第6章 空転

第29話 お嬢様の部屋

 夏休み初日。午後4時直前。

 いつもの放課後とほぼ同じ時間に、僕と妹は聖麗奈さんの家を訪れた。


 チャイムを鳴らす。返事がない。

 おばあさんの相手で手が離せないのかも。


「今さらだし、上がらせてもらおっか」

「未来のお姉さんの家だもんね~」


 妹が煽ってきた?


「芽留の許可も出たし、安心できた」


 軽口を叩きながら、玄関のドアを開けた。


 玄関で車椅子用のタイヤカバーを装着する。外を歩いたまま室内に入ると、床が汚れてしまう。防止するためのカバーだ。


 玄関には段差もある。車椅子には厳しい。僕は車椅子ごと芽留を持ち上げ、廊下へ。


 それから、自分の靴を脱いで、家へ入る。

 その間、1分ほど。聖麗奈さんの反応はない。


(セキュリティ的にマズいんじゃ……)


 聖麗奈さんの性格を考えると、よほど手が離せないのだろう。カレー級のハプニングだったら、無理もない。


「芽留、掃除を手伝う覚悟はあるか?」

「どういう意味~?」


 覚悟を決めてリビングに足を踏み入れた瞬間――。


 目を疑った。


 聖麗奈さんが床に寝そべっていて。

 息を荒くしていて。

 おばあさんが聖麗奈さんの前でオロオロしていたのだから。


 聖麗奈さんが倒れているなんて予想外だ。そんな覚悟はしていない。

 いつから倒れていたのか不明だが、3時ぐらいまではヘルパーさんもいたはず。


 僕たちがもっと早く来ていれば、すぐに手を打てたのに。

 僕がだらけたせいで。


「お兄ちゃん!」


 芽留の一言で我に返った。


「聖麗奈さん、どうしたの?」


 僕は彼女のところへ駆け寄ると、かがみ込む。


 熱に浮かされたような顔をしていた。

 寒そうに体を小刻みに震わせている。

 額に手を当ててみた。


「すごい熱だ」

「お兄ちゃん、メルはなにをしたらいい~?」

「うーん、おばあさんの面倒を見てくれ」

「了解だよ~」

「僕は聖麗奈さんを部屋に運んで、寝かせる」

「わかった。朝比奈先輩の部屋は突き当たりの右だから~」


 毎日、来ている家であっても、聖麗奈さんの部屋は入ったことがなかった。いつも、リビングにいる。


 僕は聖麗奈さんをお姫様抱っこすると、彼女の部屋へ。

 ドアを開け、室内を見渡す。変な意味でなく、ベッドを探すために。


 お嬢様らしくない部屋だった。質素だ。目立つ物は本棚と机、それからベッドぐらいだった。本棚は文学全集や百科事典が並んでいる。

 机の上には生け花が飾られていた。


 豪華ではないけれど、教養を感じさせるという意味で、お嬢様っぽいかも。

 かわいい系の物がまったくなくて、女子高生らしさがないのは気になる。


(って、寝かせないとダメじゃん!)


 ベッドで聖麗奈さんを降ろし、タオルケットを被せる。


 あとは、濡れタオルの準備だ。

 リビングに戻る。芽留が洗い桶に氷水を入れてタオルを絞っていた。


「はい、お兄ちゃん、これ~」

「ありがとな」

「おばあちゃんは任せて~。朝比奈先輩の看病をお願いね~」

「大丈夫だ。芽留の看病で慣れてるから」

「エッチなことしないか心配なんだけど~」


 妹はふざけていたかと思うと。


「あっ、冷蔵庫を見たんだけど、スポーツドリンクとプリンとか買った方がいいかも~」

「手が空いたらコンビニに行くよ」


 濡れタオルを受け取る。

 風呂場で風呂桶に水を汲んでから、再び聖麗奈さんの部屋へ。

 うなされている彼女の額にタオルを乗せる。


 眠っているようだし、今のうちに買い物に行こう。

 徒歩3分のコンビニで、妹に言われた物とレトルトのスープにゼリーを買って、戻った。

 冷蔵庫に物をしまっていると。


「お兄ちゃんは朝比奈先輩についていてあげて~」

「わかった」


 三度、聖麗奈さんの部屋へ。


(そういえば、芽留も風邪を引いたとき、僕が手を握ると安心してたな)


 ためしに、やってみるか。聖麗奈さんに効くか不明だが。

 セクハラにならないよね?


