ノーコスプレ・ノーライフ④
下駄箱そばにある広い教室。俺は茜音をそこに連れ込んで、更に奥へと進んだ。
「ちょっ、どこ行くの」
「地下」
茜音の視線が宙を泳ぐ。そんな部屋があっただろうか、というところだろう。
我が図書室の地下書庫は出入り自由だが、出入りする生徒は少ない。俺も友人に連れられなければ、知ることもなかったはずだ。
「へぇ、こんなとこあるんだ」
「静かだし、人はいないし、穴場だろ?」
「密会の?」
冷たい視線に、片眉を吊り上げてチョップを落とす。
「やめたっつってんだろ」
「……和方さん、よかったの?」
「だから」
「だって、もう永美って呼んでんじゃん」
痛いところを突くのが上手い。俺の天敵は、今も昔も変わらず茜音だ。
「永美がそうしてくれって」
「満更でもないんじゃん」
「だったらお前と逃げてこねぇよ」
ひとけがないとはいえ、図書室の一画である。声はそこはかとなく潜まるもので、俺と茜音もその習性からは逃れられなかった。よっぽど密会めいている。
「……何で逃げてんの?」
「アグレッシブだから」
適当かつ確実な一文に、茜音は唇を縫いつけた。思い当たる節があるのだろう。こいつだって、永美の特攻を受けている当事者なのだ。
「お兄ちゃんが目的だよね?」
「……知らないけど」
「それ以外ないじゃん」
「茜音に感謝してんじゃねぇの?」
「分かってるでしょ」
空惚ける手法は通じないらしい。
俺は腕組みをして、大息を吐いた。それは静寂によく響く。
「……俺は別に何もしてないだろ。茜音が気付いて声をかけた。それだけ」
「お兄ちゃんがルックスで女の子ひっかけるのはいつものことでしょ」
「イケてると思ってねぇくせに」
「そうは言ってない」
憮然に振り切った声には、思わず笑いそうになってしまった。いつもは詰るくせに、こんなときは素直になるらしい。
「お兄ちゃんに会わせて欲しいって何度言われたと思ってんの?」
「悪かったよ」
「ホントに思ってんの?」
「思ってるって。お兄ちゃんは茜音ちゃんに嘘ついたことねぇよ」
これはさすがに、軽薄に過ぎた。
ギロリとした眼光が、薄暗い書庫に光る。疑いなど生温い。これはもはや、犯罪者を見る目だ。あまりの信用のなさに、落涙しそうなほどに胸が痛んだ。
そりゃいつもは口八丁であるけれど、お前相手にそれを使う意味がない。お兄ちゃんが妹に嘘をついたことがないのは、本当だ。どんなに距離があったって、たった一人の大事な妹であるのだから。
加害者と被害者の目配せは、細やかな足音に取り持たれた。
俺と茜音は息を呑んで忍ぶ。永美ではあるまいか、と身を縮こまらせた。本棚に身を隠す徹底ぶりは、滑稽であっただろう。
「瑞樹君?」
案の定かけられた声にヒヤッとしたが、それは突発性への反射に強かった。
「……スズかよ」
「え、何? ダメだったの?」
「いや、むしろよかったけど」
「何それ」
口元を隠して笑う仕草は、ちょっとばかりお嬢様を連想させた。だが、それがスズであるというだけで、その安寧は計り知れない。この小さな友人は、癒し度が高いのだ。
「茜音ちゃん?」
呼びかけに釣られて横目に見ると、茜音は大口を開けて間抜け面を晒していた。拳くらいなら、突っ込めてしまえそうだ。
「お」
なんだ?
「おおおお」
壊れたロボットか。
「男?!」
その悲鳴に面食らって、口を塞ぐ。
たとえ元に戻らないことであったとしても、俺はわずかでも音を消そうと血眼になった。しんと余韻の消えた室内に、どうにも気まずさが漂う。これは上の階にも筒抜けであっただろう。
「でけぇよ、バカ」
「ごめん」
もごもごとこもっているそれは、どうにか謝罪と判別できたものだった。そっと手を離せば
「塞ぐことないじゃん」
と、音速でいちゃもんがきた。もう少し塞ぎ続けてやればよかったかもしれない。
「スズさんって同じ学校だったの? ていうか、男??」
混乱の問いは、俺とスズの間に投げ込まれた。どちらに尋ねればいいのか分からなくなっているらしい。そこまで周章狼狽せずともよかろうに。
「あ、ごめん。これすごく失礼だよね」
慌てふためきながらも、茜音はまごまごと言葉を重ねる。
その様子を見るスズの柔らかい笑みは、子どもを見守るような父性に溢れていた。
「いいよ、気にしないで。あの場では女子っぽく振る舞ってたわけだし、本望だよ」
にこりと笑うスズ――
「で、でも……! ていうか、高校。何で教えてくれなかったわけ?」
茜音の糾弾は、俺に向けられていた。スズには当たれないからって、ターゲットを変えるな。人はそれを八つ当たりと呼ぶ。
なぜかと問われれば、答えはひとつしかあるまい。
「聞かれなかったから」
「お兄ちゃんのそういうとこ、ホント腹立つ」
何かにつけて腹を立てるのだから、指定してくれなくてもいい。お前がお兄ちゃんの逐一にやかましいのは、いつものことだ。
「僕も言わなかったからね」
穏やかな仲立ちには、恩に着るしかなかった。スズに堆く積んだ感謝の念が、またひとつ増えてしまう。泰然自若とした台風の目のような男は、頼りがいがあった。
「僕も茜音ちゃんを年下だと思ってたから……同級生だったんだね」
そういえば、こっちにも話していなかった。
同人活動の場において、そんなことに気を回すことは少ない。合わせをするような仲間の生活はざっくりと推し量れるものもあるが、兄妹云々にまで拘ることはなかった。その面、俺とスズの初対面は学校であるから、知っている個人情報は他人よりは多いだろう。
「そうなんだよ。そっか。私も言ってなかったね」
「お互い様だね」
「うん」
クスクスと笑い合う二人の距離が近い。物理ではなく、心理の話だ。
「……お前ら、そんなに仲良かった?」
あの場では、馴染んでいただろう。しかし、ここまで心を開いていたかといえば、そんなことはなかったはずだ。
「SNSで絡んでるからね」
「瑞樹君はイベントなんかがないと放置だから、気付かないよね」
「そもそも私フォローしてないんじゃん?」
「そうなの?」
いや別に、随意にすればいい。すればいいのだが、俺を置いてけろりとSNS話に花を咲かせられていると思うと、面白くはなかった。
これは唯一の女装仲間を取られたからか。はたまた、唯一の妹を取られたからか。どちらにしてもみっともなくて、後者に至っては殊更、矜持を挫いた。
俺は妹を大事に思っているが、過保護な親父のような束縛心を持つのは願い下げだ。嫉妬など、認めるべくもない。
「そういえば、どうしたの? こんなところで。瑞樹君がコスプレ話もないのに顔見せるの珍しいし、二人でいるところなんて初めて見たけど」
「ああ……」
スズの登場によって失われていた疲労が、一気に襲いかかってきた。
「ちょっとな」
「二人でコスプレの話とか? 茜音ちゃんまたやってくれるんでしょ?」
「き、機会があればだって!」
「機会ならまた作るよ」
濁した事情は、趣味に取って代わられる。この趣味の中毒性が分かっているだけに、気持ちは理解できた。
そもそも、流れは自然である。自ら躱しておいて、追及が来ないことを残念がっている場合ではない。
俺は困ったちゃんか。
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