第一章 THE ARCANA CONTACT 

第1話 霧の中の世界 チャプター1 神隠し

 ピピピピピ……


 スマホのアラームが鳴り響き、僕を眠りから叩き起こす。


 まだ視界の安定しない状態でスマホのロックを解除し、アラームを止める。


 大きなあくびをしながらベッドを降り、階段を降りる。平日はいつもこうだ。


「おはよう……」


「おはよう。ご飯もう出来上がるからね」


 いつものように母さんに挨拶をし洗面所へと向かう。途中、父さんがリビングに脱ぎ散らかしたままの寝巻も回収していく。


 リビングに飾られた西暦二〇二四年カレンダーは七月のページが開かれており、今日の日付、十九日金曜日に赤いマジックペンでマル印と《憐人終業式》の文字が自己主張強めに記されている。


 そう、この僕、相沢憐人あいざわれんとは本日の登校をもって高校生活最初の夏休みを迎える。


 顔を洗い、口の中をすすぎ、席に着くと丁度朝ご飯が目の前に置かれた。


 白いご飯と味噌汁、目玉焼きと薄切りのベーコンが二枚、それと昨日の晩ご飯の残りである里芋の煮っころがし。朝食としては申し分ないメニューだ。


「いただきます」


 早速味噌汁を啜っていると母さんがテレビをつけた。


『あの神隠しから、今日で一ヶ月です。沖縄県の……』


「もうあれから一か月か」


「時間が経つのは早いわね~。あんたも神隠しに遭わないよう気を付けなさいよ」


「どうやったら防げるのかわかんないんだけど」


 今から九年前、二〇一四年のクリスマスの日。天が裂け、光の柱が地上に降り注いだ。


 その虹色の光に包まれたとある研究施設と、その周辺数キロが土地ごと忽然と姿を消した。


 当時研究施設内にいた人々の行方や原因について連日騒ぎになっていたが、今現在も有力な手掛かりがつかめないままでいる。


 この現象は《神隠し》とされ、全国で話題となった。神隠しという言葉の意味が変わった瞬間だった。


 突然虹色の光が降り注ぎ、光が広がり、その場所が消えている。それが現代の神隠しだ。


 それ以降、この日本では全国各地で神隠しが不定期に起こり続けている。


 神隠しの規模は光の柱を中心に半径数百メートルから数十キロメートル。大型の施設から小さな町程の広さまで疎らだ。


 神隠しには予兆と呼べるものが確認できていないため未だに対策がとれていない。国も研究は進めているみたいだが、成果は芳しくないようだ。


 そして、神隠しから帰ってきた者は誰一人としていない……


「ごちそうさま」


 食器を流しに運び、洗面所で歯を磨く。髪の毛を整え学校指定のブレザーに着替えて鞄の中身を確認する。忘れ物は……たぶんない。


「ふぁ~……おはよ~」


 支度中に姉さんが下りてきた。


「おはよう姉さん」


「おはよう。あんたの分もできてるよ」


「ん~」


 眠気眼で返事をすると洗面所へと入っていった。


「そういえば憐人、あんた明日から夏休みでしょ」


「うん」


「いいなぁ~」


「姉さんも八月に入ればなんだからもうすぐでしょ。それに僕たち高校生より姉さんたち大学生の方が期間長いし」


「その分バイトに論文と色々あるのよ。正直二倍あっても全然足りないくらい」


 姉さんのボヤキを聞いている間に支度が完了した。革靴を履き、後は学校へ向かうだけとなった。


「それじゃいってきます」


「いってら~」


「そうだ憐人、今日は午前で終わりなんでしょう? 帰りに豆腐と合い挽き肉買ってきてちょうだい。お昼に麻婆豆腐するから」


「わかった」


 他愛もない日常会話。今日が終業式なのを除けばいつもの平凡な朝のやり取りだ。


 そんな今日のやり取りが母さんと姉さんとの最後の会話となるなんて、この時は思ってもみなかった。

 

