ノーコスプレ・ノーライフ⑤

「あ、瑞樹君」


 茜音と次の相談を――というより、一方的に次を推し進めていたスズが不意に俺を見上げた。茜音よりも下にある小柄さは、何度見ても中性さを痛感する。

 背丈で男女が決まるわけではないが、でかい男が女らしくあるには図体は足枷でしかない。少なくとも、俺はそうだ。


「和方さんとは会った?」


 首を傾げられて、俺は額を押さえて嘆息する。


「え? まずいこといった?」


 ぱちぱちと瞬きをするスズは、俺と茜を交互に見遣る。その動作から、茜音にも渋みが滲んでいることを察した。


「会ったけど……」

「噂になってたよ。瑞樹君に会うために転校してきたんじゃないか、とか。あんなお嬢様のお眼鏡に叶うなんて瑞樹君は富豪の息子なんじゃないか、とか」

「噂ってのは、往々にしてデマってもんだろ」


 ただの辟易が、深刻な悩みのタネに様変わりする瞬間である。学生にとって、噂というのは見過ごせない。

 中二のとき、学校中に広まった女たらしの二つ名は、卒業まで剥奪されることはなかった。まぁ、事実であったのだから、口を出す余白もなかったのだが。

 因みに、高校になってもなお、その噂の影は完全に排除できていない。中学時代の友の少ない高校に進学したつもりだったか、中学の横の繋がりは俺の悪事を共有していた。これは千里くらいには、伝達されてしまっているのかもしれない。


「お兄ちゃんを追ってきたのは、嘘八百って感じでもないんじゃん?」

「そうなの?」


 丸いどんぐりのような瞳を見開いて、スズが俺を見る。手放しに感心したような煌めきが、くすぐったいやら、いたたまれないやら。


「ただの偶然だ。茜音と一緒だったときに遭遇したことがあるってだけ」

「一目惚れされたってこと?」

「いや、だから」

「何でそこ頑ななわけ?」


 俺はかしかしと頭を掻く。

 この憂慮は、基本的にただの第六感頼りでしかない。明確な訳を求められると、思案に暮れた。好きに理由がないのと並ぶ不明瞭さで、永美に纏わりつかれることに忌避感を覚えるのだ。


「瑞樹君はかっこいいし、気立てもいいんだから、謙遜しなくってもいいんじゃない?」

「謙遜はしてない」

 

 突っぱねると同時に、刎ねるような眼差しに刺された。

 茜音の言いたいことは、よく分かる。「ナルシスト、キモい」ってとこだろう。声の調子さえも、完璧に脳内再生できた。これは非常にキモい。


「俺はもう女関係は懲り懲りなんだよ」

「男前発言だなぁ」


 かつての俺を知らないスズは、呑気なものだ。男前を蹴っ飛ばして、ゲスの仕打ちとまで揶揄されたものである。

 事情を掌握している妹は、どんどん不機嫌になっていく。

 構って欲しかった、なんて可愛い告白をされたような気がしていたのだが、あれは白昼夢だったのだろうか。性癖は、立派に毛嫌いしているではないか。


「とにかく、何かと面倒だからあんまり仲良くするつもりはないってことだよ」

「珍しいね。瑞樹君がそんなにきっぱり線を引いちゃうの」

「そうか?」

「だって、いつもはそつなくやってるでしょ?」


 確かに俺はこの一年、一定の距離を保って人付き合いを続けてきた。億劫な人種に関しても、まま平凡にやり過ごしてきた自負がある。スズはよく見てくれているようだ。


「そうなの?」

「そういうのが絡むのは別ってことだよ」

「へぇ」


 スズは要領を得たような、得ないような、判然としない相槌を寄越した。

 この確固たる意志は、何も永美相手だからという諸事ではない。これは俺が女癖を治すと決めた、その覚悟の問題であるのだ。だからこそ、説明は難しい。過去を知らない人間には困難を極めた。

