第21話 思い出
午後も遊園地で遊び回り、気づけば、空が赤くなり始めていた。
「時間は大丈夫?」
「そろそろですわね」
「最後にどこか行きたいところは?」
「でしたら、観覧車をお願いしますわ」
聖麗奈さんは観覧車を指さす。
「観覧車か。昔、妹と一緒によく乗ったなぁ」
「わたくしも両親との思い出が詰まってますの」
係員にのりもの券を渡し、ゴンドラへ。向かい合って腰を下ろした。
ゴンドラはゆっくりと動き出す。わずかながら体が浮くような感覚がして、地面が下がっていく。
聖麗奈さんは外に目を向けて、琥珀色の瞳に涙を浮かべていた。
夕陽を浴びる彼女の銀髪がはかなげで、守りたくなる。
(って、見とれてる場合じゃない)
あまりにも絵面がよすぎて、するべきことを忘れていた。
「僕のでよければ、ハンカチをどうぞ」
「……良い子にしてれば、迎えに行くから」
お嬢様はポツリとつぶやく。
「えっ?」
「すいません。わたくしったら、ぼうっとしておりました」
聖麗奈さんは僕のハンカチを受け取ると、頭を下げてから目元をぬぐった。
「僕でよければ、話を聞こうか?」
2ヶ月前の自分が聞いたら、びっくりするような発言をしていた。
僕には妹の世話や、家事がある。他人と積極的に関わる時間なんかなくて、学校は休む場所に決めていた。
妹関係以外では省エネ派のつもりだったのに。
少しでも聖麗奈さんの力になりたくて。
「つらいことってさあ、誰かに聞いてもらえるだけでも楽になるんだよ」
自然と言葉が出た。
「そうなのですか?」
「ああ。芽留は僕に愚痴って、いつもスッキリした顔をしている」
「芽留さんらしいですわね」
聖麗奈さんは微笑むと。
「今日は子どもに戻る日ですものね。お母さまも許してくださるはずです」
「ああ。聖麗奈さんみたいに素直な子を育てられた人なんだ。きっと許してくれるさ」
聖麗奈さんのお母さんを知らない僕が言うのはためらわれたが、それ以上に彼女を肯定したかった。
「……わたくし、もっと子どもでいたかったですわ」
まるで、もう子どもを卒業したみたいな言い方だ。
負担は大人びた振る舞いをしていても、まだ15歳なのに。
僕自身、妹の事情もあり、子どもでいられないという
思いもあって、身に染みた。
「父は朝比奈の家を一度は捨てて、母と駆け落ちしました」
聖麗奈さんはしみじみとつぶやく。
両親の駆け落ちが原因で、朝比奈家との関係が悪くなったと、以前、彼女は言っていた。
「すいません。わたくしったら、つまらない自分語りなんか……」
「ううん、僕に教えてくれないかな、聖麗奈さんのことを」
自分でもなにを言ってるのかわからない。
でも、心が欲していた。聖麗奈さんともっと触れ合うことを。
「小春さん、変わりましたね」
お嬢様の微笑が心地よかった。
「朝比奈の家を出た父は、自分で会社を経営しながら、家族との時間も大切にしていました。幼い頃はいろいろな場所に連れて行ってくださいましたわ。遊園地や、海、山、動物園など」
過去を懐かしむ聖麗奈さんの笑顔は自然体で。
僕には人を好きになる余裕などないはずなのに、胸が激しく高鳴る。
「一方で、会社の経営も順調で、創業からわずか数年で世の中からも注目される会社へとなりました。父はわたくしの誇りですの」
『すごいでしょ』と言わんばかりに、聖麗奈さんはたわわな胸を張る。
「ですが、9歳の頃に母を亡くし……」
僕は聖麗奈さんの隣に座り直す。
「以来、父はものすごく苦しそうな顔をしていました」
どう声をかけても、気休めにもならなくて。
僕は無言で聖麗奈さんの手を握った。彼女は僕の肩に頭を乗せ、身をゆだねてくる。
「父自身が悲しいにもかかわらず、わたくしを気にかけてくださいました。父自ら家事までなさっていて、わたくしは自分が大人にならなければと心に誓ったのです」
9歳で母を亡くし、大人になる決意をした。
僕は中2のときに父を失った。僕の年齢でもつらかった。
彼女の境遇を想像するだけで、胸がかきむしられそうになる。
「その後、前にもお話ししましたように、朝比奈家で問題が起きました。父の兄が予期せず重い病にかかったことで、跡目争いが勃発。朝比奈グループは分裂の危機に立たされたのです」
名家らしいトラブルだ。
「父は朝比奈家の力を使わずとも事業を成功させました。その手腕を買われて、後継者候補に担がれたのです」
「それで、お父さんと引き離されたんだね?」
「ええ。ですが、父の決断はわたくしを守るためでもありました」
聖麗奈さんの声音には父親への信頼しかない。
「父は言いました。『お父さんがなんとかする。立派な当主になって、将来的に聖麗奈を朝比奈家に迎え入れるから』と」
聖麗奈さんの父親に、僕の母を重ね合わせていた。
僕の母も子どものために、家に帰らずに働いている。母の仕事に賭ける覚悟と、経済的な恩恵は身に染みていた。
「父が朝比奈家に戻る前日。父がここに連れてきてくださいました。夕暮れ、今と同じように観覧車に乗って……」
だから、今日の聖麗奈さんは感情を露わにしていたのか?
「父はわたくしを抱きしめてくださいました」
聖麗奈さんは僕の胸に飛び込んでくる。
僕は彼女の背中に手を回し、後ろから銀髪を撫でた。
『良い子にしていれば、いつか絶対に迎えにいくから。お母さんが望んだような立派なお嬢様になるんだぞ。金持ちではなくても、お嬢様にはなれる。お金よりも、振る舞いや、精神性が大事なんだから』
聖麗奈さんは声を低くして、言う。
父親を真似る彼女は、どんな名女優の演技よりも僕の心を揺さぶってきた。
亡くなった母の言いつけでお嬢様しぐさをしていると思っていたが、父親の言葉も励みになっているのだろう。
「わたくし、良い子にしていて、立派なお嬢様になれば……お母さまの願いも叶って、お父さまにも会えると信じてますの」
「ああ。僕もそう思う」
いったん、聖麗奈さんに同意してから。
「でも、ちょっとちがうかな?」
「えっ?」
お嬢様は不安そうに僕の顔を覗き込んできた。
「否定するつもりはなくて」
「……」
「聖麗奈さんはかなり良い子だし、立派なお嬢様だよ」
彼女は口をポカンとしている。
「もう、既になってるから」
「ですが、わたくしは偽お嬢様ですわ」
「本物だよ。お父さんも言ったんでしょ。お金は大事じゃないって」
聖麗奈さんは目を見開く。
「だから、僕にも見させてくれないか?」
「な、なにをですの?」
「聖麗奈さんがお父さんと再会するところを」
自分でもなに言ってるかわからない。
でも、紛れもなく、本心だった。
「それって……」
「聖麗奈さんとずっと一緒にいたいってこと」
「こ、心春さんっ!」
聖麗奈さんは僕の胸に頬をスリスリ。暴力的な膨らみが下腹部に当たる。
僕はたまらず抱き寄せた。
彼女は僕に体を預けたまま、顎を上げ、瞳を閉じる。
(これ、キスしていいんじゃ……)
流れに任せて、僕が首を傾けたときだ。
「お、お客様……申し訳ありませんが、到着してますよ」
慌てて、ゴンドラを降りるのだった。
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