第10話 勝負の日
「僕、ずっと見てました恵理さんのこと。好きです」
思考が一瞬とまる。私のことが、好き? いつから?
「いきなりで驚きますよね。返事は保留にします」
涼くんは少しだけ焦ったような表情をして行ってしまった。
保留にする、それは私の側だと思うが。確かに返事はできなかった。
私は涼くんのことをなにも知らない。けれども涼くんは私を見ていた。そして私が野田さんを慕っているのを知っている。
残り半分のバンドのライブは、半分ほど見た。
〇
六月十二日、土曜日。グラビティの移転をかけた勝負の日がついに来てしまった。
昨日から蒸し暑くなり、今日は一気に真夏日になった。
会場はハーフウェイ。グラビティが推す三バンド、フルムーンが推す三バンドがステージ上で対決をする。
主催・企画はハーフウェイが担当する。会場もハーフウェイ、つまりドリンクの売り上げはハーフウェイのものになるのだろう。
出演バンドは事前に告知されていて、いつものライブの感覚で開催される。キャパ三百五十人と発表されているハーフウェイは満員に近かった。
今日はお客が多そうなので早めに受付をすませておいて正解だった。
スタート時間が近くなるとハーフウェイ入り口には行列ができていた。地元バンドのライブでは初めて見たかもしれない。
スタート時間になり、ハーフウェイ店長からあいさつ。本日の企画の趣旨と進行方法が説明される。
まず演奏順を決めるため、グラビティ店長とフルムーン店長がくじを引く。
お菓子の缶に割りばしが二本入っている。両者にどちらかの割りばしを選んでもらう。選んだ割りばしの先には紙が巻きついている。その紙を広げると、「奇数」か「偶数」が書いてある。
「奇数」を引いた側が一、三、五番目。トッパーを務めることになる。
「偶数」を引いた側が二、四、六番目。トリを務めることになる。
くじの結果、「奇数」を引いたのはフルムーン。「偶数」を引いたのはグラビティだった。
「それでは一番目のバンドの準備をします。十五分後にライブをスタートします」
十五分後か。会場内は満員に近く、窮屈だ。いったん外に出よう。
同じことを考えている人がたくさんいるのか、外に出るまでに時間がかかった。
外は薄暗くなってきたが、この時間にしては明るかった。日中の熱気がまだ残っている。
ライブは愉しみだけれども勝負なので、心の底から愉しめない自分がいた。遠目に百合華を見つけたけれども声をかけられなかった。会場内に戻ろう、さっきと同じできっと時間がかかる。
トッパーはフルムーン側から、ワールドルージュ。
イオアイ市を拠点に活動しているバンドで、ファンも多い。スリーピースの俗に言う歌もの系バンド。歌もの、なんて一言で片づけているわけではない。多分今のところ、その表現が一番メジャーで分かりやすいだけだ。
丁寧な演奏と歌唱。静と動をうまく活かしている。日本語の歌詞が分かりやすく素直に入ってくる。歌詞のストーリーが容易に想像できる。
今日のライブをお祭り気分で見に来た人たちも、私のように重い気持ちを抱えている人も引きこむ演奏と表現力。ヤジは飛ばない。みんなを黙らせる。それがワールドルージュの勝利条件なのだろうか。
演奏が終わると感嘆のため息と拍手が沸き起こった。次が見劣りしてしまうんじゃないかと心配してしまうほどの世界だった。心が熱い。
勝負に不安があるとか、そんな気持ちが払拭されてしまった。ライブを愉しもう。体感しよう。私は強く、自然にそう思った。
ワールドルージュの余韻がものすごく、しばらく動けなかった。
転換中はこのままフロアにいることにした。私と同じような人がいるのだろう。表情を見るとなんとなくそう思う。
次の出演バンドのファンが最前列を陣取っていた。
ステージ上ではワールドルージュのメンバーが大急ぎで撤収作業をしている。
こんなに良い演奏をしても、演者は余韻に浸る暇がないのか。
ワールドルージュが機材をまとめて袖に引っ込むと、すかさず次のバンドが現れる。
ハーフウェイのスタッフも総出でセッティングをする。ステージ上は休まるときがない。
私は今まで気づかなかった。一つのバンドが終わり次のバンドが始まるまでの転換中、廊下や外でお喋りをしていた。友達がいないときはファンジンを読んでいた。それ以外はボーッとしていた。知っている顔がいれば話しかけたり、自由に過ごしていた。それもみんな、スタッフがあんなに忙しなく動いていたおかげだったのだ。
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