第3話 お嬢様の秘密

「お嬢様が嘘って、どういうこと?」


 朝比奈さんは学校一のお嬢様として有名な人。それが突然、嘘だったと言われても、理解できない。


「ですから、わたくしの家は特別にお金持ちというわけではございませんの」

「『ごきげんよう』って、挨拶するのに?」

「ええ」

「信じられん」

「お兄ちゃん、そこなの〜⁉︎」


 妹の芽留が突っ込んできた。


「芽留はおばあさんとの会話を楽しんでてくれ」

「いいもん。おばあちゃんと恋バナするの楽しいし〜」

「恋バナ」

「龍一郎さんとの情熱的な恋愛は傑作よ」

「龍一郎さん⁉︎」


 旦那さんは謙三さんだったはず。


「ところで、メルが『ごきげんよう』って言えば、メルもお金持ちになるの?」


 妹が話を戻してくれた。他人の家の複雑な事情に触れるのはまずいと思ったにちがいない。


「メルが金持ちなわけないじゃん」

「そういうこと」


 妹に論破された。


「わたくし、亡きお母さまの言いつけにしたがって、言葉遣いや仕草には気をつけてますの」

「そうなの?」


 朝比奈さんは首を縦に振る。


「だとしても、お嬢様ムーブって意識するだけでできるものなの?」

「正確に言いますと、元お金持ちですの。子どもの頃に、作法は身につけておりますから」


 お金持ち?

 親が事業に失敗したとか、複雑な事情がありそう。


 僕から聞いてしまっていいものか?

 迷っていたら。


「でも、朝比奈先輩の家って、朝比奈グループですよね?」


 芽留が普通に尋ねた。


「おい、芽留」

「悪いと思ったけど、朝比奈先輩から自分のことを話したんだし、大丈夫っしょ」


 朝比奈さんは眉根を寄せると、苦笑する。


「父が跡を継ぎましたの」

「えっ、マジ⁉︎」


 朝比奈グループといえば、銀行から鉄道、建設、自動車、保険、化粧品、デパートなどを配下に持つ超巨大企業グループだ。国内でも有数の規模で、戦前は財閥だったらしい。


「朝比奈さん超本物のお嬢様だったんだなぁ」

「……元ですが」

「そうござんしたね」


 インパクトが強くて、少し前の話を忘れてしまった。僕は鶏ですか?


「なら、朝比奈グループは実は火の車なのか?」

「わたくしは部外者ですので、わかりませんわ」

「たしかに。いくら経営者の子どもでも、内部事情は知らされないよな」

「そういうわけではございませんの」


 朝比奈さんは申し訳なさそうに首を横に振る。


 有名な会社を経営している親がいるのに、元お金持ち。

(うーん、どういうことなんだろう?)


「家庭の事情がありまして、わたくしは正式に朝比奈の人間と認められておりませんの」

「えっ?」


 よくわからないことをおっしゃっている。お嬢様の言葉は難しい。


「じつは、両親は駆け落ちしておりまして、そのせいで、母とわたくしは朝比奈家では嫌われておりますの」

「だから、朝比奈さんは朝比奈の人間と認められてないってこと?」

「……ええ」


 はかなげな銀髪に夕陽が射す。


「数年前。父の兄が体調を崩し、グループを取り仕切ることが難しくなりましたの。そこで、父だけは許され、朝比奈の家を継ぐことになったのですわ」

「そうなんだ」


 そこまでの話はわかる。


「でも、なんで、朝比奈さんが元お嬢様になるの? 朝比奈家の人間と認められてなくても、お父さんがお金持ちなんだし」


 ここまで知ってしまった。

 聞きにくいから質問をしないは、あまり意味がない。


「父が後継者になる条件。それは、わたくしとの縁を切ることでした」

「えっ?」

「伯父の件が起きたとき、すでに母は亡くなっておりました」


 なんと声をかけていいのか、陰キャにはわからない。

 


「わたくしが大学を卒業するまでのお金を朝比奈家が祖母に払って、わたくしは祖母に引き取られましたの」


 朝比奈さんはおばあさんをチラリと見る。おばあさんは楽しそうに芽留と恋バナしていた。


「だから、わたくしはお金持ちではありませんの」


 納得できた。

 とても悲しい話だけれど。


「おばあさまは、たったひとりの家族。ここ数年、父と会えず、寂しい思いもしましたが、祖母が優しく育ててくれました。感謝してもしきれませんわ」


 おばあさまだったり、祖母だったり、呼び方が安定していない。おそらく、気持ちが制御できないのだろう。

 本当におばあさんのことを大事に思っているのが伝わってくる。


「学校のみなさんを騙していること、申し訳なく思っておりますわ」

「朝比奈さん」

「ですが、振る舞いは亡き母の言いつけを守ってのこと。お嬢様のイメージを崩すことはどうしてもできませんでした」


 朝比奈さんは苦笑いを浮かべる。

 彼女の表情が、僕の胸に沁みた。


「わたくしなんか、完璧でもなんでもない、ただの偽物ですわね」

「偽物なんかじゃない」


 思わず言っていた。


「朝比奈さんはお母さんが大好きなんだろ?」

「ええ」

「お母さんが大好きだから、言いつけを守ってる。それだけだろ?」


 朝比奈さんはコクリとうなずく。


「なら、周りが勝手にお金持ちのお嬢様だと勘違いしただけ。朝比奈さんは悪くないよ」

「茜さん。わたくしのことをわかってくださって、うれしいですわ」


 彼女の頬が朱に染まっていた。

(夕陽のせいだよな?)


「お兄ちゃんが熱くなったのは、パパのことがあるからだよね〜?」


 妹が微妙な雰囲気を変えてくれた。助かった。ナイスです。


「じつは、うちも父を亡くしてるんだ」

「そうなのですか?」

「僕も父によく言われたんだよね。『妹を大事にするんだぞ』って」


 お嬢様ムーブの真相を知って、感傷的な気分になったのは、父の顔を思い出したからかもしれない。


「そうそう。だから、お兄ちゃん、毎日お風呂に入れてくれたり、着替えも手伝ってくれるんだよ〜」

「なっ」

「茜さん、そうなのですか?」


 朝比奈さんに引かれたかも。


「やはり、妹さんを大事にされていらっしゃるのですね」


 そこだったか?

 変態扱いされなくて、助かった。


「お兄ちゃん、少しは自分のこともすればいいのに、メルにかまけてばかりなんだよ〜」

「それで、学校ではいつも寝ているのですか?」

「えっ? お兄ちゃん」


 妹の声が怖い。


「お説教は家でするから、楽しみにしててね〜」

「すいません」

「わたくしが余計な発言をして申し訳ありませんわ」


 朝比奈さんは真面目な子のようで、僕の方が申し訳なくなってきた。


「朝比奈さん、気にしないでいいよ」

「ありがとうございますですわ」


 お嬢様らしく、丁寧に頭を下げた。


「朝比奈さん、やっぱりお嬢様だよ」

「ですが、わたくしは偽物ですわ」

「お金持ちとか関係ない。仕草だとか、心の持ちようだとか。ひとつひとつが、お嬢様なんだよね」

「そうなのですか」

「だから、僕は朝比奈さんがお嬢様だって認める」


 僕に認められても意味ないだろうに、朝比奈さんは頬を緩ませる。


「ところで、お兄ちゃん。朝比奈先輩のお願いってなんだっけ〜」

「あっ」


 だいぶ、話が脱線していた。


「あらためてお願いします。茜さん、わたくしに介護の技術を教えてくださいまし」


 お嬢様は深々とお辞儀をする。

 震える声が、彼女の真剣さを表していた。

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