「では練習しよう。相手はレベル255のヘルカイトだけど楽勝だよね?」

「イクス。キミは象の話を知っているか?」


 夜色のマントを翻し、魔女が僕に問う。


「象ですか? よく知りませんが……」

 

 僕は答える。そもそも、象なんて見たことがない。


「……ある日。一頭の象が街に降りてきた。象は手先が器用で、森の中ではなく、街の中で職人として生きていこうとしたんだ。

 象は様々な職人に弟子入りして、その技術を学んだ。象は手先が器用なだけじゃなく、頭もそこそこ良かった。だから、あっという間にいろんなモノを作れるようになった。

 クッキーでも皿でも、靴でもピアノでも……少し教えただけでなんでも作ってしまった」


 なんだ。おとぎ話か。

 多少拍子抜けはしたが、聞いたことのない話ではある。僕は魔女のヨタ話に、もう少し付き合ってやることにした。

 しかし。ずいぶん器用な象だ。わざわざ街で暮らそうと言うだけあって、才能は確からしい。


「ただな……象は手……前足が大きいモノだからな。作るものがことごとく大きくなってしまうんだ。クソデカと言っていい。クッキーも皿も、靴もピアノも、みんなみんな、象が作るとクソデカになってしまうんだ。

 クソデカなクッキーも、クソデカな皿も、クソデカな靴も、クソデカなピアノも、街では売り物にならない。象は職人に弟子入りしても、すぐに店を追い出され……追放されてしまうんだ」


 前足と言い直したのはともかく。

 なんで。クソデカって言い直した。

 なんで。追放って言い直した。僕に対する当てつけか。


「さて。イクス。それからこの象はどうしたと思う?」

「どうって……」


 急に水を向けられて、僕は一瞬戸惑う。

 少しばかり頭をひねって、考えてみる。


「そりゃあ……さらに努力して、小さい普通サイズのモノを作れるように修業したんじゃないですか?」


 クソデカなモノが売れないのは当たり前だろう。

 過ぎたるは尚及ばざるがごとしという話もある。

 ならば、象がすべきことは、その問題点を克服することではないのか。


「なるほど……キミはつまらん人間だな!」


 だがそんな僕の答えを、魔女は一蹴した。


「いやあ! 実につまらない答えだな! なんの面白味もない! 木の皮でも噛んでいる方がよっぽど味わいがあろうというものだ! キミは本当につまらない人間だなあ! そのつまらなさがむしろ愛おしいよ!」


 たまらない様子で足をばたつかせ、白いお腹を抱え、青空に向かって笑い声を響かせる魔女。


 今。僕と魔女は森の中にある廃墟にいる。

 二人で向かい合って、放置されていた大きな樽の上に腰かけている。

 おそらく。かつては砦か何かとして使われていたのだろう。しかし今では屋根も石壁も半分がた崩れてしまっていて、雨風をしのぐことすら難儀しそうだ。


 冒険者の店に突如現れ、禁じられた規格外技能オーバードスキルを用いて店を破壊した『黒き星の魔女』。及び、その魔女と『とても親密な様子だった』所を目撃された『新米冒険者イクス』。つまり僕ら二人は現在、王都から指名手配を受けている。

 

 いいや。本当に。僕に関しては。魔女の仲間でも何でもない。そこにいただけの、ただの無関係な一般冒険者に過ぎない。だが一方で、魔女の襲撃による被害を受けていないのは事実ではある。その上『親密な様子』であったこともまた事実だ。さらにその後、魔女から半ば引きずられるような形で現場から逃亡し、隠れ家にまで連れてこられてしまったのも事実だ。

 状況からすれば、僕は間違いなく魔女の仲間と判断されるだろう。


「店の修理費と迷惑料は支払うつもりだよ。後でね。でも、テロリスト呼ばわりはひどいと思わないかい? 死人は誰もいなかったというのに」


 しかし。全ての元凶である魔女の方は、全くと言っていいほど罪の意識がない。

 駆けつけた衛兵から逃げたのも、いちいち相手をして説得するのが面倒だからという理由に過ぎない。

 そもそも。死人が出たら論外というだけで、被害者が生きていようがいまいが、テロを起こせばテロリストなので、ひどいも何もない。


 倫理観がおかしい。思考回路がおかしい。この魔女と話していると眩暈がしてくる。

 眩暈がすると言ったら、魔女の恰好もそうだ。

 とんがり帽子やマントはともかく。マントの下に纏う……というか『結びつけている』とでも言った方が近いような『ヒモのような何か』について。

 

「これかい? これはビキニと言ってね。ボクの故郷アナトリアの伝統的な戦装束だよ。特殊な技能スキルが組み込まれていてね。こう見えて魔法防御力は高いし、何より軽量で着心地も良い!」


 ビキニは知らないが、アナトリアという地名には聞き覚えがあった。

 確か、王都より遥か東に存在するという辺境の国だ。

 なんでも、その国では女性しか生まれることがないとか。平民に至るまで高い身体能力と理力を持つ者が多く、優れた騎士や魔術師が多いとか。しかし西側とは文化や価値観や信仰する神が異なるため『変わった』人間が多いのだとか。

