銀世界

 湖の対岸まで来たところでマヤ先生はいったん止まった。湖とその先に広がる森との間、夏には砂浜になってみえるところだ。

 はじめて間近で見る外の世界は何もかもが真っ白だった。自分とマヤ先生の呼吸以外の音がまったくしない静寂が支配している。

 尖塔の窓から見る景色と同じもののはずなのに何もかもが違う。潔癖なまでに白く、そして厳格に寒い。ゴーグルを少しずらすと隙間から冬の冷えわたる空気が入ってきて火照っている頬をなでる。頰を刺す様な冷たさを感じて、急に自分が生きている実感がした。寒さに抵抗する体温が愛おしくさえ思える。

 振り返れば遠くに自分が住んでいた遠くに尖塔が小さく見えた。

「ごめんねー、寒かったでしょう?わたしはマリアちゃんのおかげでいくらかマシだったけどね……ははは」

 マヤ先生は申し訳なさそうに笑った。わたしの心臓はまだドキドキしている。わたしはぐるぐる巻きのマフラーの下で微笑んだ。興奮で言葉が出てこない。

「じゃあこのままゆっくり飛んであたりを散策しましょう!」

 マヤ先生は満面の笑みだ。

 わたしはゴーグルをおでこに移動してマフラーを少し緩め、大きく息を吸った。冷たくて清らかな空気が興奮をほどよく抑えてくれる。

「はい!フィールドワークですね!」

「お、それそれフィールドワークね!では本日の授業は~……題して城の近くの自然っ!ということで空からこの辺を散策してみましょう。わたしはリンと違ってモンスターとか植物に詳しくないから、マリアちゃんが教えてくれたら嬉しいな!」

「はいっ!任せてください!」

 わたしは大きくうなずいた。

 マヤ先生は満足そうに眉をさげ頷き返し、ゆっくりとした速度で森の方へと進路をとった。地表から三メートルくらいの高さを飛行していく。眼下には図鑑でしか見たことなかった植物が溢れている。

 眺めていると森の大半を形成する太い幹の植物が目につく。図鑑で見たことがある植物だ。

「いっぱい生えてるあの木は杉、なのかな?ここに来る時もたくさん生えてたわ」

「はい、あれは北方フトー杉といってこのあたりの特産です。あの太い幹はマイナス三十度以下でも凍らずに水を通しているそうです。フトー杉の木材は断熱効果がすごいそうで、この木材で家の内装をしつらえると、とても暖かな部屋ができると言われています。あとはサウナとかに使われるそうです」

 わたしは図鑑とにらめっこして得た知識をマヤ先生に披露する。

「おー、すごい。なんだか北国っぽいね。サウナの木かー!じゃあお世話になったことあるわね。わたし加工されてない状態のは初めて見たかも。フトー杉の木材って、たしかけっこうな高級建築材だったよねー!ここに生えてるの全部持って帰ったら一体いくらになるかなー?もしかして大金持ちになれるんじゃない?」

 マヤ先生の現金な発想にわたしは苦笑いした。

「一般的な木よりもかなり重くて堅いので、運ぶのはかなり大変だと思います。それに切り倒すのには特別な道具と手順が必要となんだとか。普通に切り倒すと内側から凍ってダメになってしまうそうです」

「なんだぁ~、残念!これでもう大変な思いして働かなくてもいいかと思ったのに~。まあでもそうじゃないと高級建築材にはならないか!よくできてるわねぇ」

 マヤ先生はわたしよりはしゃいでいる。なんだかかわいい。

 マヤ先生は前方を指さした。

「おっとー、第一生き物発見ー!アレはアレは?あの大きな角のはえたヘビ!」

 示された方をよく見ると、木の枝の上をを音もなく滑るように移動する体調三メートルほどの大きなヘビが見えた。真っ白な胴体に小さな白いツノが生えおり、赤い四つの目がある。人以外の生きて動いている大きな生き物を見るのは初めてだ。自然とテンションがあがってくる。

「あれはオオキタユキツノヘビモドキですね!確認されている中では最北端に生息するユキヘビモドキ属です。カタチはヘビなんですが、雪の中でも行動できるように、南に生息するヘビとは体の構造が違う生き物です。怖そうな見た目ですが木の皮を主食にするベジタリアンのはずです」

