小さな勇気とラッキースター――1月号
大学生活も残り三ヶ月だ。
正月に会ったきりの
あたしはといえば、自室のこたつから抜け出せないでいた。寒さもあるが、もともとインドア派なので、引きこもりが至福なのだ。バイトや付き合いがなければ出ないことが至高だ。週に一度のゼミと週末のバイト、思い出した頃に行くスーパーとほんのちょっと
ほとんどバイトでしか動いてないし、話もしていないので、たぶんもろもろの筋肉が落ちている。無事、就活を終えたのにニートみたいな生活。
亮平は夏に就職を決めたが、後期に入ってからも住み込みのように研究室に通っていた。お風呂に入る元気もなく、息絶えるように寝てはゾンビのように起きる生活を繰り返す。バイトもシフトをゼロにしている状態だ。部活動なんてもともと薄かった影すらも消えているだろう。
泊りがけで彼の部屋を訪れた時、何度も屍のような姿を見たものだから、さすがに構ってほしいなんて口がさけても言えない。
片手間にやっているSNSに上げられる写真はフライング卒業旅行や卒論に苦悩する書き込み、下手したら元クラスメートに赤ちゃんが生まれている。狭い世界で気が滅入っている自覚はあるが、さすがにまぶしすぎた。
自分もリア充に分類されるのだろうけど、なんか、違う気がする。亮平や菜穂子の邪魔をしたいわけではない。他の友達と遊ぶ予定がないわけでもない。現に、ゼミで卒業旅行の話が出ている。
「どうすんだろ」
就職決まりました(涙)の書き込みを見て、思わず呟いていた。何をしても頭から離れないどんよりとした気持ちを。
亮平は県内で就職を決めていた。
あたしは地元で就職を決めていた。
片道、車で三時間のちょっとした遠距離になる。むしろ、卒業しても続ける気があるのだろうか。
特に相手の就職先に口を出すつもりはなかったし、全く聞かれなかった。互いに決まった先を伝えただけだ。たぶん、相手の将来を自分のために変えてほしくなかった。
『合鍵、もらうべきだったかなぁ』
書き込み欄に打ち込んでみて、ひと文字ずつ消していく。あの時は失くしたら困るものを渡すなと、思った。
こんなに不安になるなら、却下しなければよかったと今さら反省する。
広告欄に占いが瞬くごとにうつろいた。
山羊座のラッキーアイテムは流れ星らしい。まだ夕方なんだけど。見えない星を探せと。無情な。
通知音と共に、携帯の画面に文字が浮かび上がる。
『卒論おわた』
『ちがった』
『無事、終了』
三回鳴った音は何とも間抜けだった。表情筋が死んでいると噂される亮平は何事にも動じないように見せかけて、真面目にドジを踏む。
『お疲れ様』
少しだけ悩んでいつも通り、素っ気なく返した。画面に浮かぶ文字をぼんやりと眺めていると、躍り出たのは
ハシビロコウにじとりと睨まれながら緑のアイコンをスワイプして耳にあてる。
『今から行ってい?』
画面に映る文字ではなく、彼の声が聞こえた。
「わかった」
ん、とほぼ無言の返事で会話は終了。
ふっと息を吐き、知らず知らずのうちに緊張していたのだと思い至る。
机の上を片付けて、さぼりがちだった掃除機をかけた。人に来てもらわないとどんどん汚くなるから困ったものだ。
もうちょっとマシなのに着替えるかなと服を吟味していると、着信音が再び響いた。
ハシビロコウがせがんで来るので、緑のボタンをスワイプ。すぐに言葉が飛んでくる。
『ごめん』
「何が?」
『自転車パンクしたから、一旦帰る』
「ちゃんと休んだら?」
ひどく疲れた声にすぐに返していた。あっさりとした口調に親の会話みたいと言われたことがあるが知ったこっちゃない。気遣いはしている。相手に伝わってるかどうかはわからないけど。
『なおしたら行く』
「あたしが行くよ」
ん、と聞こえないような声が答えたのに、通話は終了しない。
「準備したら出るから、じゃ」
赤いボタンを押して、コンビニに行ける程度の服を選んだ。鏡を覗いて眉毛や汚れを確認してショルダーバッグを肩にかける。部屋の電気を消して、夜になりかけの夕焼けに飛び込んだ。
自転車に乗ったあたしは、すぐに亮平の背中を見つけた。
横に並んだ所で自転車を降りて、前を向いたままドンマイと声をかける。
振り返った亮平の顔色は幾分か回復していた。卒論という呪縛から解放されたさらだろう。
小さく笑んだ気がしたが、相変わらずの無表情だ。瞳に少しだけあたたかさが増したと思ったのは気のせいではないと祈りたい。
カラカラと並んだ自転車の音が響く。
「旅行行く?」
突飛な言葉に押し黙る。彼が思い付いたように話題をふるのはいつものことだ。告白のときもそんな感じだった。
それがさよなら旅行にならなきゃいいけど、と言いそうになって寸前で止めて言い換える。
「……行けるなら行きたいけど、まだ、発表が終わってないからいそがしいでしょ?」
「発表終わってからにするか」
「……ん」
二つ分のチェーンの音がひどくさみしく聞こえる。視界の端で夜から太陽に向かって何かが光った気がした。流れ星かもと思ったのは占いのおかげだ。
りょうへい、と呟く。
いつもの返事はチェーンの音にかき消された。
サドルを握って、言葉を落とす。
「四月から、どーすんの」
「仕事する」
不思議そうにしながらも、生真面目に答えるものだから、苛立ちが声にのってしまう。
「遠距離になるよね、続けるの」
「俺は別れるつもりないけど」
不安そうな目が向けられる。いつもは感情なんて欠片も顔に出さないくせに、今日は不安でゆれていた。
まさか、あたしは別れるつもりがあるとか思ってる? 失礼な奴だ。
何だか腹がたつ。
「あたしもない」
ほ、と表情をゆるめる亮平に甘い自覚はある。このかわいい人を捨てたらどうなるんだろうと調子のいいことを考えてしまった。
去年もこんなことしてた気がする。もしかしたら、来年も同じことをしてるのだろうか。
調子のいい自分がきらいではなかった。半分が亮平のせいなのも悪くない。浮かれた気持ちのまま、あたしは勇気を出す。
「住むところ決めたら、合鍵ちょうだいね」
「一緒に住む?」
歓喜にきらめく瞳で甘えてこられて、言葉に詰まってしまった。どうして、こうも現実離れしたことばかり考えているのだろう。ぐっとこらえて口を開く。
「それは、ない」
寒空に星がきらりと落ちた。
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