俺が迫られて、怒ってる?④
前言を撤回しよう。
いいやつ? どこがだ。
他人の手を借りない? ダシにしないだけだ。
「……利用しようとしたのか?」
「怒ること? そんな子、今までだってたくさんいたと思うけど?」
そんなことは分かっている。
当人からも告げられた通り、茜音を俺へのアクセス地点にしようとした輩はいくらだっていただろう。しかし当時、その経路は遮断されていた。妹はすぐに当てにならないと伝達され、茜音はさほどつらい目にはあっていないはずだ。
……確証はない。随分、危ない橋を渡っていたものだ。
「いたかもしれないけど、それを当て擦ったやつはいねぇよ」
「だって、茜音とそんなに話が合うわけじゃないし? 瑞樹君が相手してくれないなら、時間の無駄だったなーって」
それは衝動的なやり方だった。
女にやるもんじゃなかっただろう。少なくとも、自分よりか弱い相手にお見舞いするものではなかったはずだ。
俺は茅ヶ崎の腕を力任せに引っ張って、壁に押し付けた。壁ドンというには勢いがあり過ぎて、脅迫だ。それでもなお、茅ヶ崎は挑戦的な目つきをして俺を見上げていた。
「それ、あいつに言ったら承知しねぇぞ」
「こわーい。シスコン?」
「そうだと言ったら?」
「……相思相愛じゃん?」
俺は茅ヶ崎の足の隙間に片膝を突っ込んで、身体を寄せた。
相思相愛? 皮肉も大概にしてくれ。妹を引き合いに出される冗談ほど、業を煮やすものはない。
誰が誰をなんだと?
「なぁ、茅ヶ崎。お前さ、俺にどうされたいの?」
するりと腕を撫でるように手を下ろし、腰を抱く。誰かに見られたら、一発アウトだな。と観察する余裕はあったが、腸は煮えくり返っていた。
「どうって」
茅ヶ崎の視線が泳いだ。自分が悪辣な顔をしているのは、誰よりも自分が分かっている。
見下して、押し迫る。仮にオトすことに慣れていたって、雑な流儀に慣れているとは限らないものだ。俺は茅ヶ崎の顎を掴んで、揺らぐ視線を無理やりに合わせた。顔を近付けて、耳元へ唇を寄せる。
手加減などしてやるか。仕掛けてきたのはお前だ。
「抱いてやろうか?」
流し目で窺えば、茅ヶ崎はぱっと目を見開いた。
「やっぱり、そういうことやって」
「やってないって、もう。でも、お前は、茜音を使うんだろ?」
「使うって……」
俺への橋渡しとして友人を続けるというのなら、それは利用だろう。聞き心地の悪い言葉を使ったのはわざとだ。自分の残酷さを思い知ればいい。
「茅ヶ崎、いいことを教えてやるよ」
本能的に落ちた声の低さに嫌気が差す。ドスを利かせようとしたのか。色気を出そうとしたのか。その追及を自身の中で避けたことが、正解を分かっているようで格別に無様だ。
続きを待っている茅ヶ崎を横目に、息を整える。
こんなことをしたことは、今まで一度だってない。こんな吐露を、遊び相手に零すなど前代未聞だった。そんな真似をしてたまるかと、意固地にさえなっていただろう。当たり前だ。言えば、焼かれるような苦しみに襲われると分かっていた。
だから俺は、いくら心に刻んでいても、口にしたことはなかったのだ。
自分の影響力を理解していた。でもそれが牽制になるのであれば、話は別だ。使える手段はなんだって使う。
口八丁手八丁。嘘八百のクズ。
悪評はひとつたりとて嘘ではない。当たり前だ。分かっている。確固として、悪評を立てたのだから。
女遊びが激しくて最悪な兄の後ろに隠れた、不憫な可愛い妹。
母譲りの絹のような金髪も、端整な顔つきも、何もかもが兄に埋もれて、大人しく目立たなくなる妹。兄が放っておけば、やっかみを退けてくれる友がいた妹は安寧であっただろう。
あいつが矢面に立たされることなど、許してたまるか。
馬鹿であることは、痛切に思い知っている。
「俺はあいつのためなら、なーんだってやんの」
我ながら「あいつ」と呼んだその声が、桁外れなまでに濃厚な色を帯びていて、ぞっとした。
馬鹿かよ、本当に。キモい。
呆然としている茅ヶ崎から距離を取って、髪を搔き乱す。最近ご無沙汰だった所業は、やたらと気疲れした。
「お兄ちゃん?」
ぎくりと竦んだ身は、素直なことだった。
