第15話 妹からの試練

「ということで、おふたりさん~」


 妹がめちゃくちゃニヤけて。


「下の名前で呼び合ってみましょうか~?」


 とんでもないことを言い出した。


「女子を名前で呼ぶなんて、ムリ」


 僕は普通に恥ずかしいから。


「茜さんを名前でお呼びするだなんて、実質、結婚ですわね。わたくしは構いませんが、茜さんのご迷惑になりますわ」


 朝比奈さんは斜め上の理由から、妹の提案を断った。

 朝比奈さん、ときどきおかしいことを言うけど、同じクラスの女子2人の影響を受けたせい?


「お兄ちゃん、メルのことは、普通に『芽留』って呼んでるよね~?」

「そりゃ、妹なんだし。むしろ、妹を名字で、『茜』と言う方がおかしいだろ」

「そうなんだけど~正論なんてつまんないよ~」

「芽留が面白がりたいだけかよ⁉」


 妹はペコリと舌を出した後。


「じゃあ、お兄ちゃん、朝比奈先輩と他人に戻りたいの~?」


 答えられなかった。


「メルに任せといて~」

「そうは言われてもなぁ」


 ここ2年ぐらい、他人と最低限しか関わってこなかったから、コミュニケーションの問題になると心理的な抵抗がある。心理的安全性を実装してください。


「朝比奈先輩。メルは先輩を応援してますよ~」

「芽留さん、ありがとうございますわ」

「メル、朝比奈先輩がお義姉さんになってくれたら、うれしいな~」

「ぶはぁぁ」


 僕は噴き出し、朝比奈さんは頬を赤くしている。


「ただし、メルが協力するには条件があります~」

「ですが、茜さん、芽留さんをとても大切になさっていますので、わたくしは……」


 僕、話を聞いてない方がいいのでは?


「おばあさん、今日は僕と話してください」

「あら。六郎太さん。今日もハンサムやなぁ」


 今日の僕は六郎太らしい。


「うちの娘がいるんですけど、彼氏が大変なお金持ちなんです」

「は、はあ」


 とりあえず、おばあさんの話を聞く。


「娘は結婚したいようなんじゃが、彼氏の家では反対されておってなぁ。うちみたいな庶民の娘じゃ、名家に釣り合わないのだろう」


(もしかして、朝比奈さんのご両親のことかな?)


 朝比奈さんは15歳。ご両親が結婚したのは、少なく見積もっても16年以上前の出来事のはず。


 過去の話を最近のことのように語っている。

 時間の感覚がおかしくなるのは、認知症の症状のひとつ。そう考えると、寂しくなってきた。


「彼氏は娘をとても大切にしてくれて、娘も彼を愛している。親としては娘の恋を応援してやりたいのぅ」

「おばあさん、娘さんを愛してるんですね?」

「裕福な暮らしはさせてあげられなかったのじゃが、立派な娘に育てたつもり。あの子の幸せを誰よりも願っておる」


 うんうんと、僕はうなずく。


 おばあさんの話を聞いていて、つらくなると同時に気づいたこともあった。


 病気のせいで記憶が怪しくなっていても、家族を想う気持ちは残っている。

 たとえ、すべてを失っても、肉親への愛情は最後まで消えないのかもしれない。


 もちろん、人によるのだろうが、僕はおばあさんのようにありたい。

 感傷に浸っていたら。


心春こはるさん」


 突然、自分の名前を呼ばれた。


「心春さん」

「はい、朝比奈さん」


 普通に返事をすると。


「お兄ちゃん、そこは聖麗奈せれなでしょ~」


 妹に肩をすくめられた。


「僕は名前呼びに同意してないぞ」

「じゃあ、お兄ちゃん、朝比奈先輩とキスして~」

「ぶはぁぁ!」


 かわいい妹だけど、朝比奈さんの手前もあり、怒らないと。


「おまえはなにを言ってるんだ?」

「キスはムリでも、名前呼びなら大丈夫だよね~」

「よくある交渉の基本って奴か?」

「そうそう~『ドア・イン・ザ・フェイス』だよ~」


 ドア・イン・ザ・フェイスとは、最初に難易度が高い要求をしておいて、相手が断ったら簡単にできるお願いをする交渉術だ。一度、相手は断った手前、下げた方の頼みを聞いてしまいたくなる。


「それに、朝比奈先輩だけに名前呼びさせておいて、お兄ちゃんがしないなんてかわいそうだよ~」


 正直、妹のやり方は稚拙だけれど、そこもまたかわいいところで。


「わかった。言えばいいんだろ」


 介護のしんどさに比べたら、名前呼びなんてたいしたことないはず。


「聖麗奈さん」


(めっちゃ恥ずかしいんですけど⁉)


 体が熱くなり、いたたまれなくなる。


「心春さん、ありがとうございますわ」


 そんなに何度もお辞儀をされたら、逃げられないよ。


「ふ~、やっと名前呼びになったか~」


 妹がやれやれといった顔をする。


「これで、もう友だち同士だよ~」

「もしかして、芽留、おまえ……」

「メル、おばあちゃんともっとお話したいし、これからも朝比奈先輩の家に来るね~」


 妹は僕と朝比奈さんの関係を終わらせないために、回りくどいことをしたらしい。


「芽留、ありがとな」


 妹の金髪を撫でる。


「芽留さん、お気遣いありがとうございますわ」

「ううん、朝比奈先輩には愚兄をお願いしたいので~」


(お願いするって、どういう意味で?)


 やぶ蛇になるので、声には出さない。

 恥ずかしいイベントにはちがいないが、名前呼びであまり引っ張るのもどうかと思う。


 夕方も近いし、帰ろうか。


「第一目標をクリアしたところで、本題だよ~」

「本題って、なんだよ?」

「友だちになった記念で~おふたりさん、デートしてみよ~!」


 完全に陽キャのノリだった。


「友だちになった記念のデートって?」

「わたくしは構いませんわ」


 僕は渋ったつもりだったんだが、聖麗奈さんは乗り気らしい。

 ところが。


「ですが、わたくしにはおばあさまがおりますから、現実的には難しいですわね」


 聖麗奈さんは微笑んで言う。

 弱々しい笑顔に胸をかきむしられそうになる。


 僕も諦めているから。

 妹が歩けなくなった日以来、自分だけで楽しむことを。


「もちろん、そこは考えてるよ~」


 当然、妹も僕を見ているわけで、見逃すはずがなかったか。


「おばあちゃんはメルが面倒を見るから~」


 安心していたら、ダメだった。


「メル、おばあさんが徘徊しても、おまえじゃ止められないだろ?」

「大丈夫。助っ人呼ぶから~」

「助っ人って誰だよ?」

「当日までの秘密だけど、安心していいよ~」

「本当だな?」

「メル、たまにはふたりに介護を忘れてほしいの~」


 妹は真剣な目をしていた。


「わかった。当日のことは芽留に任せる」


 断れないだろう。


 さっきから、聖麗奈さんはそわそわしていて、小動物みたいにかわいいんだから。お嬢様と小動物のギャップもそそられるし。


「ということで、お兄ちゃん、今度の日曜日にデートしてよ~」

「明後日じゃんか!」


(準備どうするんだ?)


 具体的には着ていく服とか?


「わたくしは大丈夫ですわ。日曜日はお願いいたします」

「あっ、はい」


 服はなんとかしよう。

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