妹が俺のファンなんですけど!⑥

 夕暮れの街並みを、ゆるりと肩を並べて歩く。こんなシチュエーションは久々だ。

 まだふんわり感を残したブロンドが赤い夕日に照らされて、独特の色味に彩られていた。


「楽しかったぁ」


 口を開けば、声高に同じ感想ばかりを零す。頬の紅潮は、夕日によるものばかりでもないのかもしれない。


「よかったな」

「うん! スズさん、すごくいい人だったね。カノンちゃんやれたのも嬉しかった」

「またやりたい?」


 スズからは、その気があればいつでも言って欲しいと熱烈な勧誘を受けていた。きっと俺のときと同じように、手厚く世話を焼いてくれるのだろう。


「んー……、どうだろう?」

「なんだよ、はっきりしないな」

「楽しかったけど、写真は緊張するし、イベントって言われるとそれはちょっとなぁって」

「人見知りひどいからなぁ」

「だって、お兄ちゃんが」

「俺?」


 突如過失を押し付けられて、眉根を寄せる。

 茜音の人見知りに俺が関わっているなど、初耳だ。なんだその責任転嫁は。


「お兄ちゃんがいっつも取り持ってくれてたから」

「……そうだったか?」

「今日だってそうだよ。スズさんとの間にすって入ってきてくれるから、それに慣れちゃったんだよ。ダメだって分かってるけどさ。イベントになると、写真撮られるのと二重で緊張しちゃうからなぁ」


 茜音は何事もないように言うが、俺としては聞き捨てならない。自分のそんな癖、自覚がなかった。

 ……マジで?

 まったくの無自覚で、妹の人間関係に手出しをしていたらしい。語り口から、過干渉とみなされていないのは救いだ。だが、無性に手をかけているようで、背筋が痒くなってくる。


「お兄ちゃんは、最初から平気だったの?」

「写真?」

「うん。手慣れてた」

「まぁ……今よりはひどかったけど、お前ほどじゃなかったんじゃないかな」

「いいじゃん。今日は体験だし、相手お兄ちゃんだったから他人に迷惑かけたわけじゃないし」

「お兄ちゃんには迷惑かけていいと思ってんの?」

「だって、お兄ちゃんだもん」

「お兄ちゃんだって、迷惑かけられたら普通に迷惑なんだけど」


 兄を敬う気は、更々ないらしい。そんなものは日常から分かりきっていたが、ここまで気を遣わないものだとは思わなかった。


「でも、だって! 私のお兄ちゃんだもん」

「意味分かんねぇよ」


 苦い笑いが広がる。身内だからいいという論法は、理不尽ではあるまいか。


「今日ね、みなさんが話してくれたの」

「は?」


 唐突な語り口調に疑問を呈したが、茜音はスルーをして次を語った。話の行方が分からない。


「ミズキはすごく気遣いをしてくれて、誰とでも……特に女の子との撮影でも嫌な思いをひとつもさせないくらいスマートだって。格好もいいし、綺麗だし、気も利くし、とにかくいい人だって褒めてもらっちゃった」


 他人が他人に話した自分の評価を聞くのは、少しだけズルをしている気がする。しかも、そこまでべた褒めされているとも思わなかったし、それを茜音が極上のように言うのも予想外だった。

 はにかむ横顔が太陽の光を浴びて、ひどく眩しい。


「だからね、っていうか、だからってわけじゃないけど、お兄ちゃんはちょっとくらいの我が儘は許してくれるくらい、心も広いの。みんなが言うみたいに、お兄ちゃんはいい人だから」