これが茜音に見せたくない現場だとしみじみ思っている。昔はこれに見向きもせず、平然としていたのだから、俺はよくもまぁ図太い振りができていたものだ。
「あれ? 涼ちゃんも? 二人で何してんの?」
きょとんと首を傾げる妹が、一等神聖に見えるのは、馬鹿げたことをしたツケかもしれない。
「なんでもねぇよ。お前は?」
「……和方さんが教室に来てるから」
「マジか」
「トイレじゃないの? って言っといた」
口ではぐちぐち目くじらを立てるが、茜音は気が回る子だ。俺が永美から逃げ惑うことに寛容的で、きちんと手助けをしてくれる。
「サンキュ。さすが」
「今戻ったら、捕まるよ」
「待ってんの?」
「和方さんのしつこさなんて、お兄ちゃんが一番分かってるでしょ」
深いため息が、腹の底から零れ落ちる。茜音でさえも、渋面を浮かべた。俺の境遇を、多少は憐れんでくれているらしい。
「涼ちゃん。どうしたの?」
「え?」
涼は壁際に身体を寄せたまま、ぼやっとし続けていた。
「大丈夫か?」
「……なんかしたの?」
俺が思いやれば、先に何かをしでかしている前提を持ち出すのか。なんて妹だろう。妥当であることが、恐ろしい。
「ひどいことは何も」
「ほんと?」
茜音は涼へ問いを投げた。俺じゃ当てにならないってか。
「なんにもないよ。ちょっとお兄さんと話してただけ」
「ふーん?」
お前、それちっとも納得してないし、疑いの目は俺に向けるってどういう神経なの? 俺への気遣いとぞんざいさのバランスが、滅法おかしい。よいほうに天秤を傾けろとまでは言わないから、程よくバランスを取ってはくれないものだろうか。
今はありったけ悪いほうに、おもりが蓄積されている。
「茜音はお兄ちゃんのこと好きだよねって」
「はぁ!?」
「好きじゃん」
「ちがっ……気持ち悪い顔すんな!」
そんな顔をしているつもりはないが、顔の筋肉を引き締めた。
ムキになるほど、本音であることくらいは読め始めている。好かれている自信はあまりないけれど、嫌われてもいなかったようだ。
「茜音が兄ちゃん大好きなのは分かってるって」
「キモい!」
ばっと腕をクロスした茜音は、完膚なきまでに俺を跳ね返す心意気を見せた。顰め面が、凶悪である。慎み深くしていれば可憐な乙女であるのだから、その顔はやめておいたほうがいい。
「事実だろ」
「信じらんない! 何その自信。ナルシスト!」
「知ってるよ」
澄ましてやれば、ぱんと二の腕を引っ叩かれた。むぐぐと頬を膨らませて、ぐりぐりと拳を二の腕に押し付けてくる。詰る言葉の持ち合わせがなくなったようだ。暴力に訴えるとは、直情的である。いつの間にこんなにも、堪え性がなくなったのだろう。
他のやつにはやらないだろうに。
「痛いって」
「ムカつく」
「分かった、分かった」
「でも本当仲いいよね、二人とも」
空々しいと言うべきか、苦々しいと言うべきか。自分勝手に行った宣言の報いを受けていると取るべきか。
俺がこれに異議を申し立てるには、白々しいにもほどがある。茅ヶ崎は、それが嘘であることなど先刻承知なのだから。
やはり、こういった意志表明は例え有効な手段だとしても、奥の手として取っておくべきものなのかもしれない。自分の首を絞めるだけだ。
「もう、いいって。行こう、涼ちゃん」
「うん。じゃ、頑張ってね。和方さんのこと」
「……どうにかするよ」
嫌な共通認識だ。
人として誇れない性癖で結んだ交わりというのは、こうも後ろ暗いものか。それも妹の友人と一体感を味わうことになろうとは、針の筵にでも座っているかのようだ。
下手な協力はしない。そう通じ合えたと分かるのが、まったくもって苦かった。茅ヶ崎にしてみれば、してやったりなのかもしれない。
やられた。
二人にしか通じない言語ができてしまうのは、よくない傾向だ。秘め事を抱えていいことなんて、ほとんどない。この件に関しては、最悪といっていいだろう。
かしかしと頭を搔き乱して、壁際に座り込む。こんなにも分かりやすく頭を抱えることになろうとは。
問題、増えてんじゃねぇか。
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