第5話
プルタブをあげると同時に、銀の缶の開け口から勢いよく炭酸が吹きだす。直後に漂ってくるアルコールの匂いに鼻を引くつかせながら、テーブル横のテレビをつける。画面にはプロ野球の試合が映り、中盤を少し過ぎた辺りで在京の強豪チームが地方球団に大差をつけて優勢に試合を進めている最中だった。信春としては特にどちらのチームも応援していなかったが、ハイライトで流れた地方球団が序盤に打った唯一の得点シーンであるホームランが豪快だったのに気を良くし、缶に口をつけようとした。
「待った」
その声を耳にすると同時に正面を見据えれば、テーブルの向こう側で琥珀色の缶チューハイを開ける真衣の姿がある。つい先程まで、信春とともに大学に行っていたせいか、いつもよりも化粧をはじめた身だしなみに気合が入っているように見えた。服も、昨日まで多かった半袖のシャツとパンツではなく、清潔感のある白いブラウスに同色のスカートを合わせている。
「なんだよ」
飲むのを止められる心当たりが見つからず尋ねると、真衣は薄く微笑んでから、
「どうせなら、乾杯してからにしようよ」
比較的真っ当な理由を口にする。なんとなく拍子抜けしつつも、ああ、と頷き、缶を持ち上げた。それとほぼ同時に真衣の方もまたチューハイを持ち上げ、テーブル越しに近付けてくる。
「かんぱーい」
「かんぱい」
直後に、カツンと小気味のいい音が、二人しかいない部屋に響いた。すぐさま口をつけるとビールの冷たさと苦さが沁みる。
「ちょっとノブ君、テンション低くない」
「そうか? こんなもんだろ」
言いながら、ぼんやりとテレビに視線をやれば、既に在京球団の攻撃は終了したらしく、見通しの良さそうな道を車が走っているCMが流れていた。横顔に頬杖をついたとおぼしき真衣が迫ってくる。
「ノブ君、もしかして怒ってる?」
「なんで?」
わけがわからず聞き返せば、横目に映る真衣は、どこか気まずそう顔をしていた。
「その……私が、ノブ君と同じ大学だったことを言わなかったこととか」
「ああ……」
あったな、そんなこと。真衣の言葉を引き金に、朝、同じくテーブル越しにかわされたやりとりを思い出す。
長めの夏休みが明け、大学に行こうとした信春に真衣は、じゃあ私も久々に学校に行こうかな、と告げた。この時点では学校とだけ言っていたので、こいつもどっかの学校に通ってるんだな、とくらいの感慨を抱いていたし直後の、せっかくだし一緒に行こうか、という台詞も、途中まで、くらいの意味で解していた。それが間違いだとわかるのは、登校中、いつまで経ってもついてくる女に、見送ってくれてるつもりか、と的外れな質問をした際、呆けたような顔をした真衣の、私とノブ君、同じ大学じゃない? と言われた際。
……思い出せば思い出すほど、間の抜けた話だった。途端に少々苛立ちこそしたものの、たいした話でもないな、と思う。
「そんなこともあったな……それは別に気にしてないよ」
「ホントに?」
「本当に。第一、真衣だって隠しているつもりはなかったんだろう」
途端に女はぶんぶんと頷き、ずっと知ってると思ってた、と口にした。そもそも、出会いが大学最寄り駅近くの酒場である以上、同じところに通っているというのは比較的自然に出てくる発想といえる。むしろ、今日この日まで気付かなかった方が悪い。
「たしかにちょっと驚いたし、朝は恥をかいたと思わなくもなかったけど」
「思ったんだ……」
「ちょっとだけな。ただ、別に気にすることでもないし」
とはいえ、真衣がここにやってきばかりの時、さほど抵抗を持たずに居座った理由の一端が見えたのもまた事実だった。要は、繋がりこそ薄くはあっても、向こうは知り合いだと認識していたということだろう。……まあ、それにしたところで、仲が良くも悪くもない男の家にずっと泊まっているというのも相当に変な話であるのだが。
「気にしてないっていう割には、やっぱりテンション低いと思うんだけど」
「そうか? いつもこのくらいだろ」
やはり心当たりがなく、ビールをぐびっとあおる。軽く缶を振ってみれば、残り半分ほどの重さだと察する。
「そうかな?」
「そう……だと思う」
「やっぱり、なんかあるんじゃないの?」
「残念ながら心当たりがないんだ、これが」
