俺の妹がこんなにも可愛い②
永美の先に立って、うってつけの場所を求めた。俺の足は、無意識的に屋上への階段を上っていく。あの踊り場には嫌な思い出しかないが、俺にはちょうどいいだろう。男女のやり取りをするには、茅ヶ崎に悔恨を突き付けられたその場所はいい重しになるはずだ。
軽率な行動は、もう必要ない。
「それで?」
振り返れば、永美はがちがちに緊迫していた。労しいほどの強張りに、こちらのほうが固唾を飲んでしまう。
「いらないってことだって、分かっていましたの。けれど、わたくし、どうしても伝えたかったのですわ」
頬に篭った熱が、赤く燃え上がっている。
「瑞樹さん。わたくしの気持ち、もらっていただけませんか?」
お嬢様らしからぬ威勢で眼前に進呈された包みを見つめた。
「……ごめん」
「他の方のものは、受け取られていましたのに、わたくしはならないのですか?」
「あれは勝手に置いていかれたやつ。名前もないし、返しようもないから、仕方なくそうしてるだけだ。直接渡された分は、全部断った」
突き出された腕は、まるで凍結でもしているように退却しない。
「……様々な方とお付き合いをされてきたと聞きました」
言葉選びが上品なことだ。
その伝言ゲームは、もっと手加減のない下品な言い回しであろう。どこから、なんてものは詮無きことだ。
茅ヶ崎が言いふらしたなんて、疑惑の目は向けるまでもない。そんなことはせずとも、ちょっと調べれば誰かの口から割れることだ。箝口令など敷いてもいないし、そんな制御が利くわけもない。
和方家の情報網を用いれば、尚の事容易に入手できそうである。これは俺のお金持ちキャラへのイメージでしかないけれど。
「だとしても、永美の気持ちには答えられない」
「心を入れ替えましたの?」
どうだろうか。
俺の根本は、変わっていないはずだ。表立った行動が変わっただけのこと。入れ替える心など、どこにもありはしない。
それは小学生のころ、茜音に預けたっきりだ。
「ごめん。……好きな人がいるんだ」
ゆるりと、永美の腕が落ちていく。
「そうなのですね」
「……ああ」
口にして、やけにすっきりとした。
俺は今まで、好きな人を外部に示したことなどなかったのだ。人物を指定したことなど、かつて一遍もなかった。
「沢山、お時間を頂いてすみませんでした」
「いや、俺こそ、ごめん」
「いいえ。そんな顔しないでください」
ふるりと首を振る永美は、困ったように眉尻を下げる。
俺はどんな顔をしているというのだろうか。この一週間、くまは消えていないし、ろくな顔色はしていないはずだが、それほど目も当てられないのだろうか。
「そんな思いつめた顔しないでくださいよ。瑞樹さんがその方を、想っているのはよーく分かりましたから。ね?」
「……そんな顔は」
「してますよ。分かります。瑞樹さん、そんな顔されるんですのね」
無自覚だけれど、あまりに言われると気恥ずかしさが急上昇してくる。思わず片手で顔を覆い隠してしまった。
「大好きなのですね」
「……ああ、ずっと、大事なんだ」
言霊はあるという。
自分が肝に銘じていることならば、口にせずともいいだろうと思っていた。何が変わるのだと、けんもほろろだったかもしれない。そして、誰にも言うことは許されないと思い込んでいた。
けれども、口にした想いは立体感が増したようだった。心が叫んで、身体の隅々に行き渡る。
大事だ。茜音が。
「そんな風に言われてしまったら、引くしかないですよ」
「ごめん」
「謝らないで下さい」
こんな風に良識的な告白現場を作り上げたのは、ほとんど初めてに等しいかもしれない。
いつもふざけていたわけじゃなかった。けれど、後のことだとか。相手のことだとか。真剣に向き合っていたかと問われれば、疑惑の判定だ。後腐れさえなければ、絶縁状態になることも吝かではない。そんな突き放し方をしたこともあった。
こんなにも前向きに、円熟した気持ちで、紳士的にいられたことは例がない。俺はいつだって、良心を咎められてばかりいた。
「ありがとう」
「? わたくし、お礼を言われるようなことはやってませんよ?」
「いいんだ。俺の気持ちの問題」
「瑞樹さんってちょっと変なのですね」
「今頃気が付いたのか?」
片眉を引き上げて気障ったらしく笑えば、永美がクスクスと忍び笑いを零す。こんなにも和やかな空気になるものなのか。
「やっぱり、わたくしは瑞樹さんのことちっとも分かってませんでしたわ。茜音さんにもご迷惑をおかけしたので、謝罪しておいてください」
「茜音に?」
ここでも顔を出す妹の存在には、うんざりする。どう頑張ってみても、切り離せないらしい。
そんなことはしみじみと身に沁みていたけれど、第三者との間でもそれは有効なのだと観念した。運命的だと楽観視できないのが辛いところだ。
「お兄さんのこと、大好きですのね」
「……そんなことねぇよ」
「悲しそうでしたわ。お兄さんが取られるの嫌だったのですよ、きっと」
「気付いてたのかよ」
「……思えば、という話ですよ? あまり良い顔をされませんでしたから」
「すまん。うちの妹が、そんな態度を」
「いいんですの。わたくしももっと空気を読むべきだったのですわ。この話はおしまいです。聞いてくれて嬉しかったですから、もう十分です。ありがとうございます」
断ったことに、お礼を言ってくれた子などいただろうか。
これは、永美が特別なのか。俺が変わったのか。判別はしかねるが、恐らくは後者だ。今までの女の子たちが悪人であっただなんて見限るほどに、落ちぶれたつもりはない。
少しは、真っ当になっているだろうか。こんなもの、結局は過去のけじめに永美を首尾よく使っているも同罪だろうか。
それでも――
「こちらこそ、ありがとう。気持ちは嬉しかった」
「はい」
こくんと笑って頷いた永美の笑顔を、俺はきちんと胸に仕舞い込んだ。
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