ノーコスプレ・ノーライフ③

 あの日。――茜音に女装コスプレがバレた日。

 俺たちは、イベント会場から自宅までともに帰った。

 相互に、相手の趣味レベルを探っておきたかったのだ。狼狽えていたのである。自宅に戻ってやればいいものを、わざわざ道中で行っていたことで、その焦燥が窺えるというものだった。

 そんな状態であったから、はしゃいでいる――地に足がついていないようにも見えたことだろう。実際、FO話で盛り上がっていた。

 和方を助けたのは、そのときだ。

 駅の階段横。ベンチの隅のほうに、彼女は蹲っていた。その容態の悪さに気が付いたのは、茜音だ。一瞬で気遣わしげになったその心根の優しさには、感服する。しかし、茜音は一人で突撃する勇敢さを保持していなかった。

 ちらちらと彼女に吸い寄せられている視線は、否が応でも気になってしまう。茜音の挙動を傍観できないのは悪い癖だ。


「茜音、お前声かけてこい」

「で、も」

「俺が行ったら面倒だろ。駅員呼んでくるから」

「……うん」


 一人で踏み切るには果敢さが欠如するが、指示を与えれば茜音は動ける。指示待ち人間というほど受動的ではないけれど、こと踏み出す一歩は重いのだ。

 そうして、俺たちは一人の女の子を駅員さんに引き渡した。

 思い返してみても、全体のシルエットがぼんやりとしか浮かんでこない。ハンカチを口に当て、俯き加減でいたものだから、それは致し方ないのかもしれない。俺はほとんど言葉を交わしてもいなかった。

 忘れているのも道理で、茜音が先に思い出すのも道理だ。

 美少女に対する趣向が、こうも簡単に薄らぐのも考えものである。昔の俺ならば、自ら率先して声をかけたはずだ。あわよくば、を考えたかもしれない。そしてそこに、茜音の介在する余地はなかっただろう。

 ……そもそも、二人で出かけるなんてイベントが発生していないか。

 茜音と遊びに出かけたのは、いつぶりだっただろうか。指折り数えてみても、それはどうにも年単位の親交であるような気がした。家族で外出することもあったが、それも数えられるほどだ。父は単身赴任中で、ラブラブであることを隠さない母はしょっちゅう父の元へ出かけている。

 茜音だけなら一人にしなかっただろうが、うちには俺という男手がある。中学時代でも頼りにされていたが、高校になってからそれはより顕著になった。ここ数ヶ月は、母の姿を見ていない。仕送りや電話はやってくるので、放置されているわけではないけれど、生活は茜音と二人が主流になっている。

 茜音との生活は、淡々としていた。飯の準備は茜音が請け負ってくれているが、そのほかの家事は俺の仕事になっている。とはいえ掃除は気が向いたらお互いにやるし、肩透かしを食らうほどに、役割分担ができていた。

 家族とは馬鹿にならないらしい。なんだかんだと言いながら、生活のリズムに差はないのだ。心底、嫌気が差すけれど。茜音との生活が日常となっていた。

 不思議なものだ。

 中学時代の間の悪さは、どこに行ってしまったのか。趣味ひとつが合致するだけで、あっさり気楽な幼少期の頃に戻っていた。

 教室の一番後ろの席から、茜音の姿はよく見える。それにしたって、ブロンドは鮮烈だ。この窮屈な学校という世界は、異物を浮き彫りにするのにもってこいの箱庭だった。

 俺だって、人のことは言えないけれど。

 こうして目立っているのが、俺たち兄妹の共通点だろう。だからこそ、和方が俺たちを探すのは造作もなかったはずだ。

 派手な髪色をした二人。

 学校が同じであることさえ判明すれば、誰かに聞けば一発だ。その学校を特定するのだって、利用沿線がバレている以上、推測不可能なことではない。まぁ、その辺は本当に偶然なのかもしれないが。初日に訪ねてくる積極性を見れば、ともすると調べたこともありえるのではないだろうか。

 俺のこういった勘は、案外当たる。だから、無駄な想像はよくないと、それを実感したのはたったの数分前だ。

 そう思いながらも俺は、既に危惧をしてしまっている。

 そして、それは辛くも――


「瑞樹さんはいらっしゃいますか?」


 叶うことになってしまった。

 和方は、ふらりと現れては俺を呼ぶ。呼びつけは俺に限られていた。目的は早々に表面化する。

 俺は何もしていないというのに。

 しかし、和方は柔軟だった。俺が席を外していれば、茜音を捕まえて話を弾ませようとする。この辺りの機微は読めない。俺に分かるのは、とにかく茜音が迷惑していることだけだった。