 

 なるほど。確かに変わっている。

 ここまでの人格破綻者だとは思わなかったけど。


「……それで。象は実際どうしたんですか?」


 僕は話を戻す。

 いかに相手がよくわからない出身のよくわからない恰好したよくわからない魔女だとはいえ、下手に抵抗するのはまずい。

 今はまだそうなっていないというだけで、あの規格外技能オーバードスキルの矛先が僕に向かわないと言う保証はないのだ。なるべく、命は無駄にすべきではない。


「おいおい、まだボクを笑かしてくれるって言うのかい? 気持ちは嬉しいけど、せっかく森の奥で二人きりになれたんだ。もっと楽しい話をしようじゃないか。ほら。この森は静かだし、昼下がりの木漏れ日が気持ち良いだろう?」


 元々は自分から振ってきたというのに、いきなり話の腰を折ってきた。

 あまりに無体な仕打ちに僕の心も折れかけるが、腹に力をこめ、なんとか持ち直す。折れてはダメだ。対話を続けなければ。


「じゃあ……結婚って、どういう意味ですか?」


 魔女には話は通じない。

 だが少なくとも、僕に対して敵対したり危害を加えるつもりは無いらしい。むしろ、かなり好意寄りの感情を抱いているようにも見える。

 結婚。

 それにしたって、唐突な言葉だとは思うけど。


「……そうだね。ボクのような美少女に誘われて、キミも多少は混乱していることだろう。一から理由を説明してあげるのもやぶさかではない」


 自分で美少女って言うんだ。

 別にいいけど。


「まず。ボクの目的はキミの技能スキルだ。ボクの研究を進めるために、キミの固有技能ユニークスキル……ええと【汝の隣人を愛せよ】か。それを利用させてほしい」


 『知恵の実』を片手に操作して確認する魔女。どうやら『知恵の実』からも僕は魔女の同行者として扱われているらしく、その技能スキルや能力値も確認できるようだ。


「利用って言ったって……こんな技能スキルがなんの役に立つんですか? 敵を強化して何か得なことでも?」

「結論から言うと、ある。キミのスキルは、実にボクが200年以上世界を廻り探し続けた技能スキルなんだよ。キミのその技能スキルは……ハッキリ言って最強だ」


 最強とまで言ってきた。

 

「あ、いや、ちょっと最強は言い過ぎかも……でもキミの技能スキルがあるから最強のシステムが構築できるというわけで、そしてキミはその最強のシステムの要であると言えるし、キミが在ってこその最強と言えるのだから、まあキミ自身が最強であると言っても過言ではないと思うよ」

「なんか、歯にモノが挟まったみたいな言い方ですね……」

「そりゃあ……キミがどんなに最強でも、そのシステムを発明し、構築したボクの方がもっと最強なんだからね。存分にボクを崇め讃えてくれて構わないよ」


 あっけらかんと。最強のさらに上の最強という概念をでっちあげる魔女。

 

「話はわかりました。でもやはり、結婚という話にしなくてもいいのでは? 単に協力者として手伝ってもらうとか……」

「え?」


 魔女は驚く。

 目を丸くして、口を空けて、唖然とする。


「何を言ってるんだキミは。ボクのような超絶美少女に求婚されて、まさか断る気ではないだろうね?」

「まさか。了承するとでも思っていたんですか?」


 絶句。

 ぱくぱくと、むなしく口を動かす魔女。

 言葉が、心に追いついていない。


「ええ……それは非常に困る……いや、キミにとっても損な話だぞこれは。ボクと結婚すれば、ボクの知識や財産を相続する権利を得られる上に、ボク自身の人生すらも手に入るのだぞ? ただ一言、イエスと言うだけで!」

  

 なぜそうしない! と、ばんばん膝を叩いて抗議する魔女。


「なるほど? 結婚という形が気に入らないのだな? ではそこから一歩下がって恋人から始めるのはどうだ?  それも嫌? なら仕方ない。当初の予定からはズレるが、キミの奴隷として……」

「いやいや。待って待って。何をそんなに焦っているのですか」


 魔女が僕に詰め寄ってくる。

 どうしても、要求の一部でも、聞き入れてくれないと困るらしい。

 あるいはそれこそ、技能スキル以上に重要な話であるらしかった。


「そうだね……これも言っておかないとフェアではないね」


 僕の言葉に、魔女はいささか落ち着きを取り戻す。

 居住まいを正して、もう一度、ゆっくりと告げる。


「わかりやすく言うと、ボクはキミの子供を産みたいんだ」


 やはり。とんでもねえ話だった。


「おい。そんな嫌そうな顔をするなよ。そこまでの塩対応はボクだって悲しくなる」

「流石に、年齢的にあかんのでは……」

「何を。ではキミは何歳だ?」

「……たぶん、19歳くらいです」

「なら問題ないではないか」

「いや、年齢が問題なのは貴女の方では……」

「なんだ。年の差を気にするタイプか? ずいぶんとつまらないことを問題にするんだな」

「年の差って言うよりはなんというか……」

「もう! しゃらくさいな! そんなに気になるなら教えてやる! ボクは271歳だよ! これで満足か!?」

「だからそうじゃな……ええ……」


 確かに。見た目に比して喋り方がずいぶん落ち着いているとは思ったけれど。

 271歳とは。


「疑うなら『知恵の実』を使って見てみれば良いだろう! 『年の差』タグをわざわざつけておいたんだから、こういうのは言わずとも察してくれ!」

「ええ……」

 

