第7章 夏の花

第33話 友人

 7月も残すところ、3日。

 1週間近く、僕はのんびりした夏休みをすごしていた。


「お兄ちゃん、今日も家にいるの~」


 朝食後。パジャマ姿の僕に向かって妹が言う。


「毎日、暑いしなぁ」

「……」

「出かけたいなら、どこか連れてくぞ。映画館とか涼しいところなら助かる」

「なら、メルの友だちを呼んじゃおうかな~。うちの中なら友だちに世話してもらう必要もないし、大丈夫だし~」


 聖麗奈さんの家に行かなくなって、今日で6日目。僕たちの生活は数ヶ月前に戻っていた。


「じゃあ、僕は家で主夫の仕事にいそしむとするよ」

「どっか遊びにいけば~?」

「どっかって、どこに?」


 ひとりで出かける場所なんてない。

 考え込んでいたら、スマホをいじっていた芽留が舌打ちする。


「さすがに当日に誘ってもダメだったか~。何人かに声をかけたんだけどね~」

「なら、友だちを呼ぶのは、また今度な」


 そのとき、玄関のベルが鳴った。

 玄関に行き、ドアを開けると、夏生が立っていた。汗をかいていて、暑苦しい。


「せっかく涼しい家にいるのに暑くなるだろ。帰ってくれ」

「オレは芽留ちゃんに会いに来たんだ。上がるぞ」


 悪友は靴を脱ごうとする。

 芽留も退屈してるし、暇つぶしにはなる。


 とりあえず、リビングに案内した。3人分の麦茶をコップに注ぐ。


「久しぶりにゲームでもするか?」

「そうしたいのはやまやまなんだが、昼から部活でな。真夏に剣道するなんて、地獄だぜ」

「だったら、わざわざ来たんだよ?」

「芽留ちゃん目当てだ。お兄さま」

「妹は渡さん!」

「なら、オレが一本取ったら、芽留ちゃんをもらい受ける」


 お互いに右手を剣に見立てて、構えを取っていたら。


「メルは誰の物でもないんだけど~」


 もっともな意見で、僕たちの勝負は終わりを迎えた。


「芽留ちゃん、物扱いするつもりはないんだ。むしろ、結婚したら、奴隷にしてくだしゃい」

「僕も芽留の意思を尊重するけどさ、変態は始末していいか?」

「別に冗談だってわかってるけどさ~夏生先輩、用事があって来たんでしょ~?」


 妹の許しも出て、助かった。


「そうそう。ちょっと気になってることがあってな」


 夏生は咳払いをすると。


「心春たん、お嬢様と付き合ってるん?」

「ぶはぁっ!」


 予想外の話題が出てきて、麦茶を噴いてしまった。


「なにを突然言い出すんだ?」

陽菜ひなちゃんに聞いたんだよ」

「陽菜ちゃん?」

「同クラの日向陽菜ちゃんだよ。お嬢様と一緒にいる子で、オレが芽留ちゃんの次に狙ってる女子」

「変態さんに突っ込む方な」

「そうそう。この前から陽菜ちゃんを明日の花火大会に誘おうとしてるんだぜ」


「うわっ、サイテー」と芽留が小声でつぶやく。不幸にも、夏生には聞こえていなかったようだ。

 そういえば、明日は近場で花火大会がある。数年前まで、僕も家族で行っていた。


「目標は達成できてないんだけどな、心春たんとお嬢様が怪しい仲だと教えてもらったわけ」


 夏休み前。立ちくらみした聖麗奈さんを支えた場面を日向さんに目撃された。勉強を教え合っていると誤魔化したが、まだ疑われているようだ。


「二人の関係がどうなってるか頼まれたんだ。回答によっては、3分間罵られる権利をくれるってさ」

「なら、ノーコメントだな」

「そんな殺生な。オレ、陽菜ちゃんに突っ込まれると、興奮するんだよ。おなしゃす」

「マジ引くわ~」


 妹が笑顔でドン引きしていた。


「おまえの欲求を満たしてやりたいのはやまやまなんだが、僕とお嬢様はお隣のよしみで助け合っただけ。僕の成績も問題ないし、夏休み明けたら席替えもする。もうお嬢様との接点はなくなったんだ」