「……だからって、俺は無条件降伏してるわけじゃないからな」

「分かってるよ。でもね」


 ぐっと言葉を切った茜音は、深呼吸をした。こちらを向いた顔が逆光になっていて、よく見えない。


「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだから」


 ああ、おにぃの破壊力なんてそんなもの微々たるものだ。この馬鹿が使うこんなタイミングのお兄ちゃんに比べたら、あんなものミジンコ以下だ。

 頬が熱い。


「馬鹿じゃないのか」

「うるさい! もう言わない」


 ふんっと鼻息を鳴らすと、忙しなく顔を背けてしまう。どんな顔をしていたのか。今になって、表情が見えなかったことがもったいなくて仕方がなくなった。


「もう兄ちゃんと遊んでくれない?」

「はぁ?」


 恨み節全開で振り向かれる。行動力的には大人しいやつだというのに、表情はくるくる変わる百面相だ。そういうところが、茜音の味わいだろう。

 だからこそ扱いやすいともいえるのだけど。これを言ったら、それこそ不機嫌を飛び越えてキレるだろうから内緒だ。


「いや、やんないんだろ?」

「迷ってるの」

「ふーん?」

「迷惑じゃない?」


 小首を傾げて様子を窺う茜音からは、しおらしさが顔を出す。

 感情の波は、ジェットコースター並だ。これに振り回されることになんとも思わないほどには、麻痺している。


「知ってた? お前の兄ちゃん、やさしーのよ?」

「……知ってる」

「茜音がやりたいんだったら、別にやればいいだろ。俺は迷惑じゃないし、楽しかったんだろ?」

「うん」

「その気になったら声かけろよ」

「いいの?」


 何をそんなに執念深く確認してくるのか分からなかった。茜音がやりたいのならば、やればいい。それは何の趣味にしたって同じことだ。俺に許可を求める筋などない。

 心から鬱陶しく思っていないことは、茜音だってよくよく身に沁みているだろうに。


「何をそんなに躊躇ってんの?」

「……一緒に遊ぶっていうか、一緒に色んなことやるの嫌じゃない?」

「なんで?」

「お兄ちゃんは、私と一緒なの嫌になったんだと思ってた」


 ぼそりと零されて、髪の毛を掻き上げる。ウィッグを外した頭は軽くて、妙に落ち着かなかった。そういうことにしておいたほうが、自身のためになるだろう。


「そんなわけねぇだろ」

「だって、お兄ちゃん構ってくれなくなったじゃん。女の子ばっかり」

「……もう懲りました」


 中学時代の女遊びを混ぜっ返されれば、俺は納得するより他にない。嫌になったと言われても詮方ない挙動であったであろうことは、明白だ。

 でも、それを言うのなら。


「嫌いになったのはお前のほうじゃないの?」

「どうして?」


 ここで疑点が返ってくるところが、捉えどころがなかった。

 妹だから何もかも分かっている、なんていうつもりは毛ほどもない。ないけれど、こんなところに立ち会うと、さっぱり掴みきれていないと痛感する。


「俺のそういう仕草好きじゃないだろ? 怒るし」

「……だって」


 唇を尖らせて、口元をむずむずと蠢かせる。うじうじすると、がぜん内向的に見えてくるので、堪ったもんじゃないのだ。泣き出すんじゃないだろうか、と懸念が広がる。

 こんな調子であるから、俺は最終的には茜音に強硬的でいられないのだ。


「構ってくれないんだもん」


 蚊の鳴くような小声が、か細く落ちる。

 心臓が止まるほどのインパクトに、危うく取り零すところだった。じっくりと見つめれば、茜音は目を伏せ続けている。


「どうしたの、茜音ちゃん。そんなに素直になっちゃって」

「うるさい! 楽しかったから、ちょっと浮かれてるだけ。もう言わない。絶対言わない」

「お前、馬鹿なの?」


 ついさっき、同じようなテイストのことを口にしたばかりだ。だというのに、誘導すれば白状したのだから、純粋にもほどがある。

 ここまで真っ直ぐに育つとは、俺に似なくて本当に良かった。


「もう、帰る!」

「帰ってるだろうが」


 茜音はずんずんと先に進んで、俺を置いていこうとする。怒ってるわけではないんだろうけれど、不貞腐れているのは確実だ。

 早足で追いつけば、茜音はそっぽを向いた。あからさまな態度は、へこむことを通り越して笑えてくるくらいだ。

 勝手に本音を語って、勝手にかっとなっている。普通なら、多少なりともこの不条理さに苛ついたりもするものだろうか。俺は案外、茜音に対してキャパシティが広いらしい。

 優しいお兄ちゃん、は冗談半分だったけれど、嘘でもないようだ。


「茜音」


 ぐっと唇を引き結ぶのが、横顔でも分かる。


「また一緒にでかけような」

「……無理しなくてもいい」

「そこは素直に甘えて頷けよ」


 ぐぐぐと眉根にも皺が寄って、どんどん苦渋の顔色に変貌していく。こればかりは、妹贔屓の俺でも可愛いとは言い難いかもしれない。差し控えたほうがいい。

 片時、一人で顰め面と格闘していたかと思うと、茜音はふっと肩の力を抜いた。葛藤具合は読めたが、心の運びを読むことはできない。俺はエスパーじゃないのだ。


「お兄ちゃん」

「ん?」

「ミズキさんって褒めても呆れない?」

「……呆れてるけど、ウザいとは思わない」

「本当?」

「お前、俺のことなんだと思ってるの?」


 なんでこんなにも、厳重に尋問されているのだろうか。俺はそれほど上っ面で相手をするように見えるほど、インチキくさいのだろうか。

 そりゃ、普段は蔑ろにしている。

 でも、俺だって空気は読めるのだ。今、茜音が真面目に聞いていることくらいは看破できる。いくら時間が経過していても、それくらいは分かった。


「……お兄ちゃん」

「うん」

「昔みたいに一緒にいてくれる?」


 奥ゆかしいテンションで、俺を見上げてくる。

 翡翠の瞳を揺らして首を傾げる茜音は、小さなころと何ひとつ変わっちゃいなかった。いつもと違うブロンドのウェーブに違和感を覚えるほどには、変わりがない。

 昔から変わらずに、俺の可愛い妹である。


「茜音がそうしたいならいくらだって付き合うよ」

「うん。ミズキさん、好き」

「素直じゃねぇなぁ」


 そうでもして憎まれ口を叩かなければ、照れくさくて敵わない。少しくらい可愛いことを言えばいいのにと願ったりもしたが、まさかこんな変化球が投じられるとは予期しないではないか。

 まったくもって、心臓に悪い。


「じゃあ、瑞樹」


 俺は今度こそ本当に仰天して、その場に立ち竦んでしまった。

 昔は――小さなころは、お兄ちゃんなんて殊勝な呼び方をしていない時期があったのだ。気さくに俺を呼ぶ少女を、俺は誰よりもきちんと覚えている自信がある。

 茜音はふわりと俺を振り返り、眉を下げて笑った。

 迷子になった心許ない子どものような。しょうがないな、と窘めるようなお姉さんのような。色んな面をごっちゃにしたような顔で、茜音が笑う。


「一緒に色んなことしようね」


 にぱっと無邪気に笑う顔は、俺が一番好きな茜音の表情だった。


「ああ」


 頷けば、上機嫌で俺の隣に並んで腕を引く。一人で帰るんじゃなかったのかよ。そんな小さな妹みたいな真似をするな。可愛いから。

 妹萌え? いやいや、違う。

 これは茜音が極度のブラコンなのである。

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