【2022】六花とけて、君よ来い*同題異話短編集

かこ

さよならを忘れて――4月号

 桜が舞う季節になれば、大学の図書館まで続く並木道を思い出す。今はもう若葉におおわれ、様変わりしたけれど二年前に初めて歩いた記憶はまだ残っていた。


深川みかわさぁん」


 その声に振り返れば、渡瀬わたせさんがいた。今日はぶかぶかのロングシャツにレギンスを合わせ、パンプスは春らしいパステルイエロー。鞄の中身が鳴り響くのも構わずに、こちらに走り込んでくる。


「今年は大丈夫だよね、履修登録」

「ご心配なく。もう登録した」


 そう答えれば、ほっとした顔が向けられる。

 パソコンを使った履修登録に手間取り、渡瀬さんに助けてもらったのも二年前の話に過ぎない。

 去年は初めての時にやり方を書き込んだ説明を読みながら時間をかけて済ませた。

 今年はゼミの研究が主だったもので、気になるものしか受講予定はない。去年の半分以下の時間で登録が済んだ。あらかじめ手書きで計画をたてて、履修単位を計算していたからだ。紙とパソコンの数字があっていたのだから心配はしていなかった。

 失礼な、と呟けば、ははという笑い声でごまかされた。

 彼女は話の流し方が軽いので、たまに不快に思うこともあるが、その気楽さが楽だとも言えた。

 ゆるい坂道の先を見つめながら、言葉を投げる。


「講義は終わった?」

「ううん、まだ。部室に行こうと思っただけ」

映画研究会えいけんで何かするの? こっち、逆だけど」


 文化部棟は図書館とは反対側の体育館の裏手だ。部室に行くはずだろうに、遠くなっている。

 私の発言に何か問題があっただろうか。

 そう思わずにはいられないぐらいに、渡瀬さんの顎が限界まで落ちていた。目は白が黒に勝ちそうなほど見開かれている。


「わ、私が映研って覚えていてくれてたんだ……?!」


 失礼な、と再び苦情を申し立てれば、渡瀬さんはちちち、と演技がかった左右の指振りを見せつけてくる。


「深川さん。卒業式の時、私になんて言ったか覚えてる?」

「二年前のことなんて覚えてない」


 眉間に力がこもるのを感じながら答えた。渡瀬さんと同じ母校の話を持ち出すとは珍しい。

 私の答えにまた指振りが繰り返される。

 鑑賞映画に感化されやすい彼女の中で流行っているのだろうか。

 少し前には、自転車にスマイルシールを貼っていた。何かと訊ねたら、自転車に乗れるようになるおまじない、だそうだ。乗りこなしている人に効果は必要ないように思えるが。


「さよなら、って言ったんだよ。同じ大学に行くのに! 卒業式で! さよならって言われたんだよ!!」


 私の思考をさえぎって、渡瀬さんは叫んだ。

 記憶をたどってみたが、覚えがない。ということは、私は特に故意なく自然に言ったはずだ。考えがまとまれば答えるのは簡単だ。


「卒業式でも、挨拶ぐらいするでしょう」

「私はまたね、って言ったのに! 深川さんは『さよなら』だったの!」


 私の冷静な返しは渡瀬さんを落ち着かせる効果はなかったみたいだ。

 渡瀬さんは沸騰したやかんのように鼻息が荒くなっている。

 もう一度、思い出してみるが、高校の制服姿しか脳裏に甦らない。


「……忘れた」

「ほらほらほら! 私が映研なこともすーぐ忘れちゃうに決まってる」

「それは言いがかりだと思う」

「さよならって言ったの忘れたのに?」


 つかさず返されて、言葉に詰まる。

 全然思い出せないのに、そうだった気がしないでもない、と思い始めてしまった。根拠なんてないのに、渡瀬さんが正しいという判断に傾きつつある。


「映研なのは忘れないようにする」


 『のは』ってちょっとひどくない!と可愛らしく頬をふくらませる渡瀬さんを笑いつつ、下りになった坂道に足をゆだねる。

 若葉の作る木陰が心地よく感じられる。あと少しの木陰を抜ける頃には渡瀬さんの機嫌も戻っていることだろう。よくも悪くも変わり身が早い人だから。

 きっと、高校を卒業した時のままの私だったら面倒に思っただろう、この距離感。彼女ならいろんな距離があるよね、と最後には笑って受け入れる。


 彼女にこんなことで振り回されることになるなんて。

 それに悪い気分にもならない自分もいるなんて。


 だから、きっと。来年の私がどうしているかなんて、簡単に想像ができないのだ。



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