そう返した信春は、前もってテーブルの真ん中に広げておいたポテトチップスに手を伸ばし、口に放り込む。途端に舌の上にコンソメパンチが広がった。
「そっか。ないんだったらいいけど、なんかあったら言ってね」
ポテトチップスへと自前の赤い箸を伸ばしながら、真衣はそんなことを口にする。信春はややしつこいなと感じつつも、真衣は真衣なりに考えていてくれているのだろう、というのはわかったので、ばりばりとチップスを噛み砕き、ビールで流しこむ。口内で萎びた菓子は、少しだけ気持ち悪かった。
いつの間にかCMが明け、野球の攻守が入れ替わっていて、地方球団がワンアウト満塁で四番バッターという絶好の機会を迎えている。一方で、こういう場面ほど、きっちりと抑えられてしまうというような印象が信春の中にあるため、あまり期待しない方が良いかもしれない、という気持ちもあった。
「ビールに野球って、おじさんみたいだね」
「誰がおっさんだよ」
真衣につっこみながらも、実のところ信春も少しだけ同意している。真衣は、そういうとこだよ、とからから笑ってみせたあと、
「ノブ君のサークルの人たちって、優しいよね」
唐突にそんなことを言った。
「酒とかお菓子とかツマミとかのことか」
「そうそう。さらっと分けてくれるあたり、太っ腹だなって思って」
「太っ腹ね」
地方球団の四番が、半ば予測していたゲッツーを叩きだしたのを確認してから、真衣の方に顔を向ける。浅黒い女は、パーティー開きされたポテトチップスの手前にある、チョコチップが入ったビスケットの包みを楽しげに開いているところだった。
「なに? なんか言い方に含みがあるけど」
「別に……ただ、あれは太っ腹っていうより、オモチャ扱いされただけなんじゃないのか」
「まあ、面白がられてたのはたしかだと思うけどね……」
真衣は笑みの色合いをほんのり苦いものに変えつつ、二枚入りのチョコチップクッキーのうち、一枚を齧る。その際、覗いた白い歯に茶色いカスが軽く飛び散った。
「もしかして、私、サークル室に行かない方が良かった」
「いいんじゃないのか。みんな気にしてなかったと思うし」
「けど、ノブ君は気になったんじゃないの」
「俺も別に気になんなかったしな」
少なくとも、講義後の空き時間に真衣と合流し、サークル室に行くことになった時は、そっか、くらいに軽く流していた。信春の所属する邦楽研究会は名こそ立派であるものの実体は半ば飲みサークルに近く、人の出入りも多く、サークル員と非サークル員の境界も曖昧だった。ゆえに、面白そうだから、というふわふわとした動機を真衣から聞かされた時も、ありがちなこととして受けとめたのもあり、特に抵抗なく連れて行った。
とはいえ、普段女っ気のない信春が、同年代の女子を連れてくれば、勝手知ったるサークル員たちが抱く感想というのも比較的似通ったものになる。
「嫌じゃなかった?」
「どっちかといえば、真衣の台詞じゃないかそれは」
「私も別に……ノブ君が嫌な思いをしたんじゃなければ」
なんとなく言葉を濁しながら、お互いの缶に口をつける。缶の中身はほとんどなくなり、携帯電話のCMとおぼしき童話の人物に扮装した俳優たちの寸劇が耳に入り込んできていた。
頭の中では、ついにお前にも彼女ができたのか、という親しくしている一学年上の先輩の言葉や、まさか真衣ちゃん相手とはね、と値踏みするような最高学年の女子の先輩の声、唖然とする同学年の友人たちの眼差しや、状況についていけてなかったり逆に囃したてたりする後輩たちの声などが蘇える。よく映画なんかでみる、田舎に嫁をつれて帰ってきた上京男のような心持ちになりながら、知り合った経緯や事実関係などを説明したものの、成り行き的に真衣を泊め続けているというところは伏せていたためか、話全体が漠然としたものとなってしまい、結果としてより関係を疑われる事態に発展した。この辺りのメンタリティは中学高校の人間関係とさほど変わっていないなと少々鬱陶しく思いつつ、先輩たちの声を受けとめた。そうした時間の積み重ねとほぼほぼ交換するかたちで得たのが件の酒やツマミやお菓子などである。
即興の酒盛りを開いたうえで長時間にわたって信春と真衣をおちょくる派と邪魔するのは無粋だろう派が言い合った結果、なぜか二人で宅飲みをするということになった。
