妹が俺のファンなんですけど!⑤

「どうすればいい?」

「見上げるやつはどうかな?」

「ああ」


 頷いた俺は、茜音の向かいに立って膝をついた。

 ミシュはカンナに対して、おふざけで王子のような所作を行う。しゅっとした宝塚女優のような物腰も、ミシュの人気の秘訣だ。

 そしてコスプレをしたからには、作中のポーズを再現してみたくなるものである。

 平素なら、このポーズは遠慮していた。なぜなら、これには相手の手を取って口付けるという気障なおまけがつくのだ。カンナは手袋をしているし、現実に唇を押し当てるまでを求められていないのは把握している。それでも、俺が行うには少々問題があるのだ。

 自意識過剰と言われればそれまでだろう。しかし俺は、実際にこんな素振りを駆使して、女の子を口説き落としたことがある。自分に内在する行動パターンとの合致は、いくらポーズと言えども不適切であるような気がしていた。

 だから、普段なら断る。しかしまぁ、今日は大盤振る舞いをしてもいいだろう。何しろ相手は妹で、萎縮する間柄ではない。

 膝をついた俺は、手を差し伸べて茜音を見上げる。下からのアングルは、ただでさえ大きな胸がやけに豊満に感じられていただけなかった。

 これは元のオンラインゲームにはないアクションだが、茜音もこのやり取りは熟知しているはずだ。にもかかわらず、茜音はぱちくりと俺を眺めていた。


「茜音、手」

「あ、うん」


 おずおずと伸ばされた手を取る。白い手袋に包まれていても、その華奢さは雄弁だった。もうこの手に触れることも滅多にないものだから、不思議な心地がする。

 そして、どんなに理想的だと言われても、俺の手は紛れもなく男のそれだ。女性らしくありたい願望は一ミリもないのだが、こうして魅せられてしまうと少しは口惜しい。

 せめてもう少し線が細ければ、もっとコスプレのレパートリーを増やせたことだろう。俺はやるならイメージを過剰に壊したくない派だ。


「ミズキ。キスお願い」

「……直接的過ぎだろ」


 キスシーンと言われてしまうと、忌々しくてならない。妹とそんな場面に突入するなど、バツの悪さが最高潮である。茜音も口をへの字にひん曲げていた。

 そういえば、俺のこういった動作に一番口うるさいのは茜音だ。自重すべきだったか。思うには、後の祭りだった。もう、引くに引けない。

 俺は背筋を伸ばして、茜音の指を引き寄せる。そっと手の甲に唇を寄せて、押し当てることなく静止した。ひとまず、目は伏せる。本編では見上げるパターンもあるが、俺はあえて粛然としたほうを選択した。

 写真映えするだろう、という心算がひとつ。茜音の様子を察知したくなかったことも、ひとつであったかもしれない。

 動かない俺たちをモデルに、シャッター音が響き渡る。スズの衣擦れが、やけに聴覚を叩いていた。視界をシャットアウトした分、些細な物音を敏感に拾っているらしい。


「ミズキ、見上げてもらってもいいかな?」

「分かったよ」


 顔を見合わせるのは、若干のきまりの悪さがある。

 いっそのこと、よく知らない女の子相手のほうが、俺は無造作に格好をつけられただろう。知り合い――それも身内と言うのは、どうにも動きを固くするものらしい。

 ぎこちなく見上げれば、同じくぎこちない顔をした妹がいた。俺たち兄妹は姿形は似ていないけれど、こういったときの感情の運びだけはよく似ている。


「表情、固すぎ」

「お兄ちゃんだって」

「お前ほどじゃないよ」


 俺は撮られる瞬間には、一応表情を作っていた。しかし、茜音がそんな技を習得しているわけもない。気の毒に。

 スズは表情まで求めるのは酷だろう、と気遣いで黙っていてくれているのだろう。だが、そのせいでコスプレの面白みが減少していることも否めなかった。


「茜音ちゃん、笑ってよ」

「キモい」

「ミズキさんなんだけどね」

「お兄ちゃんだもん」

「お前の思考回路ブラックボックスかよ」

 

 ほとほと呆れ返って半眼する。

 俺は今、間違いなくミシュのコスプレイヤー・ミズキだ。それでも、兄と識別するらしい。都合の良い解釈だ。こいつはその場のノリで、見たいものを見ているだけではないのだろうか。

 TPOくらい持ち合わせているだろうが、兄相手にそれは適用されないとみた。


「茜音」

「だって」


 へにょんと眉尻が下がると気弱さが際立って、カノンらしさが深まる。元より素顔でそれっぽくなっている茜音のポテンシャルが恐ろしかった。


「茜音ちゃん、無理しなくていいからね?」

「でもどうせなら、いい写真残したいだろ?」

「それは、そうだけど……」

 

 想像通りの写真が出来上がったときの高揚感もまた、この趣味の特徴だ。

 フレーム外で、どんなにきついポーズをしていても。背伸びしていても、箱に乗っていても、屈んでいても。写真に写ったものの均整が取れているときの小気味良さはひとしおなのである。どうせなら、体験させてやりたいではないか。