 多分こいつも数回の接触で、和方の標的が俺であることに勘付いたはずだ。故に、自分が捕まっている理由が分からないのだろう。後は、単純に人見知り継続中だ。打ち解ければ早いのだが、そこまでが長い。同志であれば、あれほど早かったというのに。

 合わせ現場での茜音の適応性は、規格外だ。だから俺だって、コスプレに向かって背中を押したし、今後も仄めかした。

 そんな風にコミュニケーションが得意ではないから、茜音は和方に捕縛されてつくづく困り果てている。

 かくいう俺も、困惑を隠せない。

 お嬢様らしい腰の低さと、アグレッシブさが同居した女の子にアピールを受けるのは初めてのことだった。和方家のお嬢様というのは本当らしく、そうなると俺はますます進退窮まる。

 そして、あの日――出会った日はどうしておられたんですか? という質問が俺を更に追いつめた。

 女装を暴露するつもりなんてない。この箱庭において、突っ込まれる要素はないほうがいいに決まっている。カーストの下方にぶん投げられたいとは、誰も請わないものだ。

 そりゃ、個人的にはカーストに必要以上に固執するつもりはない。ただどうしたって学校にいる以上、その輪からは外れられないのだ。それは俺だけでなく、茜音とて同じことである。

 あいつは見てくれが大部分を占める形で、カーストの上のほうに身を置いていた。茜音自身は、さして気にしていないのだろうが、俺のせいで落ちたなんてことは気が進まない。後で文句を言われても困る。

 そんなわけで、愛想笑いで口篭もりながら、俺は和方を受け流していた。たったの一日で早くも辟易という言葉が浮かんでくるのだから、そのうんざり感は計り知れるというものだろう。

 和方の勢いに、俺は退勢気味であった。


「瑞樹さん」


 放課後になって姿を見せた彼女に、顔が引き攣ったことは誤りだと思いたい。女子に声をかけられて、身を引くというのはかつてなかったことだ。一年のコスプレ活動で、たらし趣味の波は引いてしまったらしい。


「ごめん。ちょっと用事があるから」


 手刀を切って、和方の横を通り抜けようとする。その手が俺に伸びかけているのが、視界の端を掠めていた。俺はするりと身を翻して、目の前に捉えていた茜音の背を押す。

 きっと俺が逃げたら捕まるであろう次の相手であり、これを捕まえられると最終的には俺に繋がってしまう厄介な存在だ。逃亡するならともであるほうが得であるし、共犯者が欲しかった。


「茜音、行くぞ」

「え、は?」

「いいから」


 ぐっと背に身を寄せて、唇を動かさずに囁きかける。

 怪訝極まる顔が俺を振り返って、激しく歪んだ。そんな気色悪いものを見るような顔をするな。俺だってお前に囁きかけるなんて、胸やけがしそうだっての。


「ごめんな、永美」


 これは何も、俺が好き好んでそう呼んでいるわけではない。

 昼休みにやってきた和方に、永美と呼んでくれと懇願されたのだ。残念ながらそれを断る態のいい文句はなく、受け入れるほかなかった。

 折りしも俺は、女子と距離を縮める方法ばかりに心を傾けてばかりいたものだから、距離を取るのが苦手なのである。


「あ、はい。お気をつけて」


 ふんわりとした茶髪が萎れているような声が、背に乗る。重苦しいものを背負わされたような気分だが、相手はしていられない。

 火遊びはやめたのだし、茜音との外出事情を把握している人間はあまり好ましくないのだ。しかも、イベント日のことである。致命傷になりそうなものを避けるのは、女性関係において最も重要なことだ。特に俺には重大なことである。

 永美は思いの外あっさりしていたが、眼前の茜音の様子はふるわなかった。仏頂面が手に取るように分かる。足取りも重く、ほとんど俺に身を預けていた。

 マジで重い。


「自分で歩けよ」

「歩いてるもん」

「重い」

「ひどい! これでもちゃんと適正体重だもん!」

「分かったから、騒ぐな」

「てか、用事って何?」

「いいから、行くぞ」


 逃げるぞ、という手ひどい単語は却下した。それはいくらなんでも永美に失礼であろう。

 茜音の不平不満は聞き流す。これくらいなら、まだまだ序の口だ。茜音だって本気ではないだろうと決めつけて、俺はその背を押し続けた。ぐいぐいと押せば、茜音は抵抗なく従う。

 ああだこうだ言いながらも、撥ね退けないところが茜音だ。俺に対しては横暴であると信じていたが、そうでもないらしい。よく分からないところで従順だった。その辺の男にころっと騙されやしないだろうかと、眉が曇る。他人であれば、その筆頭になりかねなかった俺が思うことではないけれど。

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