後で話を聞かせてね、という最高学年の女子の先輩の期待の籠もった声に、半ば強引に頷かされた。元々、一緒に住んでいる関係上、宅飲み自体は難しくないし、これまでもちょくちょく飲んでいたので恥ずかしがるものでもない。ただ、今現在ビールを飲んでいる間も、どこかこれじゃない、という違和感が抜けなかった。
「やっぱり、嫌そうな顔してない?」
「嫌ってわけじゃなくて……なんか、すっきりしないというか」
言いながら、空になったビール缶をゆるやかにテーブルの上に置く。その後ろに、真衣がこの間どこかで拾ってきたらしい、よく薬局の店先に置いてあるカエルの置物を小さくしたようなものがあるのが見えた。
「別に言われなくても、酒くらい飲むじゃん、俺ら」
「それは、そうかも……」
どうにもピンと来ていないらしい女の、それで、と先を促す視線を受けて、信春は億劫だと思いながら、頭を掻き、口を開く。
「ガキっぽいのはわかってるんだけどさ」
「うん」
「先輩らのお膳立てされた通りにしてるのが、なんとなく釈然としない感じで。けど、ブツを受けとったからには、言った通りにした方がいいのかな、みたいな」
そもそもからして、先輩たちからの好意を受けとらなければ良かったのかもしれないが、上手い具合に断わりながらあの場を抜けだす術を信春は持ち合わせていなかった。とはいえ、こんな風にして後からぐだぐだしているのだから、もう少しくらい頑張ってみても良かったのではないのかと自省している。
「たしかにそれは子供っぽいかもね」
あまり興味なさげに告げたあと、真衣は、近くに引き寄せたハイボールの缶を開けて一口。途端に顔を顰める。
「これ、あんま好きじゃないかも」
「なんなら、交換するか?」
言ってから、手元にあるのが白い七福神の一人のイラストが描かれた缶の中身を思い出す。たしか数度、酒を飲んだ経験からこの女は、ビールの苦さも不得意としていた記憶があった。案の定、真衣は首を横に振る。
「だって、それ甘くないでしょ」
「それは、まあ」
「だったらいいよ。一本くらいだったらなんとかなるし」
そう言って、少々嫌そうにもう一口。まるで青汁でも飲んだような顔になっていた。
「無理するなって。俺、割とハイボール好きだからなんとでもなるし。まだまだ、チューハイは何本かあるんだから、そっちにすればいいじゃん」
「う~ん。それはそれで、なんか負けた気がするしなぁ」
などと言いながら、ちょびちょびと手元の飲み物を消費していく。この調子だと折れそうにないな、と早々に諦めた信春は、プルタブを上げて間もない新たなビールを口に含んだ。まだまだ暑い九月とはいえ、二本目のビールともなれば新鮮さはほとんどない。
「ノブ君のさっきの話だけどさ」
「さっきって、どれのことだ?」
「うぅんと……子供っぽいとか、そこら辺のこと。ノブ君はガキっぽいって言ってたっけ?」
「それか……」
自分で口にしたこととはいえ、みっともない愚痴の類であるため、あまり長く話したいことでもなかった。
「別にいいんじゃない。ガキでも」
どうでも良さそうに真衣は口にする。あまり関心がないのが、信春にもはっきりと感じとれた。
「いくら我慢できても、嫌なことは嫌なんだし。それだったら、腹の中くらい、嫌だとか納得いかないとか叫んだり愚痴ったりしてもいいでしょ」
「真衣に言ってる時点で、腹の中でもなんでもないだろ」
その時点でただの愚痴だ。そういう自覚にともなうみっともなさが、信春の中で後悔としてくすぶり続けていた。真衣は苦笑いを浮かべ、
「飲みの席の愚痴なんて誰にも言わないよ」
だから腹の中みたいなものだよ、なんて付け加える。この言葉がどこまで信じられるのか信春には未知数だったものの、だったらいいかもな、と応じた。
「あんま信じてないでしょ?」
「あんまり言われたいことではないけど、表に出てもそれはそれで仕方がないなって」
つまりはどっちでもいい。言外にそう主張しながら、ビール缶を傾ける。何口めかのそれには大分飽きつつあったので、そろそろなにか別のものを飲んでもいいかもしれない、とテーブルの脇に置いてある缶やらスナック菓子、ツマミの山に目を移そうとする。
「その言い方は、好きじゃないなぁ」