 過去を知る人間にも難しいのは、信憑性に欠けるからであろう。事実、茜音の視線には今をもってなお、疑惑が乗っていた。そんなに山盛りにされたら、お腹いっぱいである。


「今はコスプレで充分」

「あ、じゃあまた合わせでもやろうよ。軽くでもいいしさ。茜音ちゃんを口説いてよ」

「お兄ちゃんに口説かれなくても行くし、口説かれたくないし」

「俺だって口説きたくない」


 露骨な嫌悪感は、感染する。失礼なやつだ。いかにも、俺がそれを望んだように非難してみせるのだから、たまったものではない。

 こんこんと侮蔑を寄越すので、ぐっと眉根を強く寄せた。


「俺は一途なの」

「は? どの口が言うわけ?」


 弁えてはいた。場所への配慮はあったが、俺への気遣いは皆無だった。兄貴に対して――というより、他人に対して、もう少し斟酌しないのだろうか。この娘は。


「一途だよ」

「嘘ばっかりじゃん」

「今はミシュ一筋」

「うっわ、嘘! カノンちゃん好きなくせに!」

「コスプレ的な意味だろ」


 我ながら、言い回しは報われない。寂しさを感じるものではあるが、真実であるのだ。

 オタク趣味はその真剣さを口にすると、途端に気持ち悪さが先立つものらしい。好きを拗らせる状態なのだから、人に言うべくもない性癖をつまびらかにするくらいのものが詰まっていたりするものだ。


「だいたい、ミシュたんは私の嫁だし」

「常套句だとしても、妹に言われるとゲンナリくる」

「キャラに一途宣言もなかなかだと思うよ。瑞樹君」

「本当、それ。俺は俺に一途なんだよ、って言ったほうがまだお兄ちゃんっぽい」

「お前、お兄ちゃんなんだと思ってんの?」

「ナルシスト」


 前々から分かっていたことだ。罵倒のひとつとして放り込まれ続けていたが、まさか本気だったとは。俺は自分のルックスを純然と受け止めているだけで、決してナルシストではない。


「へぇ、意外かも」

「超ナルシストのかっこつけだから、一見普通なの」

「おい、待て。誰がかっこつけてんだよ」

「……それでかっこつけてないと思ってるんだったら、尊敬する」

「手厳しいね」


 スズは他人事のように笑うが、その応対もなかなか手厳しい。

 それにしても、茜音の俺への印象がここまで痛烈だとは思っていなかった。やはり、一緒に遊ぼうなんていじらしくしていたのは、何かの間違いではなかろうか。都合良く曲解でもしただろうか。


「ミシュたん奪おうとした罰」

「お前、同担拒否なの?」

「お兄ちゃんにとられるのは嫌」

「お兄ちゃん拒否なの!? 一緒がいいとか言っておいて!?」

「ちょ! 忘れて!!」

「可愛げがない!」


 外見の可愛さに相反する可愛げのなさは、たまどころか大きなきずだ。これさえなければ、俺は文句なしに妹を可愛いと認められるというのに。そうは問屋が卸さないらしい。

 しおらしくしておけばいいものを。


「二人とも、落ち着いて」


 仲裁される身の置き場のなさに口を噤んだ。いい歳して、妹との喧嘩を同級生に止められるというのは、面目ない。

 お互いに目線で牽制し合い、ぷいっと視線を外した。先にそうしたのは茜音なので、断じて俺発信ではない。そんな幼稚さを積極的に発揮するつもりは毛頭なかった。


「ミシュちゃんが可愛いのは分かってるし、瑞樹君がミシュちゃん似合ってて一途なのも分かってるから。ね?」

「それ、分かってるか?」

「ミシュたんは私のだからね?」

「分かったから、もう言うな。げっそりくる」

「お兄ちゃんにはカノンちゃんがいるんだからいいじゃん」

「カノンは俺の可愛い妹なの」

「……ドン引き」

「人のこと言えないよね、瑞樹君は」


 いつも柔和なスズが苦味を噛み締めるのを見ると、心にくるものがある。


「スズだってそういうのあるだろ」

「そうだけどさ。瑞樹君は淡々と言うのが、クレイジーだなって思ってるよ」

「こいつには負ける」

「お兄ちゃんのほうがキモい」

「あぁ?」


 似たり寄ったりの発言を区分けされると、怒りのマグマが煮立つ。

 キモいことに異議はないけれど、そこに優劣も何もないだろう。何かに熱狂する人間は総じて、我を忘れている。それをキモいと言うのなら、俺も茜音も五十歩百歩だ。いや、熱狂などと大袈裟にせずとも、実際に大差はない。底なしの阿呆である。

 俺と茜音は、喧々諤々とやりあった。スズの緩衝だか軽口だか分からない相槌を片耳に、俺たちは止まることを知らない。

 すっかり永美のことを忘れ去り、趣味の世界に溺れる。ディープなそれは、今の俺の優先事項だった。

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