 茜音が何かに臨むのは稀有だ。こいつは安全牌を取るやつなので、新しいことを始めるのが苦手だった。だから、押し切られる形であるとはいえ、こんな風に挑戦できているときには、色々なものを感じて欲しい。

 俺はここ数年、兄らしいことなんてちっともやっていなかった。けれど今、趣味の方面でしてあげられることがあるならば、少しは兄らしく振る舞ってみてもいいだろう。


「茜音」

「なに」

「ミシュのどこが好き?」

「強くてかっこいいところ」

「攻撃力高いしな」

「魔法のエフェクトでキラキラするのも、ミシュたんの美しさがアップしていいよね」

「氷魔法は特に綺麗だよな」

「うん。碧く光る結晶がミシュたんによく似合うの。でも後方支援になりがちだから、他のキャラの周りにエフェクト散ることのほうが多くてあんまり見られないのが残念」

「そういうとこが影の立役者らしくて、ミシュのいいところだろ?」

「お兄ちゃん、分かってる!」

 

 キラキラとした光のエフェクトが見えそうなほどに、目が輝く。好きなことを話しているときの茜音は、本当に楽しそうだ。


「当たり前だろ」

「そういえば、エフェクトだと一度カノンちゃんの周りにも氷の結晶が舞ったことがあったでしょ?」

「ああ……」

「あれ、儚げに見えて良かったよね」

「おにぃ、って小さく呟いてるのも相俟って、すげぇいいんだよな。あのシーン。俺のお気に入り」

「……お兄ちゃんって妹萌えなの?」

「言ってて気色悪くないか」

「いかんともし難い気分」

「アホ」

 

 うへへ、と誤魔化すように茜音が笑う。

 これは馬鹿なやり取りをしたときの、茜音の癖のようなものだ。昔から変わらない、だらしのない笑いである。これで気が抜けるのだから、悪いものではないのだけれど。


「俺はカノンがタイプなだけ」

「おっぱい……」

「黙れ。性格もだ」

「おにぃ、って甘えて欲しいんだ?」

 

 ことんと無邪気に首を傾げられて、俺は黙り込んだ。おにぃの攻撃力を侮ってはいけなかったらしい。

 妹萌え?

 いや、まさか。そんなものはない。


「かーわいい女の子にな」

「巨乳の年下女子に?」

「具体的な好みを探るなよ」

「探らなくても分かるし」

「別に年下好きじゃねぇけど?」

「おにぃなのに?」

「捨て置けよ」


 おにぃ呼びしてくれるなら可愛い女の子がいいだけで、年下の女の子におにぃ呼びをさせたいわけじゃない。そこはイコールではないのだ。

 茜音は、瞬きを繰り返して首を傾けている。これは、明らかに分かっていない顔だ。


「ミズキ、もういいよ」

「え?」


 きょとりとした茜音を横目に、俺は立ち上がって膝の汚れを払った。カメラを抱えたスズは満足げなので、作戦は成功したのだろう。


「撮ってました??」

「撮ってました。いいの、撮れたよ」


 にこやかなスズに対して、茜音はかなり動揺している。

 ひとつのことに集中すると、他が疎かになるのはよくない癖だ。まぁ、夢中だったのはミシュについてであり、俺との会話ではなかっただろうけれど。


「二人ともいいなぁ」


 写真を見返しながら、スズがしみじみと呟く。思い立ったように手招きをされて、二人揃ってカメラを覗き込んだ。


「うわぁ……」

「スズの腕がいいんだよなぁ」

「お兄ちゃんマジミシュたん。腹立つ」

「やかましい。俺のカノンはもうちょっと性格も可愛らしいはずなのに」

「俺のとかキモいっての」

「たん呼びのお前に言われたくない」

 

 これは近頃の俺たちのルーティンに近い口喧嘩であった。喧嘩というにはあまりにもお粗末で下らないものだ。

 しかし、当人たちはこれでも真剣であるのだから、打つ手がない。俺たちは、生粋のオタク気質であるらしい。兄妹として似なくてもいい局部ばかりが似通ってしまっていることは、むず痒かった。


「俺の、には負けるもん」

「ペロペロまで言ってるの知ってるからな」

「それはネタ的にじゃん! テンプレートじゃん!」


 益体もない口論に、地味な笑いが差し込まれる。それはじきに忍びきれずに、弾けるような笑いに変わった。


「二人が仲がいいのはよーく、分かったよ」

「「よくない!」」


 俺たちの間でカメラを操作していたスズは、クスクスと笑いを零し続けている。

奇しくもハモったことが、余分にツボに入ったらしい。俺たちにしてみれば何も面白いことはなかった。どうしてこんなときばかり息が合うのだろうか。

 不快感を示す俺たちに、スズは、「分かったよ」と一向に分かっていない相槌を寄越す。訂正は聞き入れて欲しいものだ。

 しかし、反駁する時間を与えられることはなかった。


「それじゃ、そろそろ片付けよう。撤収するよー」


 スズの主催として号令に、俺たちは口を噤む。時間を目いっぱい使ったのは分かっているだけに、噛みつくことはできなかった。それも、茜音の緊急参戦が時間を食っているのだから、素直に撤収作業に応じるしかない。

 変に意固地になっているとも思われたくなかった。

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