どこが引っかかったのか、ハイボールの缶を軽く叩きつける真衣。テーブルが傷つくだろうが、と少々イラついたものの、やや火照った女の目が据わりはじめているのをみて、酔っ払い相手に本気になっても無駄だなと思い直す。
「もうちょっと、私を信じてくれてもいいんじゃない」
「信じるも信じないもないって。ただ、どっちでも」
「だから、それが信じられてないって言ってるのっ」
声を荒げる真衣。信春は、うぜぇ、と心の中で思いつつも、平常時にこういう怒り方はあまりしない女だけに、そういう意味では新鮮だった。
「合鍵を渡したりしてるんだから、察してくれ」
「それはまあ、そうかもしれないけど……なんか、ぞんざいに扱われているっていうか」
その点に関しては特に否定する部分がないのもあり、そっか、と曖昧な相槌を打つに留める。この応対がより癇に障ったみたいで、ハイボールを勢いよく飲みこんだあと、低くまずいと呻き、テーブルに缶を叩きつけた。
「テーブルに傷がつくから、もうちょっと優しく落としてくれよ」
「それは、ごめん。……それはそれとして、もう少し、真剣にかまってほしい」
直接言われる。とはいえ、信春にはそんなつもりはなく、テーブル脇の海苔煎餅の袋を開いた。
「別にべたべたしないでもいいだろ。俺は、そういうのあんま好きじゃないし」
「ほんとぉ? そんな人が、家出してる私みたいなのを、ずっとここに置いたりする?」
「そこはまあ、なりゆきというか」
「なりゆき、ねぇ……」
意味ありげな含みとともに、レモンチューハイが入った缶のプルタブをあげる。そろそろ止めといた方がいいんじゃないか、と顔から判断した信春に真衣は、まだまだ飲み足りないでしょ、とあまり呂律が回っていない様子で応じた。
「なりゆきならいっそ、本当に付き合ってみる?」
何の脈絡もなく飛び出した言葉に信春は、なに言ってんのお前、と反射的に返してしまう。途端に真衣の赤みを帯びた頬がぷくりと膨らんだ。フグみたいだった。
「だから、私はお前じゃないって」
「はいはい、悪かった悪かった。とにかく、なに言ってんだ真衣」
「だから、付き合わないか?って建設的な提案をしてるの」
「いや、いきなり言われてもわけがわからないんだけど」
困惑とともに聞き返す信春の顔に、真衣は、ちょっと待ってね、と平手を突き出し、チューハイをゆっくりと吸いあげていく。これはまともな答えは返ってこないだろうな、と思う信春もまた、ビールで口を湿らせ、開けたばかりの煎餅を齧った。
真衣が考え続けているの見て、再びテレビに視線を移せば、プロ野球は八回裏に入り、地方球団がワンアウト一塁三塁のチャンスを作っている場面で、放送時間が残り間もないことがキャスターから告げられているところだった。特に真剣に見てるわけでもないのに、結局最後まで野球中継を点けたままにしてしまったな、と振り返りつつビールを一口。結局在京球団の投手の投げた球がボールカウントされたところで、中継が終わりを向かえる。信春はリモコンを持ち、とりあえず違うチャンネルにしようかな、と考えた。
「とりあえず、私たち一ヶ月くらいは一緒に暮らしたわけでしょ」
「そうだな」
話を切り出した女にぞんざいに応じる。先程齧った煎餅の欠片で切ったらしい口の中が少し気にかかった。
「そうやって一ヶ月暮らしてみて、私はノブ君のことをまあまあ気に入ってる」
「そっか」
「ちょっと、感動がなさ過ぎない?」
「悪くは思ってないよ」
はっきり嬉しいというのはややこそばゆいものの、言葉の通り、悪くは思っていない。信春の対応に、真衣は、唇を尖らせる。
「そこはもうちょっと、喜んで欲しかったな……まあ、いいや。話を戻すと、付き合ってても付き合ってなくても、やることはあんまり変わらない気がしない?」
「そう、なるのか?」
鵜呑みにしていいのか困る発言に首を捻った。たしかに付き合ったとしても、表面上することにさほど変わりないかもしれない。ただ、加えて、それらしい行為や優先順位の類が変化しかねないのは決定的な違いだろう。
「だったら、どっちかといえば付き合ってた方がなんかお得感がないかなって」
「なんか、色々とめんどくさくないか?」
「そこは見解の相違ってやつかな。ノブ君は難しく考え過ぎじゃない?」
「付き合うなら付き合うなりの責任があるだろ。そういうのは、今はいいかなって」
ならばなぜ、真衣を住まわせているのか?
