第4話 お嬢様の師匠になる?

「朝比奈さん、悪いんだけど」


 お嬢様が良い子で申し訳ないが、断らないと。


「僕は妹の介護プレイをしてるけど、ただの高校生だよ」

「お兄ちゃん、言い方~」

「芽留悪かった。介護プレイだと別の意味になるもんな」


 ゲームで、上級者が不慣れな初心者の面倒を見ることを介護プレイと呼ぶと、妹に教わった。


「そっちじゃない~」

「じゃあ、どういう意味?」

「ちょっとは言い方を考えてよ~。朝比奈先輩がかわいそうでしょ~?」


 あえて目をそむけていたが、朝比奈さんはしゅんとうなだれている。


「たしかに、朝比奈さんには申し訳ないと思っている。でもな」

「やっぱり、ご迷惑ですよね」


 正直、時間的な余裕はない。


 妹は車椅子で生活している。自宅マンションはバリアフリーだけれど、それでも誰かが手助けをしないとベッドに移動することもできない。


 母はひとりで家計を支えるため、休まずに働いている。家事も僕がほとんどしていた。


 部活はしていなくても、高校生にしてはかなり忙しい。

 さっき朝比奈さんにバラされたけど、学校ではよく居眠りしている。


(お嬢の頼みでも、こればかりは聞けません)


 心の中でお嬢様の家来をやってみた。ましては、朝比奈さんは忠誠を誓ったお嬢様ではなく、ただの隣人だ。まともに話したのも今日が初めて。


 昨日までの僕だったら、『ごめん、他を当たってくれ』と冷たく言い放っただろう。


 だが。

 朝比奈さんが文字通り捨てられた子犬のような目をしていて、罪悪感しかない。


「おばあさん、認知症だよな?」


 どうせ断るにしても、話だけは聞くことにした。


「ええ。1年ぐらい前に軽度の認知症と診断されましたの」


 朝比奈さんは豊かな胸の前で腕を組む。


「最初は物忘れがひどい程度で生活に大きな支障はなかったのです。ところが、3ヶ月前に転んで入院しましたの。頭を打ったそうで……」

「一気に病気が進んだのか?」

「ええ。2週間前に退院して以来、今日のように徘徊しておりますの」

「大変だったな」


 朝比奈さんは目を大きく開いて、何度もうなずく。


(このお嬢様、保護欲をそそられます)


 気持ち的には朝比奈さんの力になりたい。


「悪いけど、僕では力になれない」


 感情のまま引き受けたら、お互いが不幸になる。


「さっきも言ったけど、僕は高校生。介護の専門家ではない。妹が車椅子生活だから、基本的な介助はできるよ。でもな、認知症の介護は素人だ。門外漢が手を出すのは危険だと思うんよな」


 時間的な問題もあるが、こっちの理由の方が大きい。


「介護保険が使えるだろうから、ヘルパーさんでも雇ったら?」


 言ってから気づいた。

 朝比奈さんはおばあさんとふたり暮らしだと聞く。朝比奈さんが学校にいる間に、ひとりにさせているとは思えない。


「朝8時から午後4時まではヘルパーさんに来てもらっておりますの」

「なら、夕方以降も別のヘルパーさんに頼むとかできないのか?」

「わたくし、自分でおばあさまのお世話をしたいのですわ。行き場を失ったわたくしを引き取ってくださったのは、おばあさま。できるだけ恩返しをしたいのです」

「……そっかぁ」


 朝比奈さんの声からおばあさんを愛おしむ想いが伝わってくる。

 彼女の気持ちが痛いほどわかる。


 僕も同じだから。

 僕も妹の面倒を自分でしたい。

 自分以外の誰にも妹に触ってほしくない。たとえ、同性であろうと嫌なものは嫌。


 妹を溺愛している僕とは理由は違えど、大切な人だから自分でやりたいのは理解できる。


「朝比奈さんの考えはわかった」

「じゃあ」


 追いすがるような目を向けられた。


「ごめん。ひとつ突っ込んでいいか?」


 悪いと思ったが、朝比奈さんとおばあさんのことを考えるなら、優しくするのは良くない。


「教わるなら、プロに教わった方がいいと思うぞ。僕も最初はプロに教わったから」

「わたくし、茜さんに教わりたいのです」

「どうして、僕?」

「どうしてもです」


 答えになってない。


(ってか、お嬢様のワガママが炸裂してるし⁉)


