転機

「しばらくお暇を頂くことになりました~」

 そんなことをリン先生が言い出したのはモンスター解剖学の実習の片付けをしていた時だ。

 白い琺瑯のバットの上に五十センチ大の気持ちわるいカエル型のモンスターを乗せたまま、わたしはそのセリフを聞いた。キタユキイボガエルというかわいさのカケラもない名前のカエルを解剖するのが今日の実習のテーマだった。(ちなみに外見も名前の通りイボイボしていて全然可愛くない)このキタユキイボガエルからは結界石という魔道具の元となる胆石を採取できる。なので今日の実習は解剖のあとで結界石精製をするという二段構えの実習だった。

 解剖の実習では、まずカエルをリン先生の言うとおりの手順で腹を切り開いた。リン先生から体内構造の説明を受け、スケッチをした。他にもリン先生の研究に使うという大腿筋の筋繊維や薬の元になるという肺袋を摘出したのでイボガエルは既にバラバラだ。リン先生が解剖したイボガエルは整然と切り分けられていたが、わたしが解剖した方のカエルは大変なことになってしまった。別に恨みがあったとか、カエルが嫌いだから痛めつけてやろうとか、決してそういう意図があった訳ではない。手が滑ったり、力が入りすぎたりメスが思ったよりも切れたりしただけなのだ。リン先生が「お嬢様はぶきっちょですね~」と言ったようなことが真実なのではないのだ。うん。

 そして、解剖が終わり次の結界石精製の実習にうつるために後片づけをしている時、リン先生はいつもの調子で休暇の話を切り出したのだ。わたしはこのあまり好きではないカエル型モンスターのバラバラ死体を片付けるのに気をとられていたため、危うくリン先生の言葉を聞き逃すところだった。

「お嬢様、聞いてますか~?わたしはしばらくお暇をいただきますよ~」

「し、しばらくって……ひっ……しばらくってどのくらいになります?」

 イボカエルが気持ち悪くて話に集中出来ない。わたしはなるべくバットを遠ざけるように持ち、流し台の方へ慎重に移動する。

「一週間ほどを予定しております~。田舎の母がギックリ腰をやったらしくてしばらく実家に戻りますから~。あ、お嬢様、カエルの脚が落ちましたわ」

 ボトッと音を立ててカエルの足が一本、バットからわたしの足元にこぼれ落ちた。

「ひぃっ!」

 わたしは反射的にカエルのパーツが入った鉄製バットを持ったまま足を開いて後退りをしてしまった。今度はその拍子に鉄製バットを持っていた手がカエルの残骸に触れてしまい、全身に鳥肌がたつ。皮をはがれたイボガエルはしっとりしていて冷たい。

「~~っ!」

 気持ち悪い!気持ち悪い!気持ち悪いぃぃ!

 今すぐバットごと投げ捨てたいけれど、そうすると被害が広がってしまう。今はただ耐えて怖気が通り過ぎるのを待つしかない。以前読んだ何かの文献でカエルの肉の味は鶏肉に近いと書いてあったが、こんな気持ちわるい生きものを口にするなんて頭がどうかしているとしか思えない。

「フフフ~。そんなに無理なさらずとも~。わたしがお片づけいたします~」

「だ、大丈夫っ!わたし一人でできますっ……からっ!」

 そうは言ったものの体は動かなかった。

「お嬢様がカエル苦手なのはとうの昔にバレバレなのですわ~」

 リン先生がカエル入りバットをわたしからヒョイと取り上げるとテキパキと後処理をしてカエルを処分した。リン先生には弱みを見せたくなかったのだけれど仕方ない。今回もカエルを克服できなかった悔しさ半分、ほっとしているの半分で軽くため息をついていると、リン先生がわたしを見てクスクス笑っていた。

