「……効いてないですね」

 僕が育ったのは、山奥の小さな農村だ。

 親はいない。代わりに村長と村の大人達に見守られて、育てられた。

 暮らしは貧しかったが、皆やさしかった。だから親がいないということを、特別寂しいと思ったこともなかった。


 ただ、村長の実の孫とだけはどうにもソリが合わなくて、よくケンカになった。

「お前はこの村の人間じゃない」

 彼が、僕の顔を見る度にぶつけていたその言葉。

 子供の頃は、その意味が良くわからなかった。村で育って村で生きている。なんなら水汲みや柴刈り等大人たちの手伝いもしているというのに、どうしてそんなことを言われるのか。


 理由は、12歳の誕生日に村長から聞かされた。

 僕を村に連れてきたのは、二人組の冒険者の男女だったという。

 特にランクが高いわけでも無い、普通の冒険者。村に立ち寄ったのも、畑を荒らすコボルトの群れの撃退という、比較的簡単なクエストのため。

 だが、二人の冒険者は赤子を連れていた。


 赤子は女の冒険者が抱えていたが、父親が仲間の男の冒険者であったかは定かではない。あるいはそもそも、女の冒険者の子ですらなかったのかもしれない。

 危険な戦闘に赤子は連れていけない。そう言って冒険者の二人は赤子を村長の家に預けた。それで、そのまま。コボルトを撃退したきり二度と村には戻らなかった。


 その冒険者がどこへ行ったか。行方は誰も知らない。

 今も生きているのか、あるいは死んでいるのか。それすらも不明だ。

 話を聞いた時、僕は呆れた。

 こんないい加減な話もないと、そうも思った。


 だけど。


 18歳になる日の夜明け。

 冷たい雨がしんしんと降りしきる中、太陽も見えないまま僕は村を飛び出した。

 何か夢とか、希望があったわけではない。

 ただ、ただ。耐えられなくなった。

 あのまま村にいたとしても、 僕はずっと『お客さん』で、村の『仲間』にはなれない。村は貧しく、土も痩せている。多少の野良仕事ができたとして、僕が一人いても、村全体の食いぶちが増えるだけだ。

 だから、あの村は僕の居場所ではなかったのだ。


 冒険者がいい。

 帰る場所がないならせめて、どこにでも行ける冒険者でありたい。

 そのために基礎的な技能スキルを身に着け、『知恵の実』も手に入れた。

 王都にきて、Sランク冒険者のパーティに入れてもらえた。


 結果こそ、散々なモノだったが。


「避けろ! イクス!」


 魔女の声が響く。

 だが、僕は動けない。

 ヘルカイトが、その口が、その牙が。僕の目と鼻の先に迫っている。

 そして、ずらりと。鋭い牙が並べられた口が、大きく開かれて。

 その暗い喉奥が、かあっと赤熱していくのが、やけに鮮明に、ゆっくりと僕の目に映っていて。


「イクス! 奴のブレスが来る!」


 魔女の言葉の通りに、ヘルカイトの口から火球が吐き出された。

 竜に連なる眷属が持つ固有技能ユニークスキル。【ドラゴンブレス】だ。

 その火球は、直径だけでも僕の身長ほどはある。それが、ほとんど至近距離から、まっすぐに撃ち出されたのだ。

 当然に。避けることも防ぐことも、間に合わない。


「……ろっしょい!」

 

 魔女が。魔導器である箱に棒を打ち込み、瞬時に魔術を熾した。

 【黒槍】が発動し、ヘルカイトの撃ち出した火球を正面から貫いて。

 そして、共に空中で爆発した。


「後退だ! 行くぞイクス!」


 魔女が僕の手を引き、僕たちは駆け出す。

 爆発により巻き起こった砂ぼこりで、わずかな間だが視界が塞がれた。そのほんの一瞬のスキで、ヘルカイトからひとまず距離を稼ぐ事ができた。


「良くやったイクス! そのヘルカイトの尻尾、絶対に離すんじゃないぞ!」

「え……あっ。ああ!?」


 僕は気付く。

 ヘルカイトがここに降り立った時から、僕はずっと彼の尻尾を握ったままだった。

 こんなもの持ってたら、そりゃヘルカイトから恨みも買う。僕が真っ先に狙われるわけだ。


「あのヘルカイトは未だ尻尾を再生させていない! つまり、その尻尾もまだヘルカイトと『繋がって』いるんだ! キミがそうやって尻尾を握りしてめて祝福を流し込んでいれば、ヘルカイトもどんどん強化されていくぞ!」

「ええ……それ先に言ってくださいよ! それならさっさと捨てた方がいいじゃないですか!」


 衝撃の事実。

 先ほどの一瞬でも軽く死が見えたと言うのに、僕の固有技能ユニークスキルによってヘルカイトはさらに強化されている。強化され続けている。

 だったら、こんな尻尾は投げ捨てるべきではないのか。


「おいおいおい……何を言っているんだキミは。『そこ』がいいんじゃないか。詠唱も理力の消耗も無く、敵の意志や状態も無関係に確実に祝福をかけられる所がすごくいい!」


 魔女はしかし。緑の瞳をらんらんと輝かせて、笑っていた。


「だがまだ足りない! もっとだ! もっともっと敵を祝福して強化しろ!」

「無茶だ! その前に二人とも死んじまう!」

「キミは死なないさ! ボクが守るから!」


 ほとんど恐慌状態になって叫ぶ僕と、歌劇のような台詞を高らかに謳い、胸を張る魔女。

 テンションが、かみ合わない。

 そしてそんな二人のちぐはぐさなど、ヘルカイトには関係ない。翼を一打ちして空に舞い上がり、上空から僕たち二人を追い立てる。


「上から来るぞ! 気をつけろ!」

「気を付けた所で、隠れる場所なんてありませんよ!」


 森の中であり、木々が多少視界をふさいでいてはくれる。

 だがヘルカイトの嗅覚からは逃げられない。それに【ドラゴンブレス】の前には、森の木々など何の盾にもなりはしない。

 仮にヘルカイトが上空で僕らを見失ったとしても、森一面を焼き払えば済むことだ。

 怒った飛竜はそれくらいのことはするし、だからこそレベル255の『災害級』魔物なのだ。


「まあ流石に焦土作戦を仕掛けられては困るな! 迎撃しようか!」


 再び魔女は魔導器を取り出し、箱に棒をぱちぱちとはめ込む。

 これはどうやら彼女のオリジナルの魔導器であり、『肋骨』という名前で呼ばれていた。

 四角い棒の四面にはルーンが列で刻まれており、それらを箱にはめ込んで並べることで、望んだ魔術を瞬時に熾すことができる……らしい。

 僕は魔術の適性はないし、この魔導器の利便性についても全く理解できていないが。


「そうだね……【火の飛沫】の属性を闇に書き換えて……さらに射程と連射力を伸ばした上で自動追尾を加えて……」


 何やらぶつぶつ呟きながら棒をはめ込み、魔女は魔術を熾す。


「よし。行け! 【黒の驟雨】!」

 

 すぐさま魔女の周囲に魔法陣が四つ展開され、そこから闇属性の魔法弾が連続で放たれる。

 一つ一つの弾は小さく威力も低いが、発射間隔が非常に短い。しかもそれが四本束ねられ、にわか雨のように上空のヘルカイトに打ち付けられた。

 

 黒い魔法弾はしかし、飛竜の鱗を撃ち抜く威力はない。

 だが上空からブレスを放とうとする飛竜のバランスを崩し、怯ませることには成功した。

 金切り声を上げて、ヘルカイトは空中で旋回し、魔法弾から逃れる。


「……逃げた?」


 先端が千切れた尻尾をぶら下げて離れていく飛竜を木々の隙間から見上げ、僕は立ち止まる。


「楽観的だねえキミは。ボクは全然そうは思わないけど。キミは、床を這いまわるゴキブリをどうしても始末できないって時、諦めて逃げると言うのかい?」

「……ゴキブリの話は勘弁してください……」


 言いながら魔女は再び棒を組み替えて、次の魔術の準備をしている。

 そう。そんなわけがない。ヘルカイトが人間から逃げるわけがない。

 

 轟音。

 上空を大周りに旋回してきたヘルカイトが、僕らの真正面に再び降り立った。

 今度は翼爪をしっかりと地面に突き立て、前傾姿勢をとって、既に口の中を赤々と熱していて。


「いいぞ! 敵の規格外技能オーバードスキルが来るぞ!」


 もはや多少の魔法弾を当てるくらいではびくともしない。【ドラゴンブレス】よりも威力の高い規格外技能オーバードスキルとなれば、魔女の【黒槍】をもってしても相殺することは難しいだろう。

 だが魔女は、白い歯を剥き出しにして笑っていた。

 まさにこれこそを、魔女は狙っていた。敵の最も危険な技こそを、待ち焦がれていたのだ。


 ヘルカイトが『咆哮』した。

 規格外技能オーバードスキル【インフェルノ】。

 【ドラゴンブレス】による火球をさらに高温、高密に圧縮し、熱線として放つ竜の眷属達の最大最強の奥義。

 当然。まともに食らえば消し炭も残らないだろう。


 魔女が魔法陣を五つ展開し、盾のように正面で重ね合わせる。

 同時に、空気を焼き切りながら、熱線が僕と魔女に迫る。


「さあ! 実証開始だ!」


 閃光。

 太陽を直接ぶつけられたかのような強い光に、辺りが包まれる。


 終わったと思った。

 このまま。熱いと感じることすらないまま。焼かれて死んでしまうのかと。

 骨すら残らず風になるのだと、思った。


「闇属性魔術第五位階【応報】」


 五つに重ねられた魔法陣。

 その魔法陣が発する力場によって、閃光が捉われて、止められていた。


「通常の【ドラゴンブレス】では可燃性の気体を吹き付けているから、こういうマネはしにくい。だが【インフェルノ】はより純粋なエネルギー体に近いから、波長さえ合わせればこうして捉えることもできる……そして……」

