新しい家庭教師

 あれやこれやとあることないことを考えていたら、昼をとっくにすぎてしまった。しかし新しい先生が訪れる気配はまだない。迷って遅れているのだろうか?窓の外は依然として猛吹雪だ。午後からは晴れるという天気予報は当たらなかったらしい。そもそもこの吹雪の中を人が移動することなんて、できるのだろうか。窓を少し開けただけでも、信じられないくらい寒いし雪が冷たい。

 でも、このまま来ないなら来ないでもいいかもしれない。一人のほうが気楽だ。このまま一人の場合は缶詰の味だけは我慢しなければいけないけれど、幸い数量はあるので飢えて死ぬということもないだろう。缶詰は嫌だけれど、こんなにずっと緊張しているよりも来ないなら来ないでいてくれた方が楽になれる。そう思いなおしてホッとしたその時だった。

 いきなりドアが開いたかと思うとけたたましい音をたてながら、わたしの部屋中に様々な色の火花が飛び交い、煙が立ちこめた。

 そして次の瞬間、煙の中から女の人の声が響いた。

「こんにちはーっ!遅くなってごめんねーっ!」

 その人物は大声でそう言いながら煙をかき分けドカドカと部屋に入ってくる。

「うっわー、もう大雪よ!猛吹雪!リンが北国の中でも暖かい方なんて言うから来てみたらさー!寒すぎるのよ!しかもなんなの、あの門番!人を不良娘か商売女みたいに扱ってさー。こちとらあんたの二倍は生きてるっての!公務員だっつの!ふざけんなっていうのよ!だいたいこんな吹雪の中どんな物好きが商売にくるってのよ?あれ、花火多すぎたかしら?煙でなにも見えないわね!」

 女の人はどうやら頭にくることがたくさんあったようで、一気にまくしたてた。用意しておいた足拭きマットがひっくり返ってるのがみえる。

 なに?なんなの?意味がわからない。

 びっくりしすぎて椅子から落ちたし、心臓がばくばくいっている。

 落ち着いた人?全然落ち着いてないし!リン先生の嘘つき!

 徐々に煙りが晴れ、声の主の姿が見えた。

 立っていたのは赤髪の無駄にセクシーな女の人だった。肩や頭に積もった雪をボトボトと落としながら大荷物を抱えて部屋に入ってくる。

 黄色と黒のド派手なコートの下から覗くのは赤いワンピースとヒョウ柄のインナーだ。リン先生の話ではリン先生より年上のはずなのだが、すごく若く見えるし、それにとても美人だ。少し、というか、かなりガラが悪い感じはするが、直視するのを躊躇われるような気配が全身にある。彫刻的な美しさじゃない。生き生きとしてて眩しく、若々しい。余談だがリン先生は美人顔というよりは少しふくよかで愛嬌のある顔のつくりで、肌がとても綺麗で実年齢よりも若くみえる。しかしこの人はリン先生と同じかそれ以上に見えた。それと何よりもリン先生との違いは明らかに肉食系の顔つきをしていることだ。リン先生はたれ目でおっとりとして見えるのだが、この人はつり目で勝ち気な雰囲気が全身から発せられていた。どういう経路でリン先生はこの人と友人になったんだろう?

「あっれ……もしかしてちょっとすべっちゃったかなー?」

 女の人は突然の出来事に固まってしまったわたしを見て、眉を下げて微笑みながら言う。

「いかんいかん、掴みから滑ってしまったようだね。おっほん、えー、わたしはね、リンから聞いてると思うけどリンが実家に帰っているあいだ、あなたと遊ぶことになったマヤといいます。えっと、どうだっけ……よ、『よろしくお願いします~』」

 マヤと名乗った女性は、最後の方はだけリン先生の喋り方を真似て言った。確かに旧知の仲なのだろう。モノマネはめちゃくちゃ似ている。だが、同じフレーズを同じように話しても、言う人が違うと受ける印象が違いすぎる。リン先生が言うとおっとりとして聞こえるのにマヤさんが言うと相手をおちょくっているようにしか聞こえない。

 わたしは本当にこの人と一週間も一緒にいることになるのだろうか。想像するだに暗澹とした気持ちになってきた。無理なんじゃないだろうか。いや、絶対無理かな!

「あの~、マリアちゃんだよね?大丈夫?もーしもーし?」

 わたしは驚きのポーズを取ったまま固まっていた自分に気がついた。何はともあれ、まずは挨拶をしなければ。今のわたしは一族を代表していると言っても過言ではない。だから礼を欠くようなことをするわけにはいかない。

 居住まいを正して息を整える。オホン。

「失礼いたしました。わたしはこの北の地を治めます一族の第63封印士位継承候補者のマリアと申します。リン先生からとてもステキな方だとお聞きしております。マヤさま、いえ、マヤ先生、こちらこそよろしくお願いします」

 礼儀ただしく腰を折り、礼をする。

「あらやだ、礼儀正しい子ね……わたしカジュアルにやり過ぎたかしら。ってかステキな方って……リンのやつめまた心にもない紹介を……」

 マヤ先生は少し頬を赤らめた。しかし、それもほんの束の間。すぐさまパッと明るい顔をつくる。

「ふふ、でもわたし礼儀正しい子は好きだわ!よろしくね!さあさあさあ、あいさつなんて終わり終わり!何して遊びましょうか?」

 マヤ先生は着ていたコートについた雪をわたしのお気に入りの絨毯の上で軽く払い、まだ濡れたままのコートをわたしのお気に入りの揺り椅子に投げながら、休む暇もなく言った。グイグイくるのはリン先生と同じか。ダメだ、用意しておいたおもてなしの計画が頭の中から全部飛んでいく。

 無理、もう無理……。いやいやいや、しかし諦めたらそこで試合はなんとやらだ。まだもう少しは頑張らないと。

「あの遊ぶっ、というかですねっ!べ、勉強を教えて頂きたいのです!リン先生から聞いていると思いますが、わたし勉強を毎日しなければならない義務がありまして……。ちなみに先週まで魔法生物学と魔道具の作成を教えて頂いておりました」

 突っ込まれる前に一気に言いきった。少し声が大きくなってしまったのが恥ずかしい。

「えー、遊びだって勉強だと思うけどなぁ……?うーん、魔法生物学に魔道具の作成ね……」

 マヤ先生は軽く握った拳を顎に当てると、ウンウンとうなる。

「あー、それはパスパス。魔法生物学で博士号とってるリンが教えてるならわたしが教えられることなんてないわ!自慢じゃないけど学生時代は学科はイマイチな成績で有名だったのよねー、わたし。今も仕事に必要なこと覚えるだけでも精一杯なくらいだし、わたしには無理無理!あはは!」

 マヤ先生は全力で拒否した。

「えぇ……」

 こんなにあっさりと出来ないことを認める教師は初めてみた。

「えと……では何なら教えてくださいますか?わたしも遊びたいのはやまやまななですが、勉強しないとペナルティが課される決まりがありまして……」

「ペナルティなんてあるの?まためんどくさそうな決まりがあるのねぇ……」

 マヤ先生は考え込んでしまった。考えこんでいる姿すら蠱惑的で気を抜くと見入ってしまう。この場にいるだけで注意を払わずにはいられない。こんな人もいるんだなぁ。

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