「だ、大丈夫でしたのに。一人でやらなければ実習になりませんもの。次は一人でやってみせます」

 なんだか悔しいので精一杯の強がってみせた。

「はい~、じゃあ次はお願いいたしますね~」

 リン先生は優しく微笑んだ。ダメだ、完全に見透かされている。正直なところ、この実習は二度とやりたくない。「あ、今度、お嬢様さえよければカエル料理でもつくりましょうか~」というセリフは全力で無視する。

「それで、先生の休暇のお話でしたかしら。お母様が大変なのでは仕方ないですよね」

 そもそもリン先生に母親などいたっけ?木の股からうまれたわけじゃないだろうし、母親はいるはずだが今までそんな話を聞いたことはなかった。リン先生はあまり自分のことを話さないから。

「あっでもリン先生がいない間の食事は……」

 食事は別の尖塔の厨房でまとめて作っている。リン先生に運んでもらわなければ、ここから出られないわたしには毎日の食事を手に入れることはできない。

「また非常用の缶詰でということになるのでしょうか?」

 前にリン先生が古くなったお菓子をつまみ食いして食中毒になり、四日ほど寝込んだことがあった。その時は代わりの家庭教師を手配する間もなかったので、誰も食事を運んでくれず、わたしはこの尖塔内に備蓄されていた非常用の缶詰で飢えを凌いだのだ。その缶詰が何かの嫌がらせかと思うほど美味しくなかった。一週間後に食中毒から快復したリン先生は「いいダイエットになりました~」とのんきなことを言っていたが、わたしは毎日の不味い缶詰定食でリン先生以上にゲッソリとやつれたのだった。思い出すだけでもうんざりする。

「リン先生、できればわたし、あの缶詰は遠慮したいのですが……」

「あ~、わたしが食中毒になったときの話ですか~?あの時はお嬢様には悪いことしてしまいました~。わたしと違ってお嬢様はそれ以上痩せるところありませんのにね~フフフフ」

 リン先生は自分の二の腕の柔らかさをチェックしたりしながらのんきに笑っている。

「心配なさらなくても今回は大丈夫です~。休暇をとるわたしのかわりに、わたしの学生時代の先輩に代理をおねがいしました~。なんでも先輩は今休暇中でちょうどこのあたりにお仕事を兼ねた旅行にきてるみたいです~」

 この時期にこのあたりに旅行に来るなんて変わった人もいるものだ。この時期はどこも雪まみれで、この土地の慣れた人でも遭難しそうになることがあるくらいなのに。

「昔、わたしがとてもお世話になった先輩です~。わたしとは年は少し離れてるんですけれどちょっとおかしい……じゃなかった……とってもステキな人ですわ~。ダメ元で聞いてみたら寒すぎてキャンプが嫌になったからとか……じゃなかった……ご好意によりわたしの代役をしてくださるとのことです~」

 どうやら寒すぎるから代役を引き受けてくれたらしい。窓を少し開けるだけでも睫毛が凍りそうなのに、一日中外にいるのはさぞツラいことだろう。というかキャンプなんてできるんだろうか?

「……なんにせよ、缶詰生活が避けられるのはありがたいです。ですが……勝手に代わりを手配して大丈夫なのですか?わたしその辺の事情に疎いのですが……」

「ちゃんと許可はとってありますよ~。それにわたしはこれでも最低限のルールさえ守ればお嬢様に関する全権を任されているのですね~」

 リン先生は、えっへん、と得意げに胸をそらせた。可愛らしいが、そのせいかあまり威厳を感じられない。リン先生が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。

「まあ問題がないのでしたら結構なのですけれど……」

 リン先生のこの喋り方で言われるとイマイチスゴさを実感できないが、リン先生の有能さは知っている。わたしが思っているより広い範囲でリン先生はわたしに関することの決定権を持っているようだった。食事の心配がなくなったとはいえ、なんだかもやもやとしたものが晴れない。たずねてもリン先生は「つまらないことです~」と言って話してくれないので知る由もないが、裏でどんなやりとりがあるだろう?