 夏生に説明しながら、自分にも言い聞かせる。

 お嬢様への恋愛感情はなかったことにすればいい。


「おまえ、それでいいのか?」

「えっ?」


 夏生が射貫くような目を僕に向けた。小学生から剣道をやっているうえに、古流の剣術まで習っている。本気になりさえすれば、眼力は鋭い。


「心春たん、自分の気持ちを殺してるだろ?」

「んなことないよ」

「オレの目は誤魔化されねえぜ。今の心春たん、あのときと同じ顔をしてるからな」

「あのとき?」

「親父さんを亡くして、芽留ちゃんも歩けなくなって、お母さんも帰ってこなくなった頃だよ」


 やっぱり、こいつは僕をきちんと見てくれる。大切な親友だ。


「師匠のところに菓子折りを持って、剣を捨てると言っただろ。あの日の心春たん、好きなことを無理して諦めててさ。見てるオレまで泣きそうになったんだぜ」

「…………夏生」

「お嬢様のことが好きなんだろ?」


(そこまで察していたのか?)


 軽薄さに隠れた慧眼に舌を巻く。


「陽菜ちゃんもお嬢様のことを心配していてな。『せれっち、ああ見えて、なにかを抱え込んでるから、放っておけないんだよ』って、言われた」


 日向さんの気遣いに鳥肌が立った。


(僕がいなくても、大丈夫だな)


 と、心の中で言う。


「……お兄ちゃん、観念したら~?」

「そうだな」


 認めた瞬間、1週間分の心労が一気に楽になった。


「僕は聖麗奈さんが好きだ」


 僕は夏生に僕と聖麗奈さんの関係を打ち明けた。ただし、おばあさんの件について、勝手に話したらプライバシーの侵害になる。ぼかしておいた。


「どうりで、最近の心春たんは良い顔してると思ったよ。勘が当たって、よかったぜ」

「カマをかけてたのか?」


 夏生はうなずくと。


「で、心春たん、諦めちゃうの?」

「諦めたくないけどさ、僕たちは身分違いだろ」


 秘書に提案された我が家への支援の件も迷う理由のひとつだ。お金に屈するのは癪だが、芽留と母は楽になる。僕のプライドを犠牲にすれば、家族は助かる。


「ホントに諦めていいのか?」

「……」

「剣は落ち着いたら戻れるが、恋愛はちがうぞ。相手が待ってるとは限らんし」

「けど、聖麗奈さんが終わらせたがってる」

「お嬢様も心春たんが好きなんだろ?」


 僕が答えられずにいると。


「朝比奈先輩、めちゃくちゃデレてるよ~」

「見てみてぇ……じゃなくって」


 夏生は僕の方に身を乗り出してくる。顔が近い。


「ふたりとも素直になっちまえよ」


 親友の言葉が痛い。


「しがらみとか捨てて、オレのように素直にアピールしろ。芽留ちゃん、愛してる」

「陽菜ちゃんが好きじゃないんですか~?」

「陽菜ちゃんも好きだけど、芽留ちゃんも好き。悪いことだとわかっていても、気持ちに蓋はできねえからな」

「……サイテーだけど~お兄ちゃんと朝比奈先輩には見習ってほしいかな~」


 芽留まで夏生の味方をする。


「せめて、コクっちゃえ。それでダメなら、諦める。それでもいいんじゃね」


 夏生は麦茶を飲み干すと、席を立つ。


「じゃ、オレ、部活に行くわ」


 親友は笑顔で僕の家を出て行く。


 それから、僕はじっと悩み続けた。

 昼食もカップラーメンで済ませ、夕方になる。


「お兄ちゃん、散歩行こ~歩くと、気分転換になるよ~」

「そうだな」


 妹を僕の悩みに付き合わせてしまった。罪滅ぼしも兼ねて、言う通りにした。

 なにも考えずに行った公園。1周が約1キロで、緑も多い。

 夏の日も沈みかけていて、赤い空は徐々に闇に近づいていく。


「お兄ちゃん、この公園、懐かしいね~」

「えっ、いつも来てるだろ?」


 と思ったのもつかの間。


「あっ!」

「やっと気づいたんだ~」


 ここは、僕と聖麗奈さんにとって、きっかけになった場所だ。


「おばあちゃん、このあたりをさまよってたんだよね~」

「そうだな…………………………あっ!」


 僕は叫んでいた。

 だって。


「あそこで、うろうろしてるの、おばあさんじゃないか!」


 あの日の再現かと思うような光景だったから。

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