第三章

俺が迫られて、怒ってる?①


      *************


「茜音ちゃーん。何怒ってんの?」


 ここのところ、しつこいご機嫌窺いが続いている。

 しばしの間付き合いのなかった兄妹だというのに、ひょんなことで詰めた距離はその近さを維持していた。


「怒ってないって」

「怒ってんだろうが」


 問答は平行線で、交わることがない。


「しつこいって」

「答えろって。何を怒ってんだよ」

「……節操がない。だらしがない。デレデレしすぎ」

「してないだろうが」

「してるもん」


 会話が進んでも、対立構造は揺るがなかった。これほど実りのない応酬もないのではなかろうか。視線での鬩ぎ合いは、じりじりと続いていく。


「だって、好みじゃん」

「は? お前、俺の好みなんか知らないだろ」

「お嬢様系好きじゃん」

「そりゃ、スニプルの話だろうが」


 二次元と三次元を混同しているつもりはないけれど、この兄の好みに関しては、ある程度一致していたはずだ。

 といよりは、三次元の好みがはっきりしない。誰だって構わないと思っている節がある。雑食だ。悪食と言うのは、過去の女の子たちに失礼だろう。

 スニプルは、女の子が山のように出てくるラノベ作品で、今冬アニメ化したものだった。瑞樹は、お淑やかなお嬢様キャラを好んでいると聞いている。性格というよりは、おっぱいに敗北した感は否めないけれど。


「とにかく、だらしないことしないで」

「してないって言ってんだろ」

「お兄ちゃんのそういうとこ、嫌いだって言った」

「俺だって嫌いだよ」


 兄は私がどんなに強気に出ても、本気でキレたりしない。眉を寄せることくらいは簡単にするけれど、しょうがねぇなぁ。と折れることが多いのだ。何かと飄々としている兄だった。

 それが、苦虫を噛み潰すように顔を顰める。

 それも自分を嫌いだと言う。ナルシストの兄が、自分のことを嫌いだという。

私は面食らって、まじまじと兄を凝視した。兄は堪えられなくなったように、小さな舌打ちを零す。


「すまん」

「……ううん」


 ふるっと首を左右に振ると、兄の表情が和らいだ。ふにゃりと眉を下げる兄は、いつものやれやれという顔だ。私の知っているお兄ちゃんだ。


「気をつける」

「ごめんなさい」


 そうして兄が歩み寄ってくれて、私は初めて心を晒せる。

 こんな風に、責め立てたかったわけじゃないのだ。兄が他の女性と仲良くすることに口出しする妹が煩わしいなんてことは、百も承知である。

 けれども、この兄には節操がなかった過去があった。だから、私は心配になる。あんなに活発的なのに、何を考えているのか分からないお兄ちゃんは、怖い。心許なくて、ひどく不安になる。

 それならば、世間的には不審な顔をされても、女装コスプレのほうが何百倍もいい。そうやって、意気投合できることが嬉しい。

 離れていた中学時代。それはそれで、生活は滞りなかった。兄とは口をきくこともなかったけれど、それは私だけのせいではないはずだ。兄は家を空けてばかりいた。あちこちを転々として、女の子と歩いているのを目撃することが多かったのだ。

 正直に言おう。

 私はそのたびに、心が割れるような気持ちになった。

 私はブラコンだったのだ。兄妹に初めての恋人ができたことを、全力で快く思う兄妹は少ないだろうけれど、私はひどく不服だった。

 それでも、一人の女性を愛して交際しているのなら、気持ちの落としどころも見つかっただろう。けれども兄は、それを許さぬとばかりに、相手をとっかえひっかえしていたのだ。

 いつも違う人。いつも違うようなタイプの女の子。その子たちを連れて、兄はいつも同じ顔をしていた。飄然とソフトに、おおらかに。それが普通のような顔つきで、女子の間を渡り歩いていたのだ。

 何を考えているのか、まるで分からなかった。

 そして、無節操な兄の噂は瞬く間に広がった。悪評であればあるほど、広まるのも早い。ゲスだのクズだのと、兄の評判は地に落ちたも同然だった。落ちる以前に高評価があったのか。それは知らないけれど、崩落したのは間違いない。

 当時、兄は真面目な女子や潔癖のきらいがある女子からは、存在すら汚らわしいものとして遠巻きにされていた。

 そして、兄はそのことに気が付いていたはずだ。ちょっとばかり鈍感なところはあるが、阿呆ではない。自分の行動が周囲に与える印象を思い至れないほど、客観性に欠けてはいなかったはずだ。

 それだというのに、兄はそれに目もくれず、むしろ淡々と受け止めて生活をしていた。何を考えているのか分からなくて、そして兄を侮辱されることが悲しくて、不当に兄を毛嫌いしようとしていた。

 本当のお兄ちゃんはこんなんじゃない、と子どもみたいな駄々を捏ねていたのだ。

 周りに陰口を叩かれて、女の子となれば見境なく手を出しているのに、家に帰れば当たり前なお兄ちゃんである兄を、どうしたらいいのか分からなかった。

 それがパタリとなくなったのは、高校に入ってからのことだ。兄は初めからそう決めていたかのように、遊び歩くのを止めた。多分、決めていたのだろう。

 中学時代の兄は、噂になり過ぎていた。周囲が創作した瑞樹像から、脱することさえもできないような状態であったのだ。だから多分、兄は中学時代の友人がいない高校を選んだ。

 私がこの高校を選んだのは、兄がいたからだった。正確に言えば、悩んでいた私に、母が何気なく零したのだ。私の候補にあった一校を指さして、これが兄の志望校だと。そうして私は、兄の背を追った。

 どんなに嫌いになろうとしてもなれなくて、同じ学校にいることが嫌になった中学時代。それでも私は、兄と離れられなかったのだ。

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