「あらら~?そんな不安そうなお顔なさって~。お嬢様はよほどあの缶詰がお嫌いなのですね~。あっ、それとも初めて会うひとが心配なのですか~?」

 顔に出ていたらしい。

「安心してください~。城内のボンクラ……じゃなかった標準的な家庭教師に代役を頼むより先輩のほうがお嬢様にとっても良い体験になるとおもいます~。決してわたしが城内で嫌われすぎてて誰も頼みごとを聞いてくれなかったとかじゃなくてですよ?わたしが本気になればボンクラどもを操るくらい朝飯前なんですが……いやそんなことはどうでもよくて。あれです、先輩は一般的にみたら面白い……じゃなかったヤバイ?……まあ、ステキな人なんですよ~」

 途中、早口で捲し立てられたので何を言ってたのかよく聞き取れなかったが、最初と最後だけでも聞き捨てならなかった。

「あの、参考までに聞きたいのですが……その面白ヤバいとは……どのような傾向の人のこというのですか?性格とか……」

 どんな人なんだろう。それを知ったところで自分には断ることができないのはわかっている。しかし、リン先生の言葉でさらに不安が増した。少しでも情報が欲しい。安心できるような情報が。

「うふふ、お嬢様ったらそんなに心配しなくて大丈夫ですよ~。先輩は一言で言えば元ヤン……ってわかりますか~?わからないですか?えーと……そうですね、とても?というか目に余るくらい?勢いがいい方です~。どんな人でもすぐ仲良くなる人なので心配はいりませんよ~」

 元ヤンってなんだろう。習ったことも聞いたこともない。というか勢いが目に余るほどいいって……。意味がわからない。怖い。

「お嬢様は自分が人見知りだと思われているようですが、それはあまり他人に会ったことがないからです。お嬢様はむしろ根は社交的な方だとわたしは思っておりますよ~」

「あの、リン先生?わたしは自分が人見知りなどとは一言もいってませんし?……っていえいえ、そうではなくてですね、元ヤンって一体なんなのです?わたし心配になってきました……」

 ニュアンスからしてあまりよろしくないものなのは間違いなさそうだ。あとで詳しく調べなくてはならない。辞書に載っているだろうか?

 リン先生はわたしの表情の変化をみてニヤニヤしている。リン先生はこういうところがあるのだ。わたしをオモチャにするのはやめて欲しい。

「いや~、お嬢様の不安を取り除いて差し上げたいのは山々なのですが、元ヤンなのは事実なんですよ~。でもわたしももう先輩には直接何年も会ってませんし、その間に少しは丸くなられてヤンキーから元ヤンになってるはずです~。だから大丈夫ですわ~。でも若い頃は本当にひどかった……じゃなかった凄かったんですよ先輩は~。例えばですね……」

 わたしの不安を他所にリン先生はその先輩との恐ろしい過去の武勇伝を話し始めてしまった。どう考えてもおっとり静かな感じでないのは確定だ。リン先生が話を誇張している可能性は多大にあるがどう少なくみつもっても平和な感じがしない話ばかりだ。もしかしたら缶詰ダイエットのほうがいくらかマシだったのではないだろうか。

「さて、このかわいそうにもバラバラになってしまわれたカエルさんの胆石から結界石を作っちゃいましょうか~。結構大きな胆石が取れましたから立派な結界石ができますよ~」

 完全に忘れてたが、そういえばまだ実習中だった。バラバラのカエルを片付けたあとは、カエルから取れた石でアイテム製作の実習を続けてする予定だ。

 結界石はとても綺麗で、アクセサリーとしても使えるらしいと聞いていたので。わたしは前々からどんなデザインがかわいいか、案を練っては今日の実習を楽しみしていた。しかし、いざ結界石作成の時になっても、わたしの頭の中は人生で初めて会うことになるかもしれない元ヤンという人種のことでいっぱいになってしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る