第5章 灼熱の世界

第23話 試験明け

 チャイムが鳴る。先生の合図とともに、期末試験が終わった。


 机に突っ伏そうとしたら、後ろから肩を叩かれる。振り返る。答案用紙を回収していたようだ。僕は自分のものを重ねあわせ、前の席の人に回す。


 答案用紙を手放すと、完全に肩の荷が下りた。遊園地デートからの2週間、家事と勉強に忙しかった。


 早く休みたいと思いながら、帰る準備を始める。


 カバンを取ろうと横を向いたとき、隣の席にいる聖麗奈さんと目が合った。

 お嬢様は微笑を浮かべている。『お疲れさまでしたわ』と言ってるような気がする。


 教師から解散の指示があり、正式に期末試験から解放される。


 教室の空気は緩みきっていて、打ち上げにカラオケにでも行こうとやり取りする声が聞こえた。

 僕には無関係だし、とっとと帰ろう。


 いつものように正門で妹を待つこと数分。芽留は車椅子を動かして現れた。中等部の友だちと楽しそうに話しながら。

 妹は僕に気づくと、友だちに手を振って別れた。


「お兄ちゃん、お待たせ~」

「いや、それより、ごめんな」

「へっ?」

「友だちと一緒に帰りたいよな?」

「ううん、メルはお兄ちゃんといられれば別にいいから~あっ!」


 芽留は叫ぶと、顔をしかめる


「やっぱ、メルも友だちと帰りたいかな~。すぐには無理でも、夏休み明けには~」

「急にどうしたんだ?」

「ううん、メルのことは気にしないで~。お兄ちゃん、放課後は友だちとカラオケにでも行っちゃいなよ~」

「これだから陽キャは……」


(なんで、みんなカラオケなんだろうな)


 好きな人が楽しむのは否定しないが、カラオケ好きばかりでないと知ってほしい。

 車椅子を押して、歩き始める。


「それでは、佐伯さん、日向さん。ごきげんよう」


 聖麗奈さんの声がして、思わず振り向く。

 例の二人組に挨拶していた。


 7月上旬だというのに、早くも梅雨が明け、太陽が猛威を振るっている。

 炎天下に、白い肌の銀髪お嬢様。汗ばむ姿が絵になっている。


 お嬢様は会釈をして、僕たちの横を通りすぎる。


「お待ちしておりますわ」


 と、ささやいて。

 校門を出た直後。


「お兄ちゃん、あそこ見て~」


 芽留が指をさす。

 その先にあったのは、自動車だった。黒塗りで、いかにもな高級車だ。


「世の中には金持ちがいるんだなぁ」


 聖麗奈さんの家も本来は金持ちだし。

 偽お嬢様は背筋をピンと伸ばして、高級車の前を歩く。


(僕と一緒にいるのがもったいないぐらい綺麗なんだよなぁ)


 ため息がこぼれる。


「お兄ちゃん、あの車、朝比奈先輩を追いかけてる~?」


 例の高級車がノロノロと動き出していた。聖麗奈さんの後方につけるかのように。


「……いや、偶然なんじゃね」


 気にはなるが、僕たちの位置からは距離がある。芽留を放っておいて、駆けつけるなんてできない。


(いちおう、注意を払っておくか)


 結果として、心配は杞憂に終わった。次の交差点で、車は聖麗奈さんとは逆方向に行ったのだから。

 僕は安心して、車椅子を押した。


 一度帰宅して、着替えを済ませる。勢いでベッドにダイブしようとしたが。


「お兄ちゃん、朝比奈先輩の家に行くよ~」

「あと、5分。5分だけ寝かせて」

「それ、二度寝する人のセリフだし~今から寝たら夜になっちゃうよ~」

「……聖麗奈さんだけでおばあさんの介護もできるようになったんだし」

「お兄ちゃん、朝比奈先輩と一緒にいたくないの~?」

「学校で、隣の席なんだよ」

「ふーん、ウソ吐いちゃって~もしかして、照れてる~?」


 態度には出さないものの。


(なんで、わかったし⁉)


