第34話 リトライ

 50メートルほど先にいる聖麗奈祖母。聖麗奈さんが手を引っ張っているわけではなく、明らかに徘徊しているようだった。


「とりあえず、おばあさんは保護するぞ」

「お兄ちゃん、よろしく~」


 孫との関係が終わったから放置するだなんて、ありえない。


 駆け出そうとしたとき。

 銀色のなにかが夕陽を浴びて、チラチラと揺れるのに気づいた。


「あっ!」


 小豆色のジャージに身を包んだ少女が走っていた。


「おばあさま、探したのですよ!」


 大切な家族のために。

 必死に声を振り絞っていた。


 お嬢様のけなげな姿を見たとたん、足がすくんだ。


(もう大丈夫、僕の出番はないな)


 バクバクする心臓に手を当てて、自分に言い聞かせる。

 もう、聖麗奈さんは2ヶ月前の弱い彼女ではない。

 体幹も鍛えたし、楽に介護をするための身体運用法も伝授した。


 僕の役目はもう終わったのだ。

 妹がいる方に向かって、回れ右をする。


「あっ~!」

「どうした、芽留?」

「おばあちゃんが転んだ~」


 またしても、あの日の出来事が再現される。


 ちがうのは僕たちがおばあちゃんに声をかけていないこと。


 もし、ここで僕たちが出張ったら、以前と同じコースをループしそうな気もする。

 SFみたいなことは起こりえないと思いつつ、別の未来を掴みたくて。


「今の聖麗奈さんなら大丈夫だ。僕たちも帰ろうか?」


 ところが。


「えっ~?」

「ん?」

「朝比奈先輩がおばあちゃんを起こすのに失敗したんだけど~。パンチラしてるよ~」


 思わず見た。本当だった。聖麗奈さんが尻餅をついている。


「お兄ちゃん、気になるんだ~」

「パンチラじゃないからな。ジャージのズボンだと知ってたし。そもそも距離が遠すぎる」

「パンチラだなんて言ってないよ~」

「と、とにかく、また無理して倒れたら、後味が悪いから近くで見守る」

「いってら~」


 妹に手を振られた。

 聖麗奈さんに気づかれないよう、ゆっくりと足音を立てずに歩く。


「ダメですわね、わたくし」


 夕方の風に乗って、気弱なつぶやきが運ばれてくる。


「うふふふふ」


 今度は天を見上げて、笑った。

 直後、遠くの方で雷鳴がして、お嬢様の自嘲的な笑いはかき消される。


(なんで、悲しそうなんだよ?)


 聖麗奈さん、自分で答えを選んだのに。


「おばあさま、わたくし、最低ですわね」


(そんなことないだろ?)


「大切な家族を見捨てるなんて、お嬢様として失格です」


 彼女の下にだけ、1滴水が落ちる。


「おばあさんのためを思ってなんだろ?」

「……そっ、その声は⁉」


 彼女は地面に膝をついたまま、顔を上げて。

 僕たちは目が合った。


「心春さん、どうしたのですか?」

「たまたま、妹を散歩させてたんだ」

「あの日と同じですわね」

「そうだな」


 すると、聖麗奈さんは微笑を浮かべる。作ったように完全に洗練された仕草だった。


 僕には逆に不完全に感じられた。

 彼女の心をまったく映し出していない笑みだったから。


「ただ、わ、わたくしたちの関係は元には戻りませんけれども」


 彼女を見ていると、自分にウソを吐きたくなくて。


「僕にもう1回チャンスをくれないか?」


 僕は一歩踏み出していた。


「どういうことでございますの?」

「これからも僕と一緒にすごしてほしいんだ」


 ここ数日、何度も願って我慢した言葉を音にする。


「心春さん、ありがとうございますわ」


 礼を言われて、胸が高鳴った。


「ですが、心春さん。わたくしには、もう、あなたにもおばあさまにも関わる資格がありませんの」


 期待はすぐに裏切られた。

 今の僕は1回ぐらいの拒絶で引くつもりはない。


「資格だって? そんなのどうだっていい?」

「どうでもよくありませんわ」

「どうでもいい」

「だって、わたくしは正真正銘の偽お嬢様なのですから」

「……」


「わたくしひとりでは、おばあさまをお世話することができませんでした。結局、朝比奈家の力がなければ、駄目だったのです。こんなの母が求めた立派なお嬢様ではありませんわ!」


 心からの叫びが。

 胸をえぐってくる。


「ありがとう。本音を漏らしてくれて」


 なぜか、うれしかった。


 これまで、聖麗奈さんは強がってばかりで、つらくても意地を張っていた。

 ようやく、今になって、つらい気持ちを打ち明けてくれたから。


 本当に終わりだったら、徹底的に無視するはず。

 ならば、可能性はある。


「立派なお嬢様って、なに?」

「教養があって、品格もあり、他人のために行動できる人ですわ。守りたい人を守れるだけの力を持っている方ですわね」

「完璧な人なんだな」

「そうですわね」


「完璧な人間って、どこにいるんだ?」

「えっ?」

「完璧な人間なんて、世の中を探しても、どこにもいないんだよ」


 正直、ありきたりな言葉だ。もしかしたら、世界のどこかには本物の完璧お嬢様がいるかもしれない。その可能性を無視する。今の聖麗奈さんは冷静さを失っているから。


「完璧な人間ですか……父や母ですら、結婚にあたって、朝比奈家を説得できませんでした。本当に完璧ならば、駆け落ちなんて選ばなかったでしょうに」


 聖麗奈さんは立ち上がろうとして、体がぐらつく。

 僕はとっさに肩を支えた。


「だろ? 立派なお嬢様を求めたお母さんだって、完璧じゃなかったんだ。完璧なんか必要ないよ」


 彼女にとっての支えを否定するようで、罪悪感に襲われる。

 しかし、幻想に囚われている限り、聖麗奈さんは今後も無理をし続ける。

 嫌われるのを覚悟で言った。


「……かもしれませんわね」


 このお嬢様はどこまでも素直だった。


「ですが、わたくしがおばあさまを見捨てようとしたのは事実です。今さら、わたくしの罪が消えるわけではありません」


 またしても、自分を責めようとしている。

 これ以上、話を続けても、平行線になるだろう。


「聖麗奈さんにどうしても見せたいものがある?」


 別の角度で攻めることにした。


「なにをですか?」

「明日、花火大会に来てくれないか」

「……心春さんともう会わないように、椿さんに言われておりますの」

「待ってるから」


 待ち合わせの場所と時間を伝えると、回れ右をする。

 聖麗奈さんから離れて、妹のところへ戻った。


 聖麗奈さんとおばあさんが無事に歩き出したのを確認してから、僕たちも帰路についた。

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