外へ

 この人はわたしの話を聞いていたのだろうか。しかし目の前の女性には迷いがないようだ。少なくとも冗談を言っている様にはみえない。それどころか外套を着込み、間食用のお菓子をまとめてバッグにしまいこみ、テキパキと外へ行く準備をはじめた。

「うん、それだわ、我ながらナイスアイディア!フフ、やっぱり善は急げよね~、今からいきましょ。あーよかった!わたしにも出来そうなことがあって!」

 マヤ先生は切り換えが早すぎる。

「あの、マヤ先生?失礼ですが先ほどのわたしの話を聞いておられました?わたしは外へは出られないのですわ。この尖塔の下部には結界が張られていて許された者しか通れない……のですが……あの先生?」

 マヤ先生は外へ行く準備を中断する気も無いようで、手を止めない。テンポよく踊るように作業を続けている。

「あー、大丈夫大丈夫!リンからはあなたを外に連れ出すなとはいわれてないし!」

「あの……そういうことではなくてですね……結界が……」

 出ようと思っても結界があって出られないのだ。昔から何度も試してみたが、ある一定のところから見えないやわらかい壁みたいなものに阻まれて進めないのだ。

「結界?それも問題なーし!」

 マヤ先生はおおげさに親指をたててポーズをとる。え、なに?すごい可愛い。でも混乱するからやめて欲しい。

「パッと見た感じ結界がはってあるのはこの尖塔の根元、出入り口の部分だけだったから。しかも、わたしでもわかるくらいのかなり単純なタイプの結界だよー。マリアちゃん自体にもみたところなんの呪いも封印もかかってないわ。さあ、早くマリアちゃんも準備準備っ!あぁ~、先生かぁ~。実はわたしちょっと憧れてたんだよね。こうみえてわたし……」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいマヤ先生!呪いとか封印とかってなんです?いやそうじゃなくって、その……本当にわたしを外へ連れていくつもりなのですか?」

 わたしの質問にマヤ先生は手を止めてわたしを見据えた。綺麗でまっすぐな目だ。嘘や誤魔化しは簡単に見抜いてしまいそう。マヤ先生は一呼吸おいてから微笑んだ。

「そうだよ?マリアちゃんは外に出てみたくないの?」

 マヤ先生は先ほどまでよりちょっと落ち着いたトーンでわたしにそう問いかけた。

 この尖塔から出てみたくないわけではない。昔はよく外の世界へ行くことを夢想したものだった。しかし、いつからか外の世界はわたしとは関係の無いもの、どこか遠くの別の世界のことのように思うようになっていた。かつては見てみたいと願い焦がれていたはずだったのに。

「出てみたいです……だけど……だけどちょっと……怖いです」

 いきなり過ぎて心の準備が出来ない。いざ現実に夢に手が届くとなると怖い。好奇心もあるが恐怖心の方が少し勝っている。それが今のわたしの偽らざる気持ちだった。

「ふふ、わたし正直な子は好きよ。そうよね、マリアちゃんにとっては初めてのことだものね。怖いのは当然だわ。でも……」

 マヤ先生はわたしの前に立ち、腰を落としてわたしと目線の高さを合わせた。そして右手で自身の胸をドンッと叩き続ける。

「わたしにまかせて!わたしこう見えて腕には自信があるのよ。あ、腕っていっても腕力じゃないわよ?魔法の腕ね!自慢じゃないけど国王のボディーガードだってしたことあるんだから!どんなヤツが来てもマリアちゃんをVIP待遇で護衛しちゃうからまかせてちょうだい!」

 マヤ先生は力こぶを作って見せた。すらりとした腕がキレイだ。が、わりとしっかり力こぶが出ている。初めてみた、力こぶ。

 それにしても国王といえば魔法の王国の中でも一番偉い人のはず。王国の政治体制の詳しいことはよくわからない。しかし、そうであるならばマヤ先生は元ヤンの中でもすごい元ヤンということになるだろう。エリートの元ヤンだ。すごい。

「まあ腕力もちょっとは自信あるんだけどね。でも、ああ……わたしが深窓のお嬢様をエスコートするなんて……とっても素敵なシチュエーションだわ」

 マヤ先生はなんだかうっとりしはじめている。わたしよりも興奮しているマヤ先生を見ていると、だんだんとわたしも気持ちが高まってきた。

「お、マリアちゃんもやる気でてきた?じゃあ改めまして……」

 マヤ先生はわたしに向かって右手を差し出した。おそらくこれは握手という礼儀作法だと思う。知識では知っているが実際にやったことはない。躊躇しているわたしを見てマヤ先生は片眉を上げる。

「あれ、握手ってしたことない?それとも知らない?」

「知識としては知ってますが、実際にしたことはないです」

「じゃあ初握手だ。これから一週間よろしくね!」

 マヤ先生はわたしの右手を素早くとって握るとテンポよく振った。

「よ、よろしくお願いします」

 初めての握手は思ってたよりしっかりと手を握られるものだった。手をつなぐ時よりも、もうちょっとしっかりギュッと握るのだ。初めて触れたマヤ先生の手は暖炉よりも暖かくてしっとりしていて、これが大人の女の人の手かと思うとまた少しドキドキした。