 オオキタユキツノヘビモドキはフトー杉の枝に絡みつき、木の皮をかじりはじめた。図鑑で見たとおりの光景が目の前で再現されている。本当にベジタリアンなんだ。かわいい。

「ヘビモドキ!しかもベジタリアンて!でもヘビなんでしょ?体温とか低そう」

「えーと、ヘビですけどヘビじゃないと言いますか……えと、でも確かヘビモドキ属の平均体温は20度くらいのはずですわ。だから触っても暖かくはないはず、ですかね?でも今は手が冷たいから暖かく感じるのかな?」

「じゃあ、試しにちょっと触ってみよっか」

「えっ。マヤ先生それはちょっと危険なのではないでしょうか?」

 オオキタユキツノヘビモドキは堅そうな木の皮をバリバリと噛みちぎっている。もし噛まれたら大変なことになりそうだ。

「大丈夫大丈夫!ヤツはベジタリアンなんでしょ?わたしたちは野菜じゃないしー」

 マヤ先生は躊躇なく木の皮をかじっているヘビに箒を寄せていく。近くで見るとかなり大きい。胴廻りはわたしの頭三つ分くらいはあるんじゃないだろうか。いくらベジタリアンだからと言って身を守るときくらいは攻撃する気がするのだが。

 あとヘビまで一メートルという距離まで来たとき、ヘビが鎌首を持ち上げてこちらを威嚇しはじめた。ほらきた。

「マヤ先生、ヘビモドキさんなんだかご機嫌ななめのようです。触るのはやめた方が……」

 マヤ先生は杖を取り出しヘビにむけて杖をヒラヒラとふる。

「ほらほら、怖くないよ~」

 するとシャーシャーとこちらを威嚇していたヘビはビクッとすると急に静かになり頭を下げた。これもまた何かの魔法だろうか?

「それターッチ!」

 マヤ先生は手を伸ばしてヘビをペチペチと叩き始めた。かなり遠慮なく叩いているがヘビは攻撃して来ない。怯えているようにも見えるほどだ。

「ほら、マリアちゃんも!」

 ヘビは細い舌を出し入れしながら大人しくこちらを見ている。わたしはおそるおそるヘビに手のひらを乗せた。

「あったか……いや冷たい?」

 ツルツルとしたヘビの体は冷たい気がした。少なくとも20度もない。ヘビの体ってもっと硬いものかと思っていたが意外と柔らかいし、しっとりしている。ふにふにしていて楽しい。ふたりで一通りヘビを撫でまわしていると、ヘビはゴロゴロと喉を鳴らしはじめた。

「ふふっ、ネコみたいね」

 わたしはマヤ先生の言葉にハッとした。

「ネコ!聞いたことあります。その姿を見た誰もが心を奪われ魅了されるという伝説の魔獣のことですよね?」

「えー、なにそれ。マリアちゃん一体何の本で読んだのー?」

「えっ!違うんですか?」

「うん、違う違う。もっとこうモフモフしてて小さい生き物だよ。魔獣とか怖い感じじゃないよ、もっとカワイイやつだよ~。異国に行ったときに見たんだ。耳とか、こんな感じの……」

 マヤ先生は頭の上に手のひらをたてて、パタパタと動かしている。

 うむう、やはり本で読むだけでは正しい知識は得られないのか。耳があんな動きするなんて一体どんな生き物なのだろう。

「魔獣ではないのですか。異国が舞台の小説などに度々出てくるのですが、どんな生き物なのか見たことがないのです。お父様に頼んでもなぜかネコの図鑑だけは買ってくださらないし」

 マヤ先生はなんだか難しい顔をしている。

「……いや、やっぱり魔獣なのかも。確かに心は奪われるし。マリアちゃんの言ったこともあながち間違いじゃないのかなぁ。まあ、魔獣って言ったらある意味魔獣なのかも?」

 やはり魔獣なのか。一体どんな危険な生き物なんだろう。そもそもモフモフとはなんなのか。見てみたいが、この辺りにネコ科の動物の棲息は確認されていないのだ。残念。

 一通り観察したのでヘビモドキは解放してやって、どんどんと次に進むことにする。

「あ、アレは?真っ赤で小さな花が咲いてるよ!」

 いくつもの小さな花が雪の間から顔を覗かせている。雪の白と花の赤のコントラストが鮮やかだ。

「あれはブラッドポピーだと思います。雪が降っている間だけ花が赤くなるとか。赤い時の花弁の部分は麻酔や鎮静剤の原料になるはずです。寒ければ寒いほど効用が高い花をつけると言われていますね」

「あー、これがブラッドポピーなのね!わたしこの花には何度もお世話になってるわー……あはは」

 マヤ先生の仕事はなんなんだろう?話からするとボディーガードか何かだろうか。

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