第32話 選択
「聖麗奈さん、どうしたの?」
思わず、聖麗奈さんの肩を掴んでいた。
「あれだけ、自分でおばあさんの世話をすることにこだわってたじゃないか?」
「……」
「なのに、急に心変わりして」
彼女の黄色い瞳に大粒の涙が浮かんでいて。
悪い奴だと思いながらも。
「本当にいいの?」
このままだと彼女が後悔しないか心配だったから、僕は反対した。
さっきまで、聖麗奈さんを休ませてあげたいと願っていたのに。
「心春さん、今朝、目を覚まして、熱が下がったのに気づいたとき、わたくし、自分の無力感に嫌気が差しましたの」
「嫌気?」
「だって、わたくしがおばあさまのお世話にすると大口を叩いておきながら、倒れてしまったのですもの。幸い、心春さんと芽留さんが来てくださって、なんとかなりましたが、わたくしひとりでは役立たずですわ」
言葉を失ってしまった。
僕の知っている聖麗奈さんは謙遜はしても、自己否定をしない人だ。
(いや、僕はなにを勝手なことを……)
僕が聖麗奈さんと関わるようになって、たったの2ヶ月。彼女の全部なんか理解できるはずもない。自分のイメージに合わないからといって、期待外れだなんて傲慢すぎる。
「でも、風邪を引いたんだから、他人の力を借りてもいいんじゃ」
「心春さんだって、お忙しい方ですのに。わたくしが不甲斐ないばかりに足を引っ張っておりますのよ」
昨日、熱に浮かされていたときと同じことを言っている。
「わたくし、お母さまが期待するような立派なお嬢様を目指すと言っておりましたが、中途半端でしたの」
うつむいた彼女の銀髪が端正な顔を隠す。
僕が憧れていたお嬢様。
家から追放されていながらも、前向きで気品にあふれ。
僕みたいな不真面目な陰キャにも優しくしてくれて。
なによりも大切な家族のために、苦しくても努力できる立派な子。
そんな魅力的な人を僕は好きになった。
けれど、今の彼女は破滅フラグの回収に失敗して、バッドエンドが確定した悪役令嬢みたいに青ざめている。
がっかりはしていない。
秘書の提案を受ければ、聖麗奈さんは楽になれるし、おばあさんも最高の介護や医療の恩恵にあずかれるのだ。
客観的に見れば、折れた方がベターなのだから。
(けど、寂しいんだよなぁ)
好きな人が二度と手の届かない場所へ行ってしまう気がして。
「結局、わたくしは朝比奈家の力に頼りますのね」
彼女の微笑が、僕の胸をかきむしる。
「お嬢様、遠慮なさらないでください。朝比奈家の思惑はともかく、私は社長からお嬢様への想いをうかがっております。私個人としてはお嬢様の味方です」
秘書の椿さんに悪意がないことが、せめてもの救いか。
「ありがとうございますわ。ですが、椿さんに迷惑がかかりませんかしら?」
聖麗奈さんは感謝を述べつつも、遠回しに秘書に釘を刺す。
言葉を素直に聞いた自分が恥ずかしいと同時に、聖麗奈さんが感情任せに動いてないのだとわかり安堵する。
「朝比奈家にとってみれば、おばあさまにかかる費用は些細な金額です。評判の低下に比べれば安いものです」
「よくわかりましたわ。椿さんにお願いした方がお互いのメリットになりそうですわね」
僕が黙っている間に、結論が出てしまっていた。
僕は部外者。聖麗奈さんの決断を受け入れるしかない。
納得しかけたところで。
「お兄ちゃんはいいの~?」
数メートル離れたソファでおばあさんの相手をしていた妹が突然言い出した。
「芽留なにを言ってるんだ? 他人様の家庭の事情に――」
「関係するよ~。だって、もうメルたちは他人じゃないもん」
妹は唇を尖らせる。
「メル、おばあちゃんと遊んで、自分にも価値があるってわかったんだよ~」
「芽留?」
「メル、歩けなくなったじゃん~。普通の人ができることも手伝ってもらわないとできなくて、実は情けなかったんだよ~。でも、おばあちゃんの話し相手ならできる~。そう気づかせてくれたのは、おばあちゃん」
「……そうだったのか」
気づいてあげられなかった自分が情けない。
「だから、おばあちゃんはもう他人じゃないと?」
「うん、それもあるの~」
「それも?」
妹はなぜか秘書の椿さんを睨んだ。
「秘書さん、おばあちゃんが施設に行ったら、お兄ちゃんと朝比奈先輩はどうなるの~?」
椿さんは咳払いをしてから、僕に頭を下げた。
「本来ならば、あなたとお嬢様が同じ学校に通うこと自体がありえないのです。おばあさまの介護という理由がなくなれば、元の関係に戻っていただく形になります」
「あっ!」
僕は叫んでしまった。
迂闊だった。
どうして、気づかなかったのだろう?
秘書の目的は、最初から朝比奈家の評判だった。
おばあちゃんを施設に入れるのも、朝比奈家のメンツのためで。
「わずか2ヶ月ほどでしたが、お嬢様を支えてくださり、感謝します。ですが、お嬢様との関係が発覚しましたら、少々良くない状況になるのです」
僕という身分違いの邪魔者を排除したがるのも無理はない。
おまけに、秘書は僕と聖麗奈さんの関係も調査している。
「心春さん、わたくしのような偽物は、あなたに似つかわしくありませんわ」
「そんなこと………………」
聖麗奈さんの言葉を否定しようとして、できなかった。
気持ちに蓋をしさえすれば、聖麗奈さんは楽になるんだ。
僕たちヤングケアラーにとって、家族の世話はとても負担になる。
僕自身、部活も、放課後の遊びも、趣味も諦めている。たまたま聖麗奈さんを好きになってしまっただけで、恋も放棄していた。
あくまでも、元に戻るだけ。失うものはないはず。
「茜さん。あなた方にも迷惑をおかけした分、支援はさせていただきます。具体的には、最新のバリアフリー設備が整ったマンションに入れるよう金銭も提供します」
秘書の言葉も耳に入らなかった。
「僕、もう帰る」
「………………うん、お兄ちゃん」
妹は自分の意思で車椅子を動かし、出口に向かっていく。
「失礼します」
僕は聖麗奈さんとおばあさんに頭を下げると、聖麗奈さんの家を出た。
入り口に黒塗りの乗用車が止まっていた。おそらく、秘書の物だろう。
アスファルトが真夏の太陽の光を照り返す。心が蒸発しそうな暑さだった。
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