叫んで五月雨、金の雨。――5月号

 新歓を終え、我が映画研究会には八人の新入部員を迎えることができた。新歓担当としてうれしい限りである。

 一年で一番盛り上がると言っても過言ではない、菖蒲あやめ祭の屋台は一年生の親睦を兼ねた担当だ。彼らに引き継ぎをして五月から二、三年生は制作活動に移る。四年生は就活があるから有志だけというのが建前。バリバリ監督している人もいるけど、毎年のことだ。心配しなくても大丈夫だろう、たぶん。

 参加する映画を決めてメンバーにも入れてもらっていた私は部室をのぞいた。誰もいない部室で棚を探る。目的はミーティングノートだ。打ち合わせにバイトで参加できないから、目を通すと伝えてある。

 私が衣装と小道具を担当する映画は裏社会を舞台にした逆転爽快物語だ。パラパラとページをめくり、予算と準備すべきものを確認する。スーツは役者各自が持ってるからいいとして、ワイシャツやネクタイで個性を出すみたい。ダークカラーのワイシャツや白スーツは部員全員と先輩方に声をかけてみて、なさそうなら次の策を考えようの頭のすみにおく。

 貴金属にスーツケース、白い粉に、スーツケースいっぱいの札束。

 覚えきれないので、携帯で写真を撮った。

 脚本は仕上がっているらしいから、月末には撮影が始まるだろう。急いで準備をしないと。

 時間を見てノートを棚にしまう。

 大きな会議室についたてがあるだけの解放感にあふれた部室の掲示板には、立案が貼られていた。

 他にはどんなものが撮られるのだろう。どれもこれも惹かれるものばかりだ。なんてたって、映画好きが集まる部活なのだから。

 どの立案も手書きや印刷物と個性に溢れているが共通していることは個人情報がフルオープンされていることだ。電話番号や、メールアドレス、後はID。興味がある人はそこに連絡してくれと言うこと。

 個人情報の代表格をさらけ出して事件が起こらないのは、大学の生徒がいい人ばかりと思うところか、日本人の気質と思うところか。世の中、不思議なことでいっぱいだ。

 昨日見た、落とし物の携帯から始まる悪行の数々からサスペンスを絡めたミステリーを思い出す。

 名前と電話番号を使って、本人が思わぬ所で悪いことに使われているかも――私、殺されたりしないよね?


 渡瀬わたせさんだ、という声を拾って顔を上げる。考え事をしながら、部室を出ていたみたいだ。

 ちょっと元気のない妹尾せおくんがいた。やわらかいくせ毛は心なしか跳ねていない。でも、相変わらずの柔和な笑顔で挨拶代わりに首を傾げながら声をかけてくれる。


「部活?」

「うん。そっちは徹夜明け?」

「んー、まぁ、似たようなもん」

呂村ろむらセンパイ?」


 そー、と気のない返事をされた。

 私の予想が正しければ、深夜のバイト終わりからのフィルム写真の現像作業だろう。

 デジカメもある世界で、大変な作業だ。以前、何が違うの、と訊いたら重みと答えられた。わかるような、わからないような。私の物差しでははかれない次元だ。

 今回も呂村センパイからの頼まれごとだろう。彼女は共同獣医学部生らしく研究室にこもりがちだ。代役として妹尾くんに頼むことが多々あるみたい。

 妹尾くんは女性からの頼みを無下にはできない。断らないというほどではないけど、たいていのものを聞き入れてしまう。以前、優しいね、とほめたら逆らえないんだよね、と死んだ目をしていた。

 その目を見た私はお願い事をするのはやめようと密かに決めていた。



 やってしまった。お金を落としてしまった。

 いやいや、コピーした偽物なんだけど、いや、大切なお金なんだけど。

 いくら歩きだからといって、雨の日に紙袋だけで来るんじゃなかった。紙袋の手持ちが切れて、あろうことか茶色の川にダイブするなんて、ギャグ的展開を予想できただろうか。

 叫んでしまったけど、周りに人がいないのが救いだ。

 金の川を作りもせずに、沈んだまま私の努力は流されていった。

 好きで廃棄してないので怒らないでほしい。川に向かって手を合わせ、とりあえず謝った。誰に謝ればいいのかわからないけど。

 また、あの数を刷るのか、と思うと気が遠くなる。校内で一番安いカラー印刷は人文学部と理学部の間にある売店だ。

 入店してきた人がコピー目的かも知れないと怯えながら、またコピー機の世話を焼くことになる。前は慣れない作業に何枚も失敗したから余計にだ。

 深い深いため息をついて、昼休憩は返上だな、と目が遠くなった。


 講義も終わり、昼休憩。友人の誘いも断って売店に向かう。カラー印刷一枚三十円のお財布にやさしい仕様だ。川に落としたのも自分の失敗だから、男前に印刷代を持つつもり。費用を二重に請求するのも気が引けた。

 さよなら、私のお金。

 幸いなことに原紙は持っていたので、コピーはスムーズに進む。スーツケースに厚底をかますから全部で五十枚。

 両面だから、単純に考えて二倍になる時間をもてあます。

 なので、昨日できたばかりの脚本を取り出してぺらぺらとめくった。話の流れはわかっていたけれど、シナリオを読むとまた違った面が見えてくる。

 大金をめぐって、社会の闇と友情と陰謀がうずめくのだ。冒頭に金の雨を降らすと出ているけど、小道具の耐久性を考えて、撮影の最後に持ってくるだろう。


「何してるの?」


 その声で扉の開閉に気付かずに読みふけっていたことに気がついた。

 ぱちりと瞬いた先に妹尾くんだ。


「お金を印刷してるの。部活で使うから」


 へぇ、と気のない返事と共にコピー機を覗きこまれた。


「それって法律にひっかからないの?」

「え。どういうこと?」

「お金の偽造品作るのって犯罪になるんじゃなかったっけ?」

「あーうー、あー?」


 そうだったような、そうじゃなかったような。

 使用目的によるのかな、と妹尾くんは呑気に言っている。

 サクッと調べてみたら、拡大コピーみたいなあからさまな偽造で教材として使うのでもグレーゾーンらしい。

 ということは、私がやってる行為はアウトじゃないだろうか。


「お札に『偽物』みたいな字を書いたら? 使うのが目的じゃないでしょ」


 震えながら事情を説明すると、妹尾くんは学食行く?のノリで答えてくれた。

 ただコピーするだけじゃなくて、何もしないよりはマシだろう。

 マシだけど、十枚ずつ印刷した五十枚の両面に全部? それとも刷りなおす? お金がかかるのに? それから、切断作業もあるのに?

 できるのはできるけど、気が狂ってしまいそうだ。

 私が遠い目をしていたのだろう。

 妹尾くんが深々とため息をついて、手伝うよと申し出てくれた。彼が神様に見えた。ひどく疲れた神様だけど。


 はやく金の雨を降らせて、なかったことにできないかなと思った。


「学食でする? そろそろ空いてるでしょ」


 くたびれているのに普通を装う妹尾くんには冗談でも言えそうにない。


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