第2話 悪魔(貧乏神)の契約



 俺は目の前で味噌のついた指を舐めながら、自らを貧乏神だと言う黒髪の着物美女の前で固まっていた。


 この美女が貧乏神? 確かにこの負のオーラからして貧乏神だと言われれば納得できる。学校にあった書籍じゃ、ヨボヨボの爺さんが好物の味噌を舐めている絵が描かれていたからてっきり男かと思っていた。まさかこんな美女だったなんて。


 ってそこじゃない! 貧乏神が家に住み着いていたってことは……


「じゃ、じゃあうちが貧乏なのはアンタのせいだったってのか?」


「貧乏神じゃからな。妾がいて裕福になるわけがないじゃろ」


「くっ……い、いつから? 一体いつからこの家に住み着いていた? 」


「いつじゃったかのう? 80……いや90回は冬を越したかのう」


「そ、そんな前から……」


 間違いない。八神家が没落したのはこの貧乏神が住み着いたからだ。じゃあ今俺たち家族が苦しい生活を送ってるのは全てコイツのせい……


「で、出て行け! 今すぐこの家から出て行ってくれ! 」


 俺はそれまでの恐怖を忘れ、湧き上がる怒りに流されるように黒闇天を怒鳴りつけた。


「ククク、嫌われたものじゃのう。しかし懐かしいのう。妾の姿を見ることができ、そのようなことを言ってのけるわらべは何百年振りかのう」


「嫌って当たり前だろうが! お前のせいで苦しい生活を強いられてるんだ。有難いなんて思うわけねえだろ! どんなドMだよ!」


「どえむ? よくわからんが答えは決まっておろう。出て行けと言われて出て行くわけがなかろう。まだこの家からは運を吸い取れるからのう」


「このっ! え? な、なんだこれっ!」


 俺はニヤニヤと笑いながら答える黒闇天へ実力行使に出ようとした。しかし足が動かない。震えてとかじゃない。帯状の黒い影のような物が俺の足首に巻き付いていたからだ。


「妾の権能じゃ。まあそんな物がなくともお主程度軽くあしらえるがな。じゃがこの絶品の味噌が万が一にもひっくり返ったら困るからの。で? どうするのじゃ? 力づくでは妾を追い出せぬぞ?」


「くっ……」


 確かに相手は貧乏神や厄病神とは言われていても神だ。人間の俺が敵うわけがない。出て行かないと言うなら俺たちが出て行くか? でもどこに? 金はない。食うことにも困っているのに蓄えなんてあるわけがない。親父のせいで親戚も頼れない。かと言ってスラム街に逃げたとしても、この家にいるより悲惨な目に遭うのは目に見えている。俺たち家族に逃げ場はない。だったら……


「な、なら俺の運だけを吸い取ってくれ。母さんや妹からは吸い取らないでくれ。頼む!」

 

 これしかない。俺が二人の分まで運を差し出せばいい。


「ほう……義理である母と妹の身代わりになるか」


 俺の提案に黒闇天はニヤニヤしていた笑みを引っ込め、目を細めながら少し感心したように言った。


「なんで義理だって知って……そうか。家に住み着いていたんだもんな。見ていたってわけか。まあ義理だからとか関係ねえよ。二人は俺の大切な家族だ。男の俺が守らなくてどうするってんだ」


「なるほどのう。童かと思っておったら男じゃったか。まあいいじゃろ。お主から運を吸い取ろう。じゃが本当によいのか? 今までは少しづつ吸い取っておったから貧乏で済んだが、3人分ともなればお主は大怪我を負うやもしれんぞ?」


「……それはつまりなんらかの不運な事故に遭うってことか?」


「厄病神でもあるからの」 


「それはちょっと困るな……」


 別に死にさえしなきゃ怪我しようが構わない。けど入院とかは困る。バイトができなくなって収入が減って借金を返せなくなるし、なにより俺の入院費を稼ぐために母さんはまた無理をする。そうなったら本末転倒だ。


 でもこのままじゃ母さんと海音みおはずっと運を吸い取られ続ける。どうすれば……


「困っておるようじゃの。ではひとつ妾から救いの手を差し伸べてやろう」


「救いの手だって?」


 何言ってんだコイツ? 救いどころか百年近くたたってたじゃねえか。


「そうじゃ。妾の姿が見えるお主にしかできないことをしてもらおうかの。そうすればこの家から出て行ってやろう」


「出て行ってくれるのか!? 何をすればいい? なんでもするから言ってくれ!」


 俺はこの貧乏神が出て行くと言う言葉に一にも二にもなく食い付いた。


 救いどころか完全に人質を取られた状況での交渉だがそんなの関係ない。コイツさえいなければ、家族が苦しむことがなくなる。


「ククク、そうか。なんでもするか。ではお主が妾の代わりに他人の運を吸い取り、それを奉納するなら出て行ってやろう」


「俺が他人の運を? それを奉納するだって?」


 貧乏神黒闇天が家に住みつき、そこに住んでいる人間から運を吸い取っているように俺が他人の運を吸い取るってことか? そんなことできるのか? いや、神が言ってるんだからできるんだろう。


