初めての外出

 わたしにとって人生で初めての外出だ。そう思うとなんだか急に胸がすごくドキドキしてきたけれど、ちっとも嫌じゃないし苦しくもない。ちょっとの不安はあるけれど、それを大きく上回る期待が胸がいっぱいになって、いてもたってもいられない。今までもこんな感じを味わったことはあるけど、身体が浮き上がりそうになるくらいに気持ちがいっぱいになったことはなかった。

「一応確認するけどマリアちゃんは箒に乗るのってはじめてだよね?じゃあ前に乗ってもらおうかなー。普通はね、箒を運転しないパッセンジャー、同乗者のことね、は後ろに乗るの。だけど慣れてないと加速で振り落とされちゃうことあるから」

 マヤ先生は箒にまたがって自分の前を指差した。

 近づいてから、あらためて箒を眺めると異様な形をしている。

 名前こそ箒といいこそすれ、空を飛ぶ用の箒はわたしの見知った床を掃くための箒とはまったく違う形だ。柄の部分は乗りやすいようにサドル型になっている部分があるし、可動式の足をおくステップ部分もある。そして穂先は幾何学的に枝分かれしていて掃除用の箒のようにフサフサはしていない。強いて例えるなら絵に描いた雷のようだ。それに何よりこの箒はかなり大きかった。全長はニメートル弱はある。先が少し折れてるけど。

「これが空を飛ぶのですか……わたし空を飛ぶための箒を初めて見たんですけれど、ずいぶんと大きいのですね……。形もわたしの知っている箒とは全然違います」

 マヤ先生はアハハと笑った。

「そうだねー。魔法使い以外の人は、ただ箒っていったら普通は掃除用の箒の形を想像するよねきっと。昔の魔法使いは本当に掃除用の箒と同じ型のに乗ってたらしいわ。けど流石にあの形に長時間は乗れないもの。あんなに細くっちゃお尻痛くなっちゃう。だから長い年月をかけて空を飛ぶ用にだんだんと洗練されていって今の形になったってわけ。それで今は箒っていう名前だけが残った形ね。それでこの箒は長距離移動用の比較的長めのタイプね。用途によって色んな長さがあるわ」

 初めて聞く飛行用の箒の歴史だ。そんなにたくさんの種類の箒があるとは。こんな世界があるなんて想像もしてなかった。リン先生は知っているのだろうか。

「興味があるなら箒の詳しい説明はまた別の機会にしてあげるね!さあ乗った乗った!またがったらこのあたりを持ってね」

 わたしはおそるおそる箒にまたがった。だぼだぼの袖を縫うように手を出して箒の柄を握る。箒の柄は硬質そうな見た目とは裏腹にしっとりと手に吸い付くようだった。柄を握ると少し力を吸い取られるような気がする。

「持つときになるべく箒を意識しないでね。マリアちゃんの魔力がもってかれちゃうから」

 わたしの魔力?そんなものあるのだろうか。マヤ先生は構わずに続ける。

「準備はいい?最初は結構加速するけどわたしが後ろにいるからマリアちゃんは何の心配もいらないよー。舌だけは噛まないように気をつけてね!あと首のむち打ちに注意ね!最初は少しうつむいてた方がいいかも」

 マヤ先生はそう言いながらわたしを後ろからつつみこむように体勢をとった。なんだかいい匂いがする。これが大人の女の人の香りなんだろうか。

「よーし、じゃあマリアちゃんの初フライトだ!いっくよー!」

 ゆっくりと箒が上昇し、体重が徐々に足の裏からおしりに移っていく。やがて足が浮いた。

「わわっ」

 すかさずステップに足を置く。

「いくよー!」

 箒が完全に宙に浮いたと思うといきなりすごいGがかかった。

「っ!」

 あまりの加速に後ろに仰け反る形になったがマヤ先生の身体にぶつかってなんとか踏みとどまる。一瞬のうちに、今までの一生を過ごしてきた尖塔を抜け出した。実にあっさりと。

 雪がゴーグルとマフラーの隙間から入り、すごく冷たい。物凄い風切音で耳がどうにかなりそうだ。

「ちょ……のために……湖面……から……くね」

 マヤ先生が何か耳元で叫んでいるけれどよく聞き取れなかった。そして次の瞬間、箒が急降下する。内臓が上に持ち上がる感じがして気持ち悪い。血が逆流してるんじゃないだろうか。

 真っ逆さまに急降下し、凍った湖面に激突するかと思った瞬間、今度は下向きのGがかかり体が箒に押し付けられる。背骨が縮みそうだ。

 箒の進路が水平に戻ると更に加速して湖の上を一気に駆け抜けていく。こんなに湖に近づくのは初めてのことだったが、移動速度が速すぎて何も判別できない。次から次へと視点を置いた目標物が背後にとんでいく。ところどころ服の隙間から痛いほどの冷たい風が入ってきている。

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