 内心では動揺していた。


 遊園地に行って以来、ちょっと変なんです。

 恋愛にうつつを抜かしている暇はないし、なによりも一度聖麗奈さんの好意を無下にしている。今さら恋愛脳で動くなんて、虫がよすぎる。


 理性と欲望の間で悩む自分が軽く情けない。


「僕、おばあさんに会いたいんだよ?」

「そういうことにしておいて、あげますか~」


 聖麗奈さんの家に向かう。

 さすがに、真夏の午後に20分以上も歩いたわけで、着いた頃には汗だくだくになっていた。天気予報だと最高気温が35℃とか言っていたし、無理もない。


 聖麗奈さんの家のチャイムを押そうとしたら、いきなりドアが開いた。


「無理しないでくださいね。ケアマネに連絡もらえれば、延長もできますので」


 中年の女性が玄関から出てくるところだった。見送りに来た聖麗奈さんと話している。会話の内容から察して、ヘルパーさんだろう。


「ありがとうございますわ。ですが、わたくし、自分でおばあさまのお世話にしたいですの」

「なら、無理にとは言いませんが、くれぐれも無理はしないでくださいね」


 ヘルパーさんは苦笑を浮かべたまま、会釈して去っていく。


「心春さんもいつもありがとうございます」

「朝比奈先輩、シャワーしたいんですけど~貸してもらえますか~?」

「もちろんですわ」

「お兄ちゃん、よかったね~」

「へっ?」

「だって、お兄ちゃんも一緒に入るんだもん~」


 妹さん、爆弾を放ちました。

 聖麗奈さんが目を点にしている。

 いくら足が不自由とはいえ、1歳下の妹と一緒に入浴なんて変態扱いされても文句は言えない。


「あら。わたくしもご一緒させていただいて、よろしいですか?」

「ぶはぁぁぁっ!」


 斜め上の展開に思わず噴き出した。


「聖麗奈さん、冗談ですよね?」

「真面目ですわよ」

「そうか。真面目か……」


 弱った。妹ならともかく、聖麗奈さんみたいな爆乳美少女同級生の裸を見たら?

 正直、自分を保てる自信がない。


「とりあえず、麦茶でも飲みながら考えませんか?」

「……お兄ちゃんの意気地なし~」


 僕は芽留の発言を無視して、靴を脱ぐ。

 車椅子を押して、リビングへ向かう。


 聖麗奈さんは僕たちの後からついてくる。


「えっ?」


 おばあさんを見たとたん、自分の口から変な声が出てしまった。


「おばあさん、なにしてるんですか?」


 だって、おばあさんはコートを着ていたのだから。

 エアコンのおかげで部屋は涼しかったものの、額から汗を流している。


「おばあちゃん、今は夏なんだよ~」

「ちょっ⁉ おばあさま!」


 遅れてやってきた聖麗奈さんが叫んだ。さすがの聖麗奈さんも慌てている。


「おばあさま、すぐにコートをお脱ぎくださいまし」

「佳子、私たちは冬山にいるのよ。脱いだら、凍死しちゃうわ」


 おばあさんは時間と空間を超越していた。


 笑い事じゃない。


 現実には今は真夏で、猛暑。

 けれど、おばあさんにとって正しいのは、冬山なのだ。


「ですが、汗をかかれています。脱水しますと、熱中症の危険が高まりますわ」


 聖麗奈さんの心配がもっともだとしても。


「佳子、なに言ってるの? 私、寒いのよ」


 おばあさんにとっての真実はちがくて。


「お兄ちゃん、無理に脱がせたら~?」

「うーん。いくら相手がおばあちゃんでも、僕が脱がすのはマズいんだよなぁ。本人も同意してないし」


 おばあさんを脱がして社会的に終わるのは勘弁してください。


「でも、このままじゃ危ないよ~」


 わかっていても、手が出せなくてつらい。


「おばあさま、いい加減になさってくださいまし!」


 さすがの聖麗奈さんも金切り声を上げている。

 泣きそうなお嬢様が見ていられなくて。


 僕はコップに水を入れると。


「ごめん、おばあちゃん。手が滑った」


 おばあさんの頭に水をかけた。


「濡れちゃったし、シャワーしてくれば?」

「あら。喜八郎さん。私とお風呂に入りたいのね」

「えっ?」


 おばあさんはその場で服を脱ぎだした。


「心春さん、ありがとうございますわ」


 聖麗奈さんが僕に近づいて、小声で言う。


「じゃあ、みんなでお風呂にレッツゴー~!」


 あれ?

 予想してない流れなんですけど。

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