
「うん。私も知り合いがいるってだけで少し落ち着く。お願いできる?」
「えっ!? いいの?」
「いいのって、あなたが誘ったんでしょ?」
「あ、うん、そっか」
「ふふ、変なの」
我妻さん、少しだけどいつもの調子に戻ってきたみたいだ。代わりに僕は恥ずかしい思いしたけど。
「はい」
「へ?」
「手、つないでくれないとぶつかっちゃうでしょ? 私明かり持ってないんだし」
「え、自分のスマホを使えば……」
「こんな時なんだから節約しないと。ほら、早くエスコートして」
結局、取りに来た鞄のことなど忘れて我妻さんと出入口へ戻ってきた。
出入口へ着くと駐車場が何やら騒がしい。
数台の車やバイクが駐車場から出ていくのが見えた。そしてアスファルトを越えて未知の荒野へと消えていった。
「本当にここは何処なのかしら……何もかもが異様。異常だわ」
「あの人たち大丈夫かな」
他にも荒野へと出ていこうとする人は大勢いた。いつまでもここに留まっていてもしょうがないのは僕もわかっている。けど荒野に目をやるとどうしようもなく不安が襲ってきた。
それが未知に対する恐怖なのか、もしくは理屈を抜きにして本能が危険を感じているのか、或いはそれら以外の別の何かかはわからないが、とにかく不安が重くのしかかってくる。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、遠くで何か白いものが見えて」
目を凝らすと車が向かっていった方向に白い何かが現れた。時間が経つにつれ次第にはっきりと見え始める。
霧だ。
霧が立ち込め始めたんだ。
こんな所でも霧はできるのか。そういえば呼吸もできるし、空とか違うところは色々あるけど、案外人間が住める環境は揃っているのかもしれない。
もしかしたら僕らの前に神隠しにあった人たちも、どこかで平和に暮らしているかも。そうでも思わなければ平静を保てなかった。
それから更に数十分後。
ショッピングモール周辺に住んでいた住民たちも、ここに集まり始めていた。
こんな時は少しでも人のいる所に身を置きたくなる。ここに集うのは自然なことだった。
そんな中でも霧はこちらへゆっくりと、しかし着実に迫ってきていた。
「気味が悪いわ……」
我妻さんが言った。確かに気味が悪い。
その霧は驚くほどに真っ白だった。純白。透明感の無い不自然なほどの白。他の色に塗りつぶされる色のはずの白が、ビビットな三原色も、強い黒色も逆に塗り潰していき、飲み込むように白へと上書きしていく。そんなミルク色の濃霧に僕は恐怖さえ感じた。
霧というより、まるで白い闇だった。
「さっき出ていった人たち、大丈夫かな」
車を出して荒野へと消えていった人たちを思い出す。
彼らが向かっていったのはちょうど霧の方向だ。いくら何もない所だとはいえ、前が見えないまま進むのは危険だ。
「流石に霧の中に飛び込んでいくようなことはしないでしょう。一応運転免許を取っている人たちよ?」
「でも迂回したようには思えないんだ。誰も引き返してもいないし」
そんな会話中にも、霧は僕らの元へと迫ってきていた。
そして更に数十分後。
霧は遂に荒野とアスファルトの境目まで到達した。
店内の暗さと暑さに耐えられなくなり、ほとんどの人が駐車場に出てきていた。平日の昼間だったが、ざっと見て五百人くらいはいる。田舎だとこんな人数が集まる場所は他には学校くらいじゃないかな。
全員の視線が霧に釘付けになる。そして――
ガコンッ! ガガガッ! ダン!
霧の中から一台の車が、青い車が横回転しながらこちらへとすっ飛んできた!
駐車場の段差に激突し横転。けたたましい防犯ブザーの音がビーッ! ビーッ! と鳴り続ける。この車、さっき出ていった人のだ。
多分ここにいた皆が驚いたことだろう。割れたフロントガラスから血の滴った腕が飛び出しているのが確認でき、悲鳴が上がる。
霧の中に影が見えた。人型のそれは、ゆっくりとこちらへ向かって来ているのがわかった。皆の視線がそこに集まる。
そして、霧の中から姿を現したのは人間ではなかった。
濃いイエローの体表に黒い斑点模様、鋭い眼光、六つに割れた腹筋、鋭利な牙と爪、左胸にはオレンジ色の発光器官が埋め込まれたように存在している。
人間と豹を混ぜ合わせたような風貌の怪人……怪物だ。首元にコブのような、皮をむいた玉ねぎのような、目玉のようにも見える拳大もある球状の物体がいくつも生えてきていて、それが鼓動する心臓のように、ドクンッ! ドクンッ! と膨張と収縮を繰り返している。見ているだけで身の毛がよだつ。
そいつは左手に血だらけの男性を掴んでおり、力士が土俵に塩をまくかの如く、その人を軽々と放り投げた。
大の大人、成人男性を片手で投げたのにもかかわらず、数十メートル離れた僕らの目の前にきっちりと届いた。放り投げられた男性に見覚えがある。車で出ていった人の一人だ。
また悲鳴が上がる。何人もの人が大きな声で叫んだ。
絹を裂くような高い声、腹に響く大声、泣き叫ぶ声、とにかくいろんな叫び声がそこら中から上がった。僕も叫んでいたかもしれない。
豹の怪人は叫び声が上がると同時に駆け出した。とんでもないスピードだった。まさに一瞬という言葉を表すかのような速度で車の傍にいた男性に迫り、首根っこを掴んで大きくジャンプ! 彼が乗り込もうとした車のルーフに勢いよくたたきつけた。
ルーフは陥没し、各所のガラス窓は粉々に砕ける。一瞬の間にスクラップとなった。同時に、男性は声を上げることもなく息絶えたであろうことも理解できた。
直後、怪人の左胸にある発光器官の光が強まる。それが合図となり、また悲鳴が上がった。
皆がショッピングセンターの中へ、雪崩のように駆け込んでいく。
僕もそうだった。群衆に押されながらも僕は咄嗟に隣にいた我妻さんの手を握って入り口に駆け出していた。
恥ずかしいだの我妻さんが嫌がるかもしれないだの普段なら過ぎるそんな考えが入る隙間は、この時の僕の脳内には無かった。恐怖が全て貸し切っていた。
まだ中に入っていないというのに扉は閉められようとしていた。扉が閉まりきる寸前でギリギリ滑り込む。しかし僕たちより後方にいた何人かは間に合わず閉め出されていた。
「おいっ! 開けてくれ!」
「いやーーー!」
閉め出された人々は悲痛な声を上げながらガラス張りの自動ドアを壊さんとする勢いでドンドンと叩く。こじ開けられないように数人が内側から押さえつけているためどうしたって入ってこれない。
得体のしれない怪物への恐怖と閉め出された怒りで、トマトのように真っ赤になった顔で自動ドアに張り付く人々は、霧に吸い込まれるように後方へ姿を消していった。一人づつドアから引きはがされていき、悲鳴が上がる。
そして彼ら彼女らのものであろう鮮血が、霧で覆われ真っ白になったガラス張りのドアに付着し、新品のキャンバスに赤い絵の具をぶちまけたように滴った。
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