 

長池高等学校・一年三組教室


「次、相沢憐人」


「はい」


 教室では成績表が渡されていた。


 担任の先生に呼ばれ、席を立つ。


 小学生、中学生と九年間。僕の出席番号はずっと一番だった。相沢だからだ。


 最初の文字が《あ》、その次が《い》。一番早く呼ばれる文字と二番目の文字が連なっている。


 並ぶ時も先頭、配布物も最初。これまでテストや成績表を配られる際に、緊張なんてする暇もなく僕の手元にやってきていた。


 高校に入ってからもそうなるだろうと、今年で十年連続出席番号一番だろうと思い入学したけど、今年の僕の出席番号は三番。人生初の出席番号三番だった。


 このクラスの一番は相川さんという女子。《あ》と《い》の次が《か》。僕の《ざ》では勝てない。


 二番の子は奇しくも同じ相沢の姓を持った相沢紘汰という男子生徒だ。紘汰、こうた、《こ》だ。憐人の《れ》では勝てない。


 結果、か行に二度も敗北したことで僕は出席番号三番に追いやられてしまい、十年連続出席番号一番の栄誉は幻となった。いや別に栄誉ではないか。


 最初に呼ばれないとなると緊張が走る。たった二人分の待機時間だがドギマギとした感情が心臓の鼓動を気持ち速めに調整している気がする。


 成績表を受け取り、席へ戻る途中で次の子が呼ばれた。


「次、我妻」


「はい」


 先生の元へ向かう我妻さんとすれ違う。


 我妻愛美あがつままなみ。《が》では僕の《い》には勝てない。今度は僕がか行を破って勝利した。


 我妻。初めて聞いた時は珍しいと思ったが東北地方には割といるらしい。後、北海道にも少し。


 我妻さんは確か北海道出身だったはずだ。中学の終わりにこちらに越してきてそのまま高校に入学したと話していたの覚えている。


 入学当初は我妻さんの前の席だったから会話が自然と耳に入ったのだ。盗み聞きしていたわけじゃない。


 それにしても我妻愛美か。


 じぶんの妻は愛らしく美しい。


 文にすると実に気恥ずかしいが愛に溢れた名前だ。愛妻家の父親が娘を使って妻の自慢をしている様にもとれるが。妻との愛らしく美しい娘ともとれる。きっとそっちだろう。


 そして実際、我妻さんは名前負けしない容姿と雰囲気がある。


 艶やかな黒い髪、美しい黒髪の表現としてカラスの濡れ羽色というものがあるが、その言葉は彼女のその髪を形容するのにまさにうってつけなのではと思う。


 しなやかな身体と凛とした表情、楚々としながらも、決して儚く脆い物腰ではなく、芯のある立ち振る舞い。間違いなく美人に分類される人間だ。あまり僕の周りは恋愛事を話題にしないからわからないが、きっと男子人気は高いのだろう。


 席について成績表を確認する。


 ……この成績なら怒られる事はないだろう。可もなく不可もない成績に、僕はホッと胸をなでおろした。



 無事に終業式を終え、明日からは待ちに待った夏季休暇。高校生活最初の夏休みに入る。いや、明日からではない。終業式を終えた今この時から既に夏休みは始まっている。


 まず家に帰ったらさっそくドリルを進めなければ。八月の頭までに宿題を全て終わらせれば、両親から旅行の許可と旅費を出してもらえる約束だ。

 

 十年前に日本へ落下した隕石。各国のレーダーに捉えられず舞い降りた空の贈り物、不可視の隕石アンノウン


 その不可視の隕石アンノウンが展示されている博物館へ行く旅行を計画しているのだ。


 かく言う僕も、そういった宇宙のロマンある話には多少興味がある。一度ちゃんと、実物をこの目で見ておきたい。


 その為には宿題を一刻も早く終わらせなければならない。


 人権作文は中学の頃に書いたコピーがある。丸写しすれば二十分とかからないだろう。自由研究にいたっては毎年両親が僕を押しのけて嬉々としてやってくれる。読書感想文もこの夏に読みたい本なら十冊以上はある。その中からじっくりと選べばいいだけだ。