 どうする? 他人の運を奪うということは、さっき黒闇天が言ったような事が奪われた人間に起こるかもしれない。俺がその片棒を担いで他人を不幸にしていいのか?


 でもこのままでは母さんも妹も不幸になる。家族のために他人を犠牲にする……それでいいのか?


「ほう、まだ悩むか。お主は善人じゃのう。まあ妾の姿が見えた者は皆最初は善人じゃったな。ではそんな善人のお主の心を少し軽くしてやろうかの。なに、ただ他人から運を奪って不幸にするだけではない。それはこの日の本を救うためにもなるのじゃよ」


「日本を救う? なんでそうなるんだ?」


 むしろ運を奪いまくったら日本が不幸になる未来しか見えないんだが?


「ちと地獄の悪鬼どもが調子づいておるからの。このままでは妾を知る日の本の民が減ってしまう。それは妾及びほかの神の消滅に繋がる。じゃからお主に加護を与え、悪鬼どもと戦えるようにしてやろう。これなら日の本を救うことになるじゃろ?」


「え!? 加護!?  加護をくれるのか!?」


 俺が加護持ちになれる!?


 その加護を与える条件として運を奉納しろってことか? どうやって他人の運を奪って奉納するかは知らないが、もし本当に加護を得ることができれば対魔学園に入ることができる。


 対魔学園とは日本軍が運営している学園だ。神からの加護を得た加護持ち。軍では神兵と言うらしいが、その加護持ちと従兵の素養がある人間が入ることができる。学園には神兵科と従兵科があり、神兵科は中等部から。従兵科は高等部から入学する事ができる。


 近距離や遠距離に支援系の加護持ちは強制的に神兵科に入学することになり、中・高等教育のほか軍の士官教育が行われる。従兵科は高等部のみしかないので、そこで高等教育と軍の下士官教育が行われる。


 高等部は4年制となり通常の高校より1年長いが、その代わり卒業後は加護持ちはいきなり士官(准尉)に、従兵は下士官(伍長)となる。しかも在学中は給料が出るという高待遇だ。


 ちなみに従兵とは魔界化した土地で、悪魔と戦う神兵を最前線でサポートする兵士のことだ。


 俺は加護を得られなかったから、従兵として学園に入ろうとしたが……落ちた。


 加護を得られなかったのは仕方ない。加護は12歳から15歳の間に授かる者が9割だ。夢に神が出てきて加護を授かるらしいんだが、今までそんな夢を見たことがない。もう16だし加護は諦めていた。


 そもそも加護を与えられるのは1万人に1人の確率だ。これでも他国に比べたら日本は多神教国家ということもあって多いらしい。今残っているほとんどの国は5万から10万人に1人みたいだからな。


 その学園に入学できれば、勉強しながら給料も出るし借金の返済も楽になる。将来は大佐になるのだって夢じゃない。だから従兵科にと受験したけど結果は駄目だった。


 必死に勉強して筆記も身体測定もかなり良かったと思える出来だった。武術試験だって元は武士である一族に伝わる槍術を爺ちゃんに小さい頃から教わり、爺ちゃんが死んだ後も毎日鍛錬を欠かさなかったのに、さすがはエリートを育成する学園だ。そう甘くはなかった。


 だがしかしだ。今目の前で笑みを浮かべている黒闇天は俺に加護をくれるという。


 彼女が浮かべている笑みは、まるで悪魔が人間を堕落させるために取引を持ちかけているようにも見える。ハッキリ言ってロクな目に遭わなさそうだ。だが俺はそんな悪魔の囁きを無視できない。だって加護を得れば対魔学園に無条件で入ることができるうえに、この貧乏神を家から追い出せる。底辺の生活から脱却できるし、母さんと妹も幸せになるはずだ。


 それに軍人となって加護で得た力で魔界の悪魔どもを倒せば、俺から運を奪われた人たちも納得してくれるはずだ。


 だからもう迷う必要はなかった。


「わかった。黒闇天の代わりに他人から運を奪って奉納する。だから俺に加護をくれ」


 この日、俺は悪魔貧乏神と契約した。

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