提案

 マヤ先生はしばらく眉間に皺を寄せたり目を細めたり眉を寄せたりしていた。

「わー!ダメだ、全然思いつかない!何か教えられそうなことないか探すからしばらく自習でいい?」

 そんなに教えられることがないなんてあるのだろうか?

 わたしとしては自習でも特に問題はない。わたしはマヤ先生の提案にうなづいた。

「わかりました。レポートの残りがあるのでそれを片づけます。マヤ先生もおつかれでしょうから、少し腰をおろして少しおやすみください」

「わかったわ、ありがとう!あなたいい子ね!」

 考えようによってはずっと自習の方が都合がいいかもしれない。リン先生にこの前やった実験レポートのまとめを頼まれていたから、まずそれからやってしまおう。机に実験結果のレポートを広げて作業を開始した。

 部屋は静かだ。マヤ先生は荷物をおろして、椅子に座るとすぐにウトウトと舟を漕ぎはじめたのだ。猛吹雪の中、この北の最果てである尖塔群まで一人でやってきたのだ。疲れていないわけがない。時折、暖炉の薪がはじけてパチッと小さく音をたてる。そこにわたしがペンを走らせる音が重なっていく。窓を見やれば朝方から吹き荒れていた猛吹雪はだんだん落ち着き、今は穏やかになっていた。

 静かで暖かい、いつものわたしの世界だった。こういう時間が一番好きだ。穏やかで、いつまでも続くような、時間の感覚がなくたなったような空間。本当に大好き。

 しかし、穏やかな時間はそう長くは続かなかった。暖炉の薪が大きく崩れ、大きな音を立てた。するとマヤ先生はビクッとはね起きたのだ。

「ゴメン、寝ちゃってたみたい」

 マヤ先生は勢いよく椅子から飛び起きるとわたしの方にやってきて「どんなのやってるの?みていい?」と机に積んであったわたしの勉強ノートをパラパラとめくったりした。しばらくノートに目を通していたがやがて閉じてしまった。

「うん、全然わからないね!」

 そう言うとわたしにやさしく微笑みかけた。

 この人はわたしが調べた元ヤンの生態と違う。調べた限りでは、元ヤンという生き物はガニ股で地面に座りこんだり、意味もなくあたりに唾を吐きまくったりするはずだ。しかし、目の前の女の人はただ性格がざっくり大雑把で趣味が派手な人、という感じが強い。あと無駄にセクシー。

 マヤ先生はしばらくの間、わたしに許可をとりつつ部屋の中のものを漁っていたがやがて頭をかき出した。落ち着きがない。なんだか可愛らしくて少し笑ってしまった。

「えー、なになに?なにかおかしかった?」

 マヤ先生は恥ずかしそうに笑った。

「あっ、そうだ。ところでさ、マリアちゃんって今歳はいくつなの?時間がなくってさ、リンからはいくつか注意をうけただけなの。マリアちゃん自身のことについてはほとんど聞いてないんだよね~。マリアちゃんのことをもっと知ればなにか授業のヒントが得られるかも!」

「歳ですか?わたし、今年で十四歳になりました」

「十四っ!わ、若ぁーっ!それにしては落ち着いてるわねー!そんなに若いのに毎日ここで勉強してるの?一人で?」

「はい、お父様から課せられた唯一の義務ですので……。一人で勉強、というよりリン先生に見てもらってます。科目によっては自習ですが」

「じゃあ、身体動かしたりとかは?」

「ストレッチは毎日していますし、週三回くらいはこの尖塔内にあるジムで身体を動かしています」

「健康的でいいわね!マリアちゃんは肌もキレイだし、その十四とは思えないプロポーションもそこから来ているのかしらね……。とっても女の子って感じで素敵だわ」

「えっ、あ、ありがとうございます」

 顔が熱くなるのがわかった。リン先生もわたしの身体をよく褒めてくれるけど、知らない人に褒めてもらうとなんだか恥ずかしい。けどやっぱり嬉しい。最初は運動なんて大嫌いだったけれど、リン先生の読んでいた雑誌に影響を受けて運動をはじめたのはやはり正解だった。初めは大変だったけど続けてきてよかった。継続は力なり、と本にあったとおりである。

「頭も良くってそんなに可愛いなんて完璧すぎ!」

「いえいえ、全然そんなのじゃないです。普通です」

 褒められすぎると恥ずかしい。

 マヤ先生は質問を続ける。

「えーっと、じゃあ……魔法はどんなのが得意なの?なんかマリアちゃんは魔法もすごそうー!」

 わたしのウキウキとした心はその一言によって凍りついた。

 わたしは魔法が使えない。

「あー、えっとですね、わたし魔法は……その魔法はですね、あの……使えないんですよ」

「えっ?まったく?」

 マヤ先生は驚きの声をあげた。ポーズでもなんでもなく本当に驚いているようだった。

「リンにはあなたには魔法を教えるなって言われたんだけど、なにか理由はあるの?」

 リン先生はそんなことを申し送りしたのか。わたしは魔法の才能がまったくない。今までわたしを担当した家庭教師にそう言われてきたのだ。この魔法が盛んな魔法の国にあっては、他人にはあまり言いたくない、認めたくない事実だった。

「マヤ先生は魔法を使えるのですか?」

「ええ、まあわたしはむしろ他に取り柄がないと言っても言い過ぎじゃないわよ。魔法以外はてんでダメ。その点ではリンには負けるわよね~。あーむかつく」

 リン先生には負ける?魔法しか使えない点では?

