俺の妹がこんなにも可愛い⑤

 涼が出て行った教室は、一気にがらんとする。

 夕暮れの日差しが差し込む教室に二人。物語の中なら、告白か別れのシーンか。このシチュエーションに、他の女の子じゃなくて妹が残っている。なんとも、皮肉的だ。

 こう思う俺が、おかしいのは分かっているのだけれど。


「ねぇ」


 俺と茜音の距離は、机一つ分。座った茜音の隣に俺が立っている状態だ。そこから見上げられると、逆光になって表情が読みづらい。

 一体何を考えているだろう。

 いつだって的中させることなんてできやしなかったが、今ほど分からないことはない。そして、恐怖心に苛まれることもなかった。


「なんだよ」

「……大事な人って誰?」


 唾を飲み込んだ喉が、音を鳴らした。俺はその場に屈みこんで、ジレンマに陥る。

 絶対に蛇足だった。永美とのやり取りが、尾を引いていたのかもしれない。わざわざ宣言をする価値は皆無だった。特に茅ヶ崎相手において、それは無用の長物だ。

 何しろ俺は既に、盟約として掲げていたのだから。


「お兄ちゃん?」

「そんなの知って、どうすんの?」

「ちゃんと応援するから」


 そこはちゃんと、しおらしいのか。苦々しくなって顔を上げる。下から見上げる茜音の顔は、よく見えた。すっかりしょげ返っている。


「方便だと思わないわけか?」

「あのタイミングで?」

「……俺だって、それくらい使うんだよ」

「そりゃ、お兄ちゃんが都合の良いこと言えるのは知ってるけど。結構マジだったかなって思ってたから」


 妹の勘は侮れない。よく分かっている。スズの見識は、正しかったようだ。


「……いないの?」

「そうだなぁ」


 詐称する道を求めたわけではなかった。

 けれど、告白するルートはない。俺はこの気持ちを伝えるつもりはなかった。少なくとも、今の俺にその資格はないだろう。ただの腰抜けだと言うなら言ってくれ。

 学生の俺が、茜音を支えていけるなんて幻想を抱きはしない。

 だってこれは、命懸けなのだから。

 だからこそ、今ではないと俺は自戒するのだ。そして、中学時代の馬鹿な行いを償うのである。

 いつの日か、茜音の前で堂々としていられるように。他の誰にも恥じることのないように。


「俺は今、コスプレに一途だから」

「またそれ? ミシュたんが大事な人とか言うわけ? 寒い」

「カノンかな」

「うっわ、気持ち悪い」

「ほっとけ。バレンタインイベントに夢中なお前に言われたくない」

「そうだ! お兄ちゃん、手伝ってよ」

「はぁ!?」


 イベント終了にはあと二日。日曜日まで猶予がある。


「このままじゃ、ミシュたんにプレゼントあげられないんだもん。寂しいじゃん。手伝って」

「自力でやれよ」

「お願い、お兄ちゃん」

「都合の良いときだけ頼るな」


 立ち上がってぱしんと頭を叩けば、茜音はばこんと腕を殴ってきた。手が出るのはお互い様だが、それにしてもグーパンはひどい。


「いいから、帰るぞ」

「……瑞樹」


 肝を冷やして、歩を止める。身体は金縛りにあったようだった。立ち上がった茜音は、実直に俺を見つめている。


「チョコ」

「……なんで今だよ」

「いらないの?」


 俺は目を眇めて、袋を受け取った。

 手作りなんて何が入ってるか分からなくて、ごめん被るのだけれど。もらえるものはもらう主義は唾棄したのだけれど。

 茜音は何も知らないだろうし、妹からのおこぼれをもらうくらいなら、差し支えないじゃないか。


「色々、ごめんなさい」

「……いいよ。俺も悪かった」


 こんなときばっかり神妙なのだから、俺はまたほだされるのだ。嫌になる。


「よし、帰ろ! 帰ったら、ミシュたん付き合ってね」


 ぐいぐいと、腕尽くで背を押してくる。

 これを照れ隠しと受け取るのは、自惚れだろうか。表情は目視できないけれど、金髪から覗く耳が赤いのは気のせいではなかったはずだ。


「わーったから、押すなよ」

「言質取ったからね!」

「……卑怯極まりない」

「ひっどい言い草」


 元通り。これがいいのか悪いのか。今はまだ――としか言えない。


「俺は俺でカノンの相手が忙しいんだよ」

「だから、キモい」

「そっくり返す」

「大事な子なんだもーん」


 俺がはぐらかした大事を使った、巧妙な口上に苦くなる。してやったりとばかりに、口を歪める茜音が憎たらしかった。


「俺はカノンが大事なんだよ」


 げぇっと茜音が舌を出す。お前が何を思おうと、結構だよ。俺は嘘を言っていない。

 金髪巨乳の義理の妹。

 ――大事な義理の妹。

 俺は、嘘は言っていない。


 「馬鹿じゃん?」


 ああ、まったく、馬鹿極まりない。

 こんなに口が悪いのが、可愛くってしょうがねぇんだから。

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