 と祈りつつ、聖麗奈さんの手を触ってみた。彼女の手は家事の形跡が刻み込まれていた。


 それでも、手のひらは小さくて、けなげで。

 守ってあげたくなる。


「お母さま」

「えっ?」

「お母さま、手を握ってくださって、ありがとうございます」


 夢でも見ているのだろうか?


「わ、わたくしが熱を出すと……お母さまが手を握って……くださいましたの。お母さまの手は……大きくて、頼りがいがあって…………安心しましたのよ」


 途切れ途切れではあるけれど、はっきりと説明している。

 起きている?


「そうなんだ。僕ではお母さま代わりにならないけど、精一杯やらせてもらうから」


 今の僕にできることをしよう。


「……ふ、服を脱がしてくださいまし」

「へっ?」

「暑くて、汗で気持ち悪いですの」

「う、うん」


 気持ちはわかる。


「でも、僕はお母さまじゃないんだよ」


 精一杯やるとは言ったが、さすがに無理。


「構いませんわ」

「えっ?」

「心春さんにでしたら、肌を晒しても問題ありませんわ」


 僕だと認識しているらしい。


「なおさら、よくない。妹を呼んでくるから、待ってて」

「心春さんがいいの」


 袖を掴まれた。


「そこまで言うなら、僕でよければ」


 僕は聖麗奈さんが着ているブラウスのボタンを上から外していく。


 ひとつ、ふたつ。肌が少しずつ露わになり、ピンクの布がチラチラした。

 服を脱がせるのは妹で慣れてるのに、指が震えてしまう。ボタン外し後半戦はなかなかうまくいかない。


 深呼吸してから、リトライ。大事なところを触ってしまわないよう注意して、脱がせることに成功した。変な意味はないのに、卑猥に聞こえる。


 丸見えになったお嬢様のブラジャー。リボンがかわいい。


(教養重視の部屋にも、かわいいものがあったじゃないですか⁉)


 いやいや、下着の感想より。


 僕は聖麗奈さんが上半身を起こすのを手伝うと。


「はい、これで汗を拭いて」


 水を絞ったタオルを渡す。


「拭いてくださいまし」

「……はい」


 無駄な抵抗はせずに素直に従った。

 背中に濡れタオルを置く。


「ひゃうんっ!」

「ごめん、冷たかった」

「いいえ、大丈夫ですわ」


 バスタオルでの入浴はあっても、素肌の彼女に触るのは初めて。

 緊張感がハンパない。

 肌もなめらかで、めちゃくちゃ綺麗だし。

 頭の中で相撲の四十八手を唱えながら、背中を拭いた。


「ありがとうございますわ」

「気にしなくていいよ」


 ものすごく疲れたけど、気を遣わせたくない。


「前は自分で拭きますわ」


 僕は聖麗奈さんから目をそむける。


「申し訳ありませんわ」

「えっ?」

「わたくしのせいで迷惑をかけてしまい……」

「風邪ぐらいで迷惑だなんて」

「ですが、わたくしは足手まといですわ。おばあさまのお世話もしないといけませんのに、自分が看病していただいているのですから」


 普段は堂々としたお嬢様も熱のせいか、マイナス思考に陥っている。


「聖麗奈さん、きっと熱で弱気になってるんだよ。今はゆっくり休んで」

「そうしますわね」

「僕、なんか作ってこようか?」

「ありがとうございますわ。ですが、その前に着替えたいので、パジャマを取っていただけますか?」

「う、うん、もちろん」

「では、タンスの2段目にありますの」


 下から2段目を開ける。

 すると、白やピンク、クリーム色の布が。下着だった。


 すぐに閉めた。

 上から2段目からパジャマを取りだす。


 聖麗奈さんは体を拭くのに夢中で、僕の失敗を見ていなかったようだ。

 パジャマを聖麗奈さんに渡してから、部屋を出て行く。

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