白の境に舞う金烏。――10月号

 どうしたもんかと悩んでいたら、気だるげな臼井うすい先輩に出くわした。大学と温泉街のちょうど中間地点にあるコンビニで。

 あちらはパッケージを見ずに、ジャスミン茶を取ってレジに引き返そうとしている。気付かなかったフリをしようかと思ったが、やっぱりやめた。


「臼井先輩」

「あー? あ゛ん? 熊公くまこう、冬眠しそこねたのか」

「俺、歴とした人間ですし、まだ秋ですよ」

「やつれてんなって言ってやったんだろ。駄洒落を言いたかねぇし」


 ジャスミン茶のパッケージが迫ってくる。一定の距離で止まり、蓋を掴んだ指先の一つが俺の目元を指差した。


「熊にクマができてるって言いたいわけですか」

「言いたかねぇっつったろ」


 指が鼻先を掠めて、疲労感のたまった背中がレジに向かう。

 人に疲れていると言えないのは、そっちではないか。

 臼井先輩が会計を進めるカウンターの端にジンジャーエールとシュークリームとカヌレ、チーズケーキを並べた。向けられた冷ややかな一瞥を笑って流す。

 奢るわけがない臼井先輩はすました顔で支払いを済ませた。

 何も言わずに立ち去ろうとする背中に一声かける。


「ちょっと待っててくださいよ」


 返事もしない先輩は店を後にした。

 慌ててペイで会計を済ませた俺は急いで外に出る。

 ピリピリとパッケージを外す臼井先輩がコンビニの窓に体を預けていた。気の向くままにさすらう先輩もこういう時ばかりは鬼ではないらしい。

 小さく息を吐いて横に並ぶ。履きつぶされたサンダルのそばに安っぽいカゴのお風呂セットを見つけた。俺が使っているシャンプーと同じだと言ったら、いやな反応をしそうだと笑いを噛みしめる。


「お風呂にお供しましょうか」


 冗談めかして言った俺は臼井先輩の顔を見ないようにジンジャーエールをひと口ふくむ。


「野郎と連れだって行く所じゃねぇだろ」


 案の定、吐き捨てるように返した先輩はジャスミン茶をあおった。

 確かに、と笑ってしまう。

 ほらみろと眉を上げてみせ、閉じた唇から舌の先を出し滴をすくった。煙草でもあれば様になりそうな横顔なのに、無精髭を爪でかきながらコーヒーが不味くなると一蹴したのは確かな記憶だ。


「月が出てんな」


 おざなりな声に俺も青い空を見上げた。


「昼間に月なんて見えるもんなんですね」

「いつだってあんだよ。太陽がなけりゃ、輝けないけどな」

「それもそうか」


 ちっぽけな俺らの存在に気にも止めずに月は白く輝いていた。正しくは反射していたという方が正しいのだろうが、そこを指摘してしまったら不粋だろう。

 男二人で見上げた月にこぼすように悩みを打ち明ける。


「すずを怒らせたみたいなんですけど、どうしたらいいと思います?」

「知らねぇよ。俺の問題じゃない」

「臼井先輩、すずと仲がいいじゃないですか」

「嫌われてるに一票」


 目を細めた皮肉屋はそう返すが、すずをからかうことに関しては一流だ。幼馴染であるはずの俺よりも、すずの機微を悟るのだから感心させられる。


「その甘いもんで謝れば、すぐに仲直りだろ」


 俺も知る機嫌とりの方法に肩をすくめた。


「昨日はそれでもだめでしたよ」


 鋭い視線が俺を刺してくる。


「何があったんだよ」


 聞く気になりましたかと茶化せば、すぐに手の平を返すことはわかっていたので、素直に説明する。

 動物園に行ったこと、手を握ったら、そこから機嫌が悪くなったこと。


「お前ら、手ぇ繋ぐほど仲がよかったのかよ」

「すずが手を繋いでいるのを羨ましそうにみてたので、つい。繋いだこと自体は怒っていないと思うんですけど」

「拗らせてんなぁ。そん時、何か言ったんだろ」

「特には何も。しいて言うなら、手がかさついていたかな、と」


 我ながら間抜けな見解だ。

 ひとさし指の第二関節でこめかみをかいた臼井先輩は嘆息まじりにこぼす。


「理由もなく怒るわけねぇーだろ」

「手を振り払われたのにびっくりし過ぎて、あまり覚えてないんですよねぇ」


 ペットボトルの蓋を開けたり閉めたりして気を紛らわした。

 ジャスミン茶は猫のしっぽのように揺れている。


「お前、相談する気あんのか」

「おっしゃる通り」

「恋人繋ぎとかしたわけじゃないだろ?」

「普通の繋ぎかたですよ」


 また押し黙った先輩は手持無沙汰にふた口、ジャスミン茶を含んだ。ペットボトルの空きっぱなしの口を叩いて尋ねてくる。


「どんな奴らを見てたんだよ」

「カップルですね」


 自信を持って答えたら、臼井先輩の眉間にしわが五本ぐらいよった。ものすんごい苦い……違うな……激甘なものを飲み干したような怒りを押し込めたような顔だ。


「一緒だ、とか変なこと言ったんだろ」

「……そんなことを言った、よう、な?」


 遠慮なくさげすんだ目で見られた。

 一昨日の幼馴染みと瓜二つだ。やっぱり、すずと臼井先輩は仲がいいと思ってしまう。話を聞いただけで、俺には理解できないことを理解しあえてしまうのだから。


「拗らせてんなぁ」


 そうなんですかと曖昧な返事をしたら、無視された。

 一気にジャスミン茶をあおり、喉仏が動く。怠慢な動きで蓋を閉めるとカラを投げてよこした。


「お前、さわりたくなっても一生さわんな」


 言外に呆れたような馬鹿にしたような、少しだけ情けをかけるような色を含ませて、臼井先輩は吐き捨てた。預けていた体を起こして歩き出す。

 さっぱり意味のわからない俺は訊ねるしかない。


「……何かの例えですか」


 ズボンのポケットに両手を引っかけた背中は何も言わずに進んでいく。サンダルがぱたぱたと間抜けな音を立てるが、それさえも風情あるように思えるのだから不思議だ。

 見えなくなるまで見送って、透明なペットボトルを店内のごみ箱に捨てる。パッケージの使い道が気になったが、訊ねても答えそうにない相手を追う気にもならない。自転車に跨り、こぎだせば目に入ったのは白い月だ。

 真っ青な空に浮かぶ、儚くも凛々しい月に機嫌を損ねた幼馴染を重ねる。彼女は誰もが見惚れるほどの美人で、作り物じみた顔は近寄りがたい。

 存在するだけで輝いている気がするのに、太陽の光が無ければ、月は輝けないのだろうか。

 輝きの欠片もない俺が考えても仕方がないと、すずのアパートに向かうカーブを曲がった。



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