 念のため、『知恵の実』を操作してネイピアの能力値ステータスを照会する。そこには確かに『年齢:271歳』と記されていた。

 『知恵の実』によって記録されている情報は、本人の意志で隠すことはできても改ざんすることは困難だ。もちろん、例外的な理力を持つこの魔女なら、知恵の実の改ざんも可能かもしれない。しかしそうまでしてあえて『非現実的』な数値に書き換えるというのもナンセンスだろう。

 

「確かに年齢を重ねてはいるが、受胎能力に問題は無い。心配は無用だ」


 ふんすと。胸を張って鼻を鳴らす魔女。

 まあ、本人が言うなら、そうなんだろうと、とりあえず納得する。


「ボクはキミの技能スキルが欲しい。それはキミの協力のみならず、遺伝子も必要なんだ。固有技能ユニークスキルは親から子へ遺伝する可能性が高いからね。

 事情があるなら、キミが別の人と作った子をボクが教育するという手もある。

 だが可能なら、ボク自身が産んでしまう方が手っ取り速いだろうね。過去に子供を産んだ経験は無いが、まあ、ボクとキミならきっとなんとかなるだろう」

 

 勝手に家族計画まで立てられていた。

 無論僕は何一つ同意していない。将来を約束されても困る。


「どうして、そこまでするんですか? たかが技能スキルのために……」

「たかが? まだそんなことを言っているのか。キミは今、人類の歴史が変わる瞬間に立ち会っているのだぞ」

「でも……」

「では、証明してみせよう」


 と、魔女は僕の足元を指さした。

 正確には、僕が椅子代わりに使っていた大きな樽。


「その樽には、あらかじめ【保存】と【消臭】の技能スキルをかけて、あるものを保管しておいた。それを取り出してみたまえ」


 その樽は、どうも魔女があらかじめ持ち込んでいた機材だったらしい。

 僕は樽から降りて、言われた通りに蓋を開いてみる。

 開いたと同時に、樽にかけられていた技能スキルが解けて、独特の、硫黄のような刺激臭が僕の鼻をつくのを感じた。


「……ッ! これは……?」


 樽の中を覗いてみて、ぎょっとした。

 中に入っていたのは、紅い鱗に覆われた巨大な蛇だった。それがとぐろを巻いて、樽の底に押し込められている。

 いいや、違う。これは蛇じゃない。


「ヘルカイトの尻尾だよ」


 僕の隣に来て樽を覗き込み、ネイピアが答える。

 鍋の具の材料でも伝えているかのような気楽さで。


 ヘルカイト。

 飛竜と呼ばれる、龍の亜種の一つ。紅い鱗に覆われた巨体と、それに見合った翼を持ち、高速で空を飛び回る。さらに鋭い爪と牙を持つ上に、口から高温の火球を吐く技能スキルまで持っている。

 正真正銘、文字通りの怪物。空の支配者。


「彼の巣まで忍び込んでね。眠っている間に尻尾を踏んづけてやったんだが……

 残念ながらビクともしなくてね。仕方がないので魔術で尻尾を切り取ってしまった。

 自分の尻尾がちょん切られて初めて目が覚めるだなんて、ずいぶん寝起きの悪い生き物だね」


 最低のモラルもないのかこの魔女は。

 災厄級の魔物に対してやっていいことではない。


「なんで、そんなことを……」

「そこいらの弱い魔物に試しても意味が無いからね。尻尾をここに隠したのは、時が来るまで気付かれたくなかったからだよ」


 不意に。

 金属を引き裂くような高音が、空の彼方で雷鳴のように『轟いた』。


「……さすが。もうここに気が付いたようだ」

「気付かれた? ヘルカイトに? いや、待って……」


 状況に追いつけない。

 僕と魔女は、冒険者の店を襲撃したせいで指名手配されて。そこから逃げてきて。

 それで、この廃墟に隠れて。


 違う。

 魔女は最初から、人間に追われてることなど気にしてはいない。ただの人間など、彼女にとっては何人来ても同じことだ。『練習台』にもならない退屈な相手に過ぎない。

 魔女は冒険者の店で、僕の技能スキルを、その性能を確かめた。

 だから、今度は。それを利用しようとしている。

 今ここで、力を試そうとしている。

 

「では練習しよう。相手はレベル255のヘルカイトだけど楽勝だよね?」


 轟音。

 僕と魔女の目の前に、紅い。紅く紅い飛竜が、飛び込んできた。

 ただ着地しただけで。風は逆巻いて、木々が波立ち、廃墟の石壁はがらがらと崩れていく。

 紅い体の中で、鮮やかに映える青い瞳が、片方ずつ、僕と魔女を、咎めるように睨んでいた。

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