そんな疑問が湧く。なりゆき、とは口にしたものの、実のところそれ以上、考えたくはないだけなのではないのか。このような考えはおそらく正解だろうと信春自身も察していた。こうした心情を知ってか知らずか、真衣は、缶の開け口に少し下部分についた一滴を舌で舐めとってみせる。
「それが、難しく考え過ぎだって言ってるの。もしかして、ノブ君ってば今までお堅い付き合いしかしてこなかったわけ?」
「さあな」
中学高校の数度の交際経験が頭に浮かぶ。最初の頃はいっちょ前に背伸びして告白したりしていたが、その後は全て相手側の申し出をなし崩し的に受けたかたちだった。だいたいの付き合いにおいて、型通りに手続きをこなしたあと、なんとはなしに自然消滅というのが定番の流れに乗っていた。唯一、最初の付き合いだけは向こう側から別れを告げられたので比較的濃く印象に残っているものの、どれもこれも似たり寄ったりだったな、という記憶がある。その似たり寄ったりの後ろには、こんなもんか、とか、今後も上手くやれそうにないな、という諦めに似た気持ちがあった。
「じゃあ、とりあえず最初はお試しってことでどう? それだったら、失敗しても大火傷みたいなことにはならないでしょ」
「そう簡単にはいかないだろ……」
少なからず気まずくなるのは、一般論、経験則ともに疑いようがない。だったら、まだ今みたいに、なんでもないまま酒を飲んでいる方が幾分かやりやすかった。
「そうかな? 私、けっこう元カレとか相手でも普通に話すし、そんなに変わらないと思うよ」
それは元カレ側が気まずさを押し殺しているだけなのでは? 頭に浮かんだ邪推は、口にはしない。
「真衣は、そんなに俺と付き合いたいのか?」
ただ、今現在感じている押し出しの強さから、こんなことを問い返す。真衣はチューハイの缶を片手に動きを止めたあと、空いている方の手で先程開けたばかりの海苔煎餅の大袋から一包み取りだし、瞬きをする。
「どうなんだろうね……」
急に冷静になったようにそんなことを口走り、缶を一端下ろしてから包みを開く。横からは明日の天気の速報が聞こえてきていた。
「お得だとは思ったけど、それ以上のことはあんま考えてなかったかも」
「それは、考えなさ過ぎなんじゃないのか?」
「うん。そうかも」
真衣は信春の発言を素直に認めたあと、けど、と前置きしてから、
「私としては、付き合ってもいいかなくらいに思ってるのはホントだよ。さっきも言ったけど、そのくらいにはノブ君のこと気にいってるから」
そんなことを言われる。続けて言葉にされたせいか、急激に照れ臭くなりだす。端的に、嬉しいと感じていた。
「そう何度も言うなよ」
「こういうのって、言われれば言われるほど嬉しくなったりしない?」
不思議そうに尋ねてくる真衣。その言葉は一面の真実をとらえているように信春には思えたものの、素直に肯定する気にはなれず、ビールの残りを飲み干し、カエルの置物と