 問題は各教科のドリルだけ。それだけは心して挑む必要がある。


 帰路に就く途中でショッピングセンターへ立ち寄る。今朝母さんに頼まれた昼食の買い物だ。


 自転車を駐輪場に止め、スマホを見ると、母さんから『牛乳と食パンも追加で!』とのメッセージが。『了解』と返信して店内へ。


 田舎であるこの辺りでは、一通りの物や店が揃っているこのショッピングセンターは非常に存在意義が高い。


 食品売り場、フードコート、本屋、ゲームセンター、靴屋、電気屋、映画館、etc.


 それら全てが揃っているのはこの町ではここだけだ。特に映画館はここ以外に代わりがない。


 都会に住んでいる人からすれば鼻で笑うレベルかもしれないが、それは都会が進み過ぎているだけだ。中学の修学旅行で東京に行った際、地元とは数十年時代が違うとさえ感じた。ここのショッピングセンターがひどく褪せて見えるほどに。


 それでもこのショッピングセンターがこの町にとって偉大なことには違いない。僕は直ぐに食品売り場へと向かった。


 ゆっくり遊びたい気持ちもあるけど、家で母さんが食材を待っている。どうせ明日からは来ようと思えば好きな時に来れるんだと我慢する。


 豆腐と合い挽き肉を買い物かごへ入れ、牛乳コーナーへと向かう。パンのコーナーはそのすぐ傍だ。そのまま会計を済ませれば任務完了。帰ってシャワーを浴びてしばらくすれば、昼食の麻婆豆腐にありつける。


 今日は特に日差しが強い。シャワーの後の炭酸が欲しいな。牛乳コーナーの前に飲料コーナーに寄ろう。そう決めて歩き出した時――


 カッ!


 突如として視界が眩い光に支配された。


「うっ……!」


 突然のフラッシュに思わず声を上げて目を瞑る。一瞬虹色の光が見えた気がした。

 

 光が収まると次第に視界がクリアに戻ってくる。


 他のお客さんや従業員の方たちも同じく光が見えたようで、ガヤガヤとざわつき始める。


 そして、店内の電源が一斉に消えだした。予備電源に切り替わる。この時、周りはざわめきからちょっとした騒ぎに変わっていた。


 嫌な予感しかしない。


 突然の光、その中で一瞬見えた虹色の光、停電。


「そんなまさか!?」


 誰かがそう叫んだ。


 何人かが店の外へと走り出す。僕も鞄と買い物かごを放って後に続く。


 非常灯の薄暗い中なので見えにくいが、みんな険しい表情をしているのがわかった。


 大丈夫! そんなわけない! と、自分自身に言い聞かせながら外へと出ると、僕はにわかには信じられない光景を目の当たりにした。それと同時に絶望も……


「これは……」


「どうなっているんだ!?」


 他に外に出た人たちからもそんな感想が漏れている。無理もない話だった。


 出入り口を出てすぐの駐車場。そこから道路を挟んでロードサイト店舗の立ち並ぶエリアがある。ここまではいい。普通の、普段の、いつもの光景だ。


 しかし、その先がない。


 ショッピングモールの北側にあるバイパス道路も、途中で切断されたように途切れている。その先は果てしなく荒野が広がっているだけだ。


 空も異様だ。雲一つない青でも、曇天が覆う灰色でもない。薄いピンクと濃いイエローのマーブル。そんな奇怪な色の空全体に、靄がかかっているようだった。

 

 風は何処か生暖かく、ねっとりと肌を撫でるように絡みつく。


 吸い込む空気にも違和感があり、息苦しいわけではないが、いつも吸っている空気とは違うということがはっきりと理解できた。


 そう、僕はこのショッピングセンターとその周辺、そしてそこにいた人々と共に神隠しにあったのだ。

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