 偽お嬢様だし、朝比奈さんは良い意味でお嬢様らしくなかった。けれど、生まれは正真正銘のお嬢様。ワガママな習性はあるのかも。偏見ごめんなさい。


「失礼でしたわよね」

「い、いや」

「介護を教わろうとしたのですが、わたくし、こういう態度ですから冷やかしかと思われてしまいまして」

「お金持ちの道楽と思われたってこと?」

「そこまで、はっきりと言われたわけではありませんが、いたたまれなくなりましたわ」


 お嬢様的振る舞いも大変らしい。


「茜さん、わたくしの秘密を知っても、優しく受け止めてくださいました。わたくし、茜さんの弟子になりたいのです」

「でもなあ」

「お願いいたしますわ」


 朝比奈さんは頭を下げると、僕の手を握ってきた。

 温かくて、品があって、弾力に満ちていて。

 同じ女の子でも、妹とは感触がちがいすぎる。


「わたくし、なんでもしますから」

「なんでも?」

「はい」


 朝比奈さん首を大きく縦に振る。

 つられて、豊かな双丘もたぷんと揺れた。


 妹が僕の耳元でささやく。


「お兄ちゃん、エッチなことを考えてたでしょ~?」

「いや、大きな物体が動いたら、見るのは人間の習性だ」

「それもあるけど~エッチなお願いをしようと~」

「それは………………少ししかないかな」


 妹はコホンと咳払いすると。


「お兄ちゃん、引き受けちゃいなよ~」

「芽留、勝手に決めんな」

「お兄ちゃん、メルとすごす時間が減るのを心配してるの~?」


 図星だけど、朝比奈さんの前だ。うなずけない。


「いつも言ってるでしょ。『お兄ちゃんはメル以外の人とも交流して~』って」

「うっ」

「でも、『芽留の世話はどうするんだ?』とか言う~?」


 妹は僕の心が読めるらしい。


「なら、メルも一緒にいる。お兄ちゃんが朝比奈先輩に教えるとき、メルもいるから」


 妹に外堀を埋められる兄。


「そしたら、お兄ちゃんがムラムラしても、朝比奈先輩にエッチなことできないし~」

「僕が変態なのは前提なんですね」

「くすっ」


 朝比奈さんに笑われた。


「お兄ちゃん、メルの頼みなら聞いてくれるよね~」


 こうなったら、断れない。


「わかった。僕でよければ引き受けるよ」


 朝比奈さんは満面の笑みを浮かべると、何度も僕に頭を下げた。


「ただし、妹に言われたからじゃない。真剣な朝比奈さんを手助けしたいからだ」

「ありがとうございます」

「あと、条件がある」

「はい。先ほども申しましたように、わたくし、なんでもしますわ」


 芽留がニヤけてきた。


「あくまでも、基本的な介助の仕方を教えるだけだ。認知症患者特有の世話について、素人が適当なことを言いたくない。そこはプロを頼ってくれ」

「わ、わかりました。茜さん、誠実な方ですのね」


 朝比奈さんは目をキラキラさせて。


「さすが、わたくしの師匠。すばらしい方ですわ」


 やたらと僕を持ち上げてくる。

 相手がお嬢様だけに違和感しかない。


「もう日も暮れるし、帰ろうか」


 逃げることにした。


 とはいえ、朝比奈さんとおばあさんを置いていくわけにもいかない。

 朝比奈さんの家まで、おばあさんを送り届けた。

 お嬢様は豪邸ではなく、庶民の家に住んでいた。 

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