「あの、もしかして……もしかしてリン先生も魔法が使えるのですか?」

 マヤ先生は意外な質問に驚いた、といった感じだった。

「ええ、もちろん。リンとわたしが先輩後輩の関係だったのは大学でのことよ。あ、もちろん魔法の大学ね!」

 リン先生は魔法を使える?初耳だった。リン先生とは長いつきあいだが、魔法を使っているところなんて見たことがない。

 マヤ先生はわたしをしげしげと見つめた。わたしを品定めするような視線。そんな視線で見つめられると居心地が悪い。

「ねえ、マリアちゃんは本当に魔法使えないの?少しも?謙遜じゃなくて?確かこの土地の一族は結界魔法とエキスパートだったと思うけど……」

 わたしはその言葉にちょっとイラッとした。でもマヤ先生に悪気は無いに違いない、そう自分に言い聞かせて平常心を保つ。つとめて冷静に……。

「えっと、わたしはですね。どうやら生まれつき魔法の素養が全く無いようなのです。確かに兄様たちは優れた結界魔法の使い手ですわ。ですが、わたしは違うのです。小さい頃から何人もの魔法の先生に才能がないと言われてきましたし」

 一族でわたしだけが違う。それが事実なのだ。お父様は強力な結界魔法の使い手。一族は代々結界魔法を使って北の封印を治めてきたのに娘であるわたしは魔法が使えないなんて。兄様たちが陰で「だから女はダメなんだ」と言っているのも知っている。

 リン先生はわたしを一族でもっとも優れていると言ってくれた。わたしはそれに報いなければならない。気を取り直す。

「べつに魔法が使えなくたってリン先生みたいな立派な学者様になれますので。わたしは特に気にしておりませんわ」

「なるほど……魔法は本当にダメなのね。そんな感じしないけどねぇ。まっ、確かにリンの博識っぷりはハンパないよねー。あれくらい博識になれば確かに魔法とかなくてもよさそう。アイツの魔法はさらに異常だけど……」

 マヤ先生はブツブツと何か言いながら歩きまわっている。

「あっ、じゃあ誰かと遊んだりはしないの?リン以外のマリアちゃんと同じ歳くらいの子でさ」

「……ないですわ。友達以前にリン先生以外の知り合いなんていませんわ。わたしはこの塔から出ることを許されていませんし」

「そっかぁ……友達いないかぁ……」

 なんでこんなに根掘り葉掘り聞かれなきゃいけないんだろう。

 なんだか胸が苦しい。

「ずっと塔の中にいなきゃいけないのかー。そりゃ友だちなんてどうやって作るんだって話かー、あはは」

 わたしだって魔法を使えるものなら使ってみたいし、友達も作れるなら作ってみたい。それをわたしが……いつもどんな気持ちで耐えてきたと思っているのだろう。わたしがどんな思いで……。

 さっきとは別な感じで顔が熱くなる。

「そんなのっ!友だちなんて!授業には関係ないじゃないですか!わたしはこの尖塔から外に出ることを許されていないのです!結界が張られていてっ……どんなに出てみたいと思っても!この尖塔から出られないんですわ!それにっ!わたしは別に友達なんかっ……友達なんか欲しくなんてっ!」

 息がうまくできない。わたしは別に寂しくなんかない。全然、寂しくなんてないのだ。

 マヤ先生は驚いた顔をしていた。

「や……ごめん。なんか変なこと聞いちゃったかなわたし……そんなつもりはなかったの。マリアちゃんをいじめようとか……泣かせようとか……」

 頬を触ると濡れていた。涙で歪んだ視界の向こうでマヤ先生が俯く。

「ごめんね。わたし自分じゃそんなつもりないんだけど、いつも人を怒らせちゃったり……職場でも上司に生意気だーとか無神経だーとかって言われちゃうんだわ。本当にごめんね」

 マヤ先生は子どものようにしょげてしまった。もしかしたらこの人はこの人でコンプレックスがあるのかもしれない。少なくとも悪い人ではなさそうだ。

「いえ……わたしこそ大きな声を出してしまって申し訳ありませんでし……た。ヒック」

 涙がいっきに溢れてきた。ああ、もういやだ。早くリン先生に帰って来てほしい。涙は止めようと思えば思うほど溢れてきてしまう。リン先生の前ならまだしも初対面の人の前で泣くなんて、おもてなしの作法としては落第だろう、きっと。

 マヤ先生はわたしの背中をさすってくれた。

 そしてわたしが落ち着くまで根気よく待っていてくれたのだった。

 マヤ先生はわたしが落ち着いたのを確認すると、ひとつの提案をした。

「ねえ、マリアちゃん。それじゃあさ、外に出てみない?それに友達も作ってみるの。そういう授業はどうかな?課外授業の一種ってことでさ!」

「……へ?」

 わたしはつい呆けた声を出してしまった。

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