第25話 お嬢様も筆を誤る?

 お風呂事件から10日がすぎた。昨日が海の日で、1学期も残すところ、数日。

 朝。僕は登校すると、机に突っ伏す。


「そこのおじいさん、通学だけでバテるなんて、稽古が足んないんじゃねえの」


 貴重な睡眠時間が唯一の友人によって邪魔された。


「夏生、僕はな、睡眠トレーニングをしているんだ」

「睡眠学習じゃないんだし」


 夏生は苦笑した後。


「学校で寝るんだったら、規則正しい生活をしろよ。頭も体もメンタルも、きちんとした生活習慣が生み出すんだぜ」

「わかってるんだけどなぁ」

「まあ、芽留ちゃんや家の用事もあるもんなぁ。外野がうるさいこと言って悪かった」

「素直に謝られると調子が狂うんだが」

「なら、芽留ちゃんと結婚させてくれ。オレが芽留ちゃんの足になる!」

「妹がほしけりゃ、を倒してからだと言ってるだろ」


 友人に軽口を叩く一方、気になっていることがあった。


「心春たん、どうした?」

「いや、なんでもない。今日も太陽がいじめてると思ってな」

「……だな。けど、そのおかげで、女子の透けブラが拝めるんだから太陽には感謝しかない」


 いちおう、教室にもクーラーがあるのだが、エコを意識するとかで28℃設定だ。密なのだから、もう少しなんとかしてほしい。


「夏生、おまえ、あいかわらずポジティブすぎる」


 適当に答えながら、目では隣の席の女子を探っていた。


(聖麗奈さん、疲れてない?)


 昨日も彼女の家に行った。


 夕飯も聖麗奈さんに作ってもらえるし、掃除の時短テクニックなんかも教えてくれる。


 ずっと自宅にいて、家事をしているよりも聖麗奈さんと一緒に取り組んだ方が効率がいい。

 家族の世話や家事に追われる者同士、協力したいからね。


 というか、最近の聖麗奈さんを見ていたら、放っておけないのもある。


 シャワー事件の日のような事態が頻繁に起きているのだ。


 たとえば、昨日、起きたことなんだが。


   ○


 お昼すぎ。おばあさんがトイレに行った後、手にカレーみたいな物体がついていた。


「今日のお昼ごはんって冷やし中華だったんじゃ」

「心春さんのおっしゃるとおりですわ……匂いますわね」


 聖麗奈さんの言葉でピンときた。


「あっ、まさか!」

「おばあさま、汚いですわよ!」


 聖麗奈さんが血相を変える。ウエットティッシュを掴むと、カレーじゃないけどカレーみたいなブツ(意味深)を拭き取る。


 さらに、それだけでなく。

 おばあさんの処置を終えた聖麗奈さんはトイレに向かう。

 その直後――。


「もう! なんてことでございますかっ!」


 聖麗奈さんの悲鳴が家中に響き渡った。


 清楚系のお嬢様が、高飛車なお嬢様にジョブチェンジした。


 びっくりした僕が救援に行く。

 すると。


 トイレの壁にカレーがっ!


 この後、全員でシャワーを浴びて、バスタオルお嬢様にサービスしてもらった。なので、全然つらくない。

 しばらくはカレーは食べられそうにないけれど。


 とまあ、こんな事件があったのだ。


   ○


 他にも、毎日のように似たようなトラブルに襲われていて、さすがの聖麗奈さんも余裕がなさそうだった。


「聖麗奈さま、目の下のクマがおいたわしゅうございますわ」


 和泉さんがメイドさんみたいだった。変態さん、僕の代わりに聖麗奈さんを気遣ってくれて、ありがとう。


「お疲れでしたら、マムシドリンクを煎じますので、あてぃくしと子作りしてくだしゃい。エッチで元気になりましょう!」


 やっぱ、変態だったか。せっかく見直したのに。


「和泉。そんなに絶倫になりたいんなら、ひなっちが相手してやろっか」


 もうひとりの友だちが変態さんの胸を鷲づかみにした。

 突っ込みにもバリエーションがあるらしい。


「お気遣い感謝しますわ」


 聖麗奈さんは目の前で行われているプレイを認識していないようだった。お嬢様らしさを守るために見て見ぬフリをしているのかも。


「毎日お暑いですので、少々疲労が溜まっておりますの」


 連日、35℃超えの熱帯夜なのも事実なので、友だち2人は素直にうなずいていた。


 聖麗奈さんの秘密を知っている第三者がこの場にいるなら、家庭の事情を話せばいいと思うかもしれない。


 けれど、ヤングケアラーをしている学生たちは、往々にして周りに助けを求められない。


 妹を中等部に送迎していて目立つはずの僕ですら、聖麗奈さんと夏生ぐらいにしか打ち明けられていないのだ。教師はうすうす察しているだろうが。

 みんな僕がサボりで居眠り常習犯だと思っている。実際には、家事が忙しいのに。


 聖麗奈さんの場合は、お嬢様としてのイメージもある。

 真のお嬢様になりたい聖麗奈さん。僕よりもハードルが高いのも仕方がない。


(夏休みにもなるし、僕が聖麗奈さんを助けよう)


 決意をしていたら、始業を知らせるチャイムが鳴る。


 1時間目の授業は、『現代の国語』だった。

 おじいさん先生の眠気を誘う声は健在だった。暑いし、周りの生徒たちもつらそうだ。


 教室全体が妖怪で、妖怪の仕業で夢の世界へ落とされるのかな?

 居眠り常習犯の僕も睡魔に身をゆだねようかと思ったが。


(えっ?)


 視界に映った光景に驚いて、目が覚めてしまった。

 聖麗奈さんが上下に首を振っている。いわゆる、舟を漕いでいた。


(初めて見るんだけど⁉)


 聖麗奈さんが真面目なのは、寝ているはずなのに、手を動かしてノートに書き込んでいること。おそらく、蛇がのたうったような文字になっているのだろうが、踏ん張れる時点で尊敬に値する。


『清楚な偽お嬢様~夢現むげん教室編~』


 お嬢様は睡魔を倒し、現実世界に帰還できるのか?


 ふざけてる場合じゃなかった。


 気持ち的には寝かしてあげたい。

 僕も授業中の睡眠には、体力的に助けられているから。


 学生として良くないのはわかっている。

 しかし、家族の世話をしながら学生をするのは、かなりしんどくて。


(彼女を助けられる人間だけが、炎上させればいいさ)


 なら、僕は聖麗奈さんの代わりにしっかりノートを取ろう。

 先生の話を一文字も聞き逃さないように、ペンを走らす。

 これでいいと思ったのだが。


(聖麗奈さんが居眠りに気づいたら、めちゃくちゃ落ち込みそうなんだよなぁ)


 家のことも勉強も手を抜きたくないと日頃から言っている。立派なお嬢様になるためにも必要だとも。


 だったら――。


 僕はシャーペンを持った手を隣の席に伸ばす。

 ちょん、ちょんと、聖麗奈さんの肩を叩いた。


 聖麗奈さんはピクッとすると、目をこすり、僕の方を向いた。

 苦笑を浮かべて、口を動かす。


『ありがとうございますわ』と言っているようで、起こしてよかったと胸をなで下ろした。

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