第26話 プライド
2時間目以降は居眠りこそしなかったものの、聖麗奈さんはお疲れだった。
気にかかりつつも、教室では無関係なフリをしている。僕たちが仲良くしていれば、聖麗奈さんの秘密がバレる危険があるからだ。
隣の席から見守ること数時間が経ち、放課後になる。
いつもどおり、校門で妹を待つ。
妹が来るより前に聖麗奈さんと友だち2名がやってきた。
「聖麗奈さま、夏休みは避暑地ですごされるのですか?」
「おい、和泉、当たり前のことを聞くなし」
お嬢様といえば、避暑地でテニスのイメージがある。聖麗奈さんもテニスが似合いそうだし。
なお、芽留が元テニス部なので、僕的にはお嬢様とテニスは結びつかない。陽キャのスポーツだと思っている。
(きゃぁ、テニス怖い!)
冗談はさておき。
お嬢様へのステレオタイプな見方をされて、聖麗奈さんは内心どう思ってるんだろうか?
「そ、そうですわね……」
聖麗奈さんは僕の前、2メートルほどの場所で立ち止まった。
さりげなく彼女の表情を見る。困っている?
友だちにはウソを吐きたくない。
でも、本当の自分を見せるのも怖い。
2ヶ月近い付き合いから察したかぎり、そんなところか。
「わたくしとしましては、おばあさまと行きたいのですが……」
聖麗奈さん、ふたりにはおばあさんがいると話しているらしい。
「せれっち。あいかわらず、おばあちゃんを大事にしてるんだな」
「あてぃくしも聖麗奈さまの家族になりたい」
「和泉はせれっちと結婚したいんじゃないの?」
「結婚したいに決まってるでしょ!」
変態さん、ついに開き直った。
「変態は無視して……せれっち、悩みでもあるの?」
突っ込み役の日向さんが、心配そうな目を聖麗奈さんに向けた。
意外とめざといのかもしれない。
「日向さん、お気遣い感謝いたしますわ」
聖麗奈さんは笑みを浮かべる。
僕には無理をしているように感じられた。
「おばあさま、ご病気ですの。旅行できるか不明ですのよ」
「そっかあ。悪い、変なことを聞いちゃって」
「うぅぅっ、聖麗奈さまぁぁ」
バツが悪そうにする突っ込みさんと、泣きじゃくる変態さん。
「お気になさらないでくださいまし」
聖麗奈さんが申し訳なさそうに頭を下げた瞬間だった。
いつもなら、綺麗な45度で止まるところが。
まるで、重力に引っ張られているかのごとく、頭が地面に向かっていく。
止まる気配もなく。
反射的に手と足が動いていた。
「危ない!」
かけ声とともに、後ろから聖麗奈さんの腰を抱きかかえる。
どうにか土へのダイブを避けられた。
「聖麗奈さん、大丈夫!」
僕が呼びかけると。
「心春さん、大丈夫ですわ」
「で、でも……」
「暑さで立ちくらみしただけだと思いますわ」
起き上がった聖麗奈さんは平然と言う。
「それ大丈夫じゃないから」
芽留はひとりでも車椅子を動かせる。僕が聖麗奈さんに肩を貸して帰ろうか。
などと考えていたら。
「あのさ、せれっちと居眠りくん、どういう関係?」
「そうそう。あてぃくしも名前で呼ばれたことないのに!」
聖麗奈さんの友だちがいるのを忘れていた。
ふたりとも胡乱げな目を僕に向けている。
(どう誤魔化そうか……)
ただでさえ、聖麗奈さんは立ちくらみをしたのに、余計な負担をかけたくない。僕が答えた方がいいだろう。
かといって、上手い説明も見つからない。
「朝比奈先輩、ご近所さんだから挨拶するように兄に行ったんです~」
悩んでいたら、うちの妹が現れた。
「君、居眠りくんの妹さんだっけ?」
「あてぃくし、車椅子の中等部の子が茜くんの奥さんだと思ってた」
突っ込みさんは『居眠りくん』と僕を呼び、変態さんは僕と妹の関係を誤解していた。
「うちの兄、居眠りばかりしてるじゃないですか~」
「居眠りくんは居眠りが仕事だもんね」
「だから、聖麗奈さまの隣にいても生かしてあげてたのに」
変態さん、怖いです。
まあ、僕も中2の一時期は武士を目指して修行していた身なので、無駄に殺されるつもりはないけど。
「なので、メルが兄のために朝比奈先輩に近づいて、勉強を教えてもらってたんです~」
「さすが、聖麗奈さま。庶民にも優しい」
「ですよね~」
変態さんはあっさり納得してくれた。チョロい。
「だとしても、名前呼びは変じゃね?」
だが、突っ込みさんが突っ込んできた。
「茜と呼んだら、妹と区別がつかないじゃないですか~。なので、メルが頼んで、名前呼びにしてもらったんですよ~」
「一理あるな」
さすが、芽留。なんとか誤魔化した。
真実の一部を打ち明けたことで、話に信憑性を持たせる作戦だったのかも。だとしても、ふたりがチョロいまである。
「今日もこれから兄に夏休みの宿題をさせる作戦なんです~」
「えっ?」
まったく聞いていない。
妹は僕にウインクしてきた。
妹に任せよう。
「お兄ちゃん、宿題も最終日までやらないんですよ~。去年まではメルが監督してたんですけど~1学年下なので教えられなくて~。なので、ご近所の朝比奈先輩に頼み込んだんです~」
ウソです。昨年は最終日の前日に着手しました。一昨年までは最終日ですが、なにか?
