第3章 お嬢様がデレた?

第10話 勉強会

 お嬢様どすこい運動会から4日後。

 土曜日は朝から朝比奈さんの家に来ていた。


 最近は毎日、朝比奈家を僕と芽留が訪ねている。

 おばあさんのことがあるので、朝比奈さんに来てもらうわけにもいかず、朝比奈家に集まるようになった。


「茜さん、紅茶に含まれるL-テアニンとカフェインは集中力アップによろしいのですわ」


 そう言って、朝比奈さんは紅茶を差し出してくる。


「たいそうなものをいただいて、ありがとうございます」

「いえ、わたくしには良い茶葉を使う余裕はありませんの。本来なら、茜さんには最高級品でもてなすべきですのに」

「いや、僕みたいな舌も肥えてない人間にもったいないから」

「お兄ちゃん、勉強をしに来たんでしょ~?」

「……紅茶を飲み終わったら勉強します」

「先延ばし癖が出てるよ~」


 妹は陽気なようでいて、僕に厳しいところがある。


「だって、モチベーションが上がらないし」

「お兄ちゃん、モチベーションがなかったら、ご飯食べないの~? お風呂入らないの~? トイレも我慢するの~?」

「限界まで粘るな」

「粘るんだ~⁉」

「そりゃ、やりたくないものはやりたくないし」


 芽留が自分の鼻を押さえる。


「じゃあ、メルが汚くなってもお風呂に入れてくれないの~?」

「芽留がいたら話は別。面倒くさくても、僕が風呂に入れてやらんとな」

「うふふふふ」


 朝比奈さんに笑われてしまった。


「引いたよね? この年になって、妹と一緒に風呂なんて……」

「芽留さんからお風呂の件は聞いておりましたから、驚きませんわ」

「だとしても、変態だと思わない?」

「いいえ、事情もあるでしょうし、お互いが合意しているのであれば、他人がとやかく言うことではありませんわ」


 お嬢様が寛大すぎて、拝みたくなる。


「お兄ちゃん、話を戻すけど~モチベーションがなくても、メルをお風呂に入れてくれるんでしょ~?」

「そうだな」

「なら、モチベーションがなくても、勉強もできるはずだよね~?」

「うっ」


 痛いところを突かれた。


「とりあえず、勉強をしてみない~?」

「茜さん、わたくしも聞いたことありますわ」

「ん?」

「最初はやる気がなくても、勉強しているうちに気分が乗ってくることもあるようですの」

「だから、お兄ちゃん。『始めなければ、そこで試合終了だよ』」

「名言っぽく言われたら、断れないじゃんか」


 僕はカバンから教科書を取り出す。


「中間テストまで、あと4日。我慢するよ」


 というわけで、僕たちは紅茶を飲みながら、各自勉強を始めた。

 僕と朝比奈さんは数学を、芽留は英語を自習する。


 もちろん、部屋におばあさんがいるので、完全に放置するわけにはいかない。

 朝比奈さんは時々、おばあさんの方を見ていた。

 自分の勉強をしながら、おばあさんにも意識を払う。それだけでも大変なはずなのに。


「茜さん、お勉強はいかがですか?」


 僕にまで気を遣う。


「うーん、数学がねえ」

「お兄ちゃん、授業中寝てるからでしょ~」

「なぜ、知ってる?」

「このまえ、夏生先輩に偶然会って、教えてくれたんだ~」


 ただひとりの友だちが妹と面識があることを恨んだ。


「茜さん、わたくしのノートを使いますか?」

「でも、そしたら、朝比奈さんが困るんじゃないの?」

「わたくしは先に英語をやりますわ」

「さすがに、迷惑をかけられないよ」

「迷惑ではありませんわ!」


 朝比奈さんにしては大きな声で言う。


「わたくし、茜さんに感謝しておりますの」

「感謝?」

「ええ。茜さんのおかげで、気が楽になりましたのよ」


 お嬢様の微笑が哀愁を誘う。


「退院してきたおばあさま。意思の疎通も難しくなっておりました。さらに、わたくしも未熟者。どうしていいか不安でしたのよ」


 僕は自分の迂闊さを恨んだ。

 朝比奈さんはお嬢様ムーブを決めていて、余裕があるように見える。


 しかし、まだ15歳の女の子。

 おばあさんしか家族もいないわけで、介護関係者ぐらいにしか頼れない。

 不安を抱えていても、当然だった。


「ですが、茜さんや芽留さんと一緒にすごせて、毎日が楽しくなってきましたの」


 お嬢様はうっとりした目を僕に向ける。


「わたくしは茜さんの力になれなくて、歯がゆい思いをしてましたわ」

「そうだったんだ」

「家との縁は切れても、わたくしは朝比奈の人間。一方的に施しを受けるだけの関係は、望みませんわ」


気位が高い朝比奈さん。経済的な後ろ盾を失ったとしても、お嬢様なのは確かで。

 ここで拒絶したら、彼女のプライドを傷つけてしまう。


「わかった。なら、遠慮なくノートを借りる。写し終えたら、返すから」

「ありがとうございますわ」

「お礼を言うのはこっちなんだけどね」


 顔を見合わせて、笑い合った。


 朝比奈さんのノートは、ひと言で完璧だった。

 字は読みやすくて品があり、大事なところが強調されていて、問題の正解に至るまでの考え方まできっちり書き込まれている。


「朝比奈さん、このノートすっごくわかりやすい」

「朝比奈先輩、うちのバカ兄にもったいないです~」

「お役に立てて光栄ですわ」


 おかげで一気に勉強がはかどった。

 やっているうちに気分が乗ってくる朝比奈説(?)も本当だった。


 とはいえ、1時間以上も勉強していたら、肩も凝ってくる。

 さすがの朝比奈さんも首や肩を回している。まあ、重い物をぶら下げているから当たり前なんだけど。


「朝比奈さん、ストレッチでもする?」

「それでしたら、四股を見ていただけますか?」

「えっ?」


 僕が戸惑うのも構わず、朝比奈さんは腰を下ろし、四股のポーズを取る。


(スカートなんだけど、止めなきゃだよな)


「朝比奈さん?」


 朝比奈さんは僕の言いたいことにも気づかず、足を上げる。

 上がった足につられて、スカートもずり落ちてきて。

 ピンクの布が一瞬見えた。


「茜さん、どうでしたか? 少しはうまくなりましたか?」


 彼女は上目遣いを向けてきた。


「そ、そうだね。良かったです」

「お兄ちゃん、パンツが良かったのかな~?」


 芽留がバラした。


「えっ?」


 朝比奈さんが目を見開く。


「茜さんでしたら見られても構いませんが、お見苦しかったですか?」

「いいえ、むしろ、ご褒美です」


 自分の発言が変態なのに気づいた。


「こ、この数日、朝比奈さんががんばったの、よくわかったよ」


 慌てて、言うも。


「ほ、本当ですか?」


 取ってつけたように思われたのか、朝比奈さんは首をかしげる。


「本当だよ。数日前とは体の安定感がちがうし」

「修行の成果が出て、うれしいですわ」


 ストレッチ(意味深)が終わり、勉強を再開する。

 やがて、お昼になった。


「そろそろ、お昼ごはんにしましょうか」


 もしかして、お嬢様の手料理が食べられる?

 期待に胸が膨らんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る