 

 かち、かちと魔法陣が構造を組み替え、力場の向きを反転させる。


「キミの技能スキルで祝福されたスキルを相手に撃たせ、それをボクが魔術で撃ち返す! 威力は通常の二倍、いや四倍にも十二倍にもなり得る超々カウンター攻撃だ!」


 魔法陣によってさらに圧縮された熱線が、ヘルカイトに向かって放たれる。

 再圧縮された熱線は地も木々も焦がし、より鋭く、より高速でヘルカイトに向かっていった。

 そして。


「……あの」

「なんだ?」

「確かに、祝福で敵の技能スキルの威力は上がると思います。それをカウンターすればさらに威力も上がると思います」

「そうだろう。そう言ってるだろう」

「……でも祝福して強化したら、敵の防御力や再生能力も上がっているんじゃ……」

「……あ」


 撃ち返した熱線は。ヘルカイトの鱗を貫くことなく、弾かれた。


「……効いてませんね」


 さらに。

 翼爪で地面をえぐり、ヘルカイトはこちらに突進を仕掛けてきた。

 魔女は、魔術を使った反動で動けない。


「……っ! 危ない!」


 僕は咄嗟に前に出て、どうしてかそれで、魔女をかばおうとして。

 そして。あっさり竜に噛みつかれて。

 その牙に捉えられたまま、上空へ連れ去られてしまった。


「い、イクス―!」


 魔女の叫びすらも置き去りにする勢いで、僕は青い空へ吸い込まれていく。


「……ぐ、うう……」

 

 上昇する竜の、押しつぶされるような重力に僕は呻く。

 しかし驚いたことに、竜の牙はギリギリで僕の服に引っかかっているだけで、外傷はなかった。

 とはいえ、既に高度は取り返しのつかないほどの高さに達していて、森の二つ向こうの山々まで見えてしまっている有様だ。

 落ちたら、助からない。


 規格外技能オーバードスキルでも決着がつかなかったため、ヘルカイトはもっとシンプルな物理攻撃で僕たちを始末する気なのだろう。

 このまま祝福によって強化された機動力と防御力を利用し、頭から落下して僕ごと地上にいる魔女に突っ込んでしまえば、それでおしまいだ。

 地を這いまわるゴキブリを、うまく始末できないときは。

 より大きな箒で、より素早く叩き潰せば良いだけなのだから。

 

 ヘルカイトが、空中でトンボを切る。

 頭を下にして、翼を畳み、自由落下を始める。


 ああ。短い人生だった。

 そして、結局何も成すことができなかった。

 村を出るんじゃなかった。こんな死に方をしたくて、冒険者になったわけじゃないのに。

 冒険者にならなかったら、余計な技能スキルにも目覚めたりしなかったのに。ただただ、平凡に地味に、生きて、死ねたかもしれないのに。


 迫りくる地面が、やけにゆっくりと、鮮明に見えている。

 地上にいる魔女も、ハッキリと見えている。

 魔女が、魔法陣を展開して。

 何事かを、叫んでいる。


「キミは、絶対に死なない! ボクが、キミを守るから!」


 なぜかそう叫んでいたのは、ハッキリと聞こえた。

 そして魔女は、迫りくるヘルカイトに向けて。


固有技能ユニークスキル【神殺し】」


 魔術を。放って。 

 そして。


 それで。

 

「……ぐ、うう……」


 しばらく、意識が飛んでいた。

 気が付くと、僕は青空を見ていた。とても広く、高い空。

 

「やあ。気が付いたかい?」


 視界の上から、魔女の声が聞こえる。

 僕は何か、やわらかくてあたたかいものに頭を乗せられ、仰向けに寝かされているようだ。


「結局。プランDを使うことになるとはね。だがまあ、これで実証実験は成功したと言える。ほぼ完璧な成果だ。あとはこれを、いかに詰めていくかだな」

「……ヘルカイトは?」

「ほれ。見てみると良い」


 魔女が僕の頭を指で押して、横を向かせる。


 飛竜が。死んでいた。

 何か強い衝撃が起こったのか、飛竜の死骸を中心にして、森の木々が放射状に倒れてしまっている。

 だがそれ以上に異常なのは、飛竜の死骸の有様だ。

 まるで『内側』から爆発が起こったように、背中の甲殻が外側にひしゃげ、首元から尻尾の付け根まで大きく裂けているのだ。


「……これは……一体どうして……」


 何が起こったのかわからない。

 そもそも、祝福で強化されたヘルカイトの鱗を貫くのは、尋常の手段ではまず不可能なハズだ。

 もちろん。この魔女の理力は尋常なモノではない。しかしあの戦闘で、こんな大穴を空けられるような理力が残っていたとも考えにくい。

 

「これが【神殺し】だよ」


 魔女はただ静かに、しかし、この上ないほどの会心の笑みを浮かべていた。

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