「メルさんの言うとおりですわ」
聖麗奈さんまで芽留の発言を認める。
「さすが、聖麗奈さま。最推しでよかった」
「まあ、妹がいるなら安全だろうし」
「というわけでして、今日はこちらで失礼いたしますわ」
聖麗奈さんの言葉を受け。
「聖麗奈さま、明日も愛し合いましょう!」
「せれっち、達者でな」
「ごきげんよう」
ふたりは去っていった。
「さて、僕たちも行こうか」
「お兄ちゃん、なんにもしてないのにエラそう~」
ピンチを妹に助けられたわけだし、言い訳もない。
芽留が自分で車椅子を動かす。僕に目で合図を送る。
意図を汲んだ僕は聖麗奈さんの手を握った。
「僕が送るよ」
「勉強会の約束がありますものね」
周囲からジロジロ見られているが、気にしない。
「心春さんがいらっしゃらなかったら、わたくし怪我をしていたかもしれませんわ」
聖麗奈さんは立ちくらみのことを芽留に説明した。
「前言撤回~。さすが、お兄ちゃん~」
「けどさ、聖麗奈さん。ホントに体調には気をつけてね」
授業中の居眠りに、立ちくらみ。心配なので、クギを刺す。
「ありがとうございますわ。ですが」
「ん?」
「少し夏バテなだけですの」
「……」
「国語の時間は起こしていただいて、感謝しておりますわ。二度とないように気をつけますので」
普段だったら、そこで話を打ち切っていただろう。
聖麗奈さんが危なっかしく思えて。
「無理してるんじゃないの?」
ついお節介を焼いてしまう。
「無理ではありませんわ」
すると、彼女は珍しく意地を張った。
お嬢様らしいといえばらしいのだが。
「今日は僕たちがおばあさんを見てるから、聖麗奈さんは休んだら?」
「いいえ、また昨日みたいな事件が起きるかもしれませんから」
カレー事件の悲劇が脳裏をよぎる。
「……僕たちが処理するから、心配しないで」
少し前の僕だったら絶対に言わなかったのに。
「そんなわけにはまいりませんわ!」
聖麗奈さんが大声を出す。
体調悪い子に無理させてしまった。
このまま粘っても、プライドを傷つけるだけかもしれない。
聖麗奈さんを休ませるか?
彼女の意思を尊重するか?
肉体的な疲労を重視するなら前者で、精神面を選ぶなら後者だろう。
僕の意見に従ってほしいが、自分が逆の立場だったら余計なお世話だと反発する。
実際、妹の世話を始めてから何度か教師に、「学業を優先しろ」と言われたことがある。
正論なんだが、積極的に妹の面倒をみたい僕の気持ちを無視していた。反発していたら、なにも言われなくなったけど。
僕の立場としては、聖麗奈さんを見守っていこう。
なにか起きたら、助けられる準備をしておいて。
「じゃあ、僕が代わりに昼寝をさせてもらうから」
「お兄ちゃんは夏休みの宿題があるんでしょ~?」
「本当にやるの⁉」
僕は芸人ばりのオーバーアクションで返した。
「……ありがとうございますわ」
お嬢様の声は蝉の鳴き声にかき消された。
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