「そこの窓から魔法で空を飛んで出るから!」

 魔法で空を飛ぶ!すごい、絵本の中みたいだ。

「あー、外はね……めっっっちゃくちゃ寒いから!防寒着をしっかり着こむこと!」

 マヤ先生は大げさな手振りで外の寒さをアピールした。

 やっぱりすごく寒いんだ。どうしよう。

「あ、っていうか外に出たことないんだったら、もしかしてコートとか持ってない?」

 わたしは首を縦にふった。わたしが持っているもっとも保温力があるアイテムは、布団を除けば、毛織のひざ掛けだった。

「じゃあ、わたしの予備を貸すよ」

 マヤ先生は自分のトランクから鮮やかな黄色いコートを取り出した。このあたりの織物ではまず使われない色彩だ。わたしがそのコートに袖を通してみるとかなり丈が余る。手の先が外にでてこないほどだ。小さい時に兄様たちのおさがりをもらって着たときの感覚がよみがえる。

 マヤ先生が言うには今回は歩いて移動する予定はないから、ぶかぶかでも問題はないそうだ。他にもマフラーをグルグル巻きにされたり顔の半分くらいを覆う大きなゴーグルをさせられたり、ふかふかでぶかぶかのズボンを履かせられたりした。マヤ先生は「かわいいかわいい」って褒めてくれたけど、鏡をみなくても大変なことになっているのはわかる。

「マヤ先生はその格好で大丈夫なんですか?わたしに比べるとずいぶん薄着ですけど……」

「ちょっと寒いけど問題ない問題ない!わたし丈夫だから!」

 そういいながらマヤ先生が窓を開けると雪が静かに吹き込んできた。顔はちょっとひんやりするけど色々着込んだおかげか寒くない。というか体は暑い。

 窓のはるか下には凍った湖面がいっぱいに広がっている。これまではただ眺めるだけだった真っ白な世界。これからそこへ行くのだ。不安でいっぱいだった気持ちの底で期待がふつふつとわきあがってくる。やがて期待はいっぱいになってわたしの胸を満たし、震えとなって身体中を駆け抜けた。思わず口角が持ちあがるのを感じる。

 マヤ先生は懐から三十センチくらいの派手な棒を手に持って窓の外に向け、宙で何やら動かしている。

「ちょっと待っててねー……」

「マヤ先生、その綺麗な?棒はいったいなんですの?」

「あー、これも見るのはじめてだよねー。これはねー……わっ!ヤバい!」

 すると何かが物凄い速さでこっちにむかって飛んで来る。このままじゃあのスピードのまま窓から突っ込んでくる!そう思って身構えた。窓からわずかにそれたらしく尖塔の外壁に何かが激しくぶつかった。建物が揺れて、壁にかけてあった絵画が少し傾く。

「あれー、やっぱりなんかおかしいなぁ。これこのあいだ職場から支給された遠隔操作が出来る箒の試作品なんだけど、なーんかおかしいのよねぇ……」

 どうやら飛んできたのは箒らしい。そして外壁に突き刺さったようだ。マヤ先生はブツブツ言いながら外壁に刺さった箒を引き抜くのに苦労している。

「あらま、すこし先のほうが折れてる……まあ大丈夫っしょ!」

 引き抜かれた箒は今まで見たことのある箒とはまったく異なった形をしていた。何がどうなったらあれが飛ぶんだろう?そもそもあれは箒と呼んでいいものなのか?

「ごめんごめん。この棒はね、魔法使うときに使う杖みたいなものかな?まあ魔法は杖がなくても練習すれば使えるんだけど、あったほうがコントロールが楽になるし、魔法の効果もアップするの。わたしのこの杖は特注品でね……フフフ、かわいいでしょ?」

 マヤ先生はわたしに杖を近くで見せてくれた。すごく細かく細工が施してあったり、宝石も埋めこまれていて一目で手間もお金もかかっていることがわかる。でも、よく見れば見るほど模様というか意匠が……なんというか非常にロリロリしい。大量のハートやスターといった意匠にヒョウ柄が少し、色使いもピンクゴールドを基調にしてキラキラしている。

 わたしの歳でも持つのに抵抗を覚えるくらいだった。これはツッコミ待ちなのだろうか。そっとマヤ先生の様子を見ると目をキラキラさせている。明らかにわたしの反応待ちだ。

 これは……おそらくネタじゃない、マヤ先生は本気だ。ここは返答に間違うと大変なことになると本能が告げていた。

「えーと……か、かわいいですね、とても!」

 やっとのことで無難な言葉を選び出した。

 マヤ先生はそれを聞いて待ってました!と言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。

「でっっっしょ~?そうだよねそうだよね!自慢の一品なんだー。わたしがデザインしたんだよ!あ~、やっぱりかわいいよねぇ……そうだよねぇ……」

 マヤ先生は杖を眺めてウットリとしている。よかった、変に突っ込まないで……。

 貸してくれたこの呼びの黄色のコートは普通にシックでかっこいいのに。

「さて、ちょっと外壁がえぐれちゃったけど……うん、内側までは貫通してないみたいし特に問題はないかな!雪も風も吹き込んできてないし大丈夫!大丈夫!それじゃあ行きましょっか!」

 マヤ先生は杖を操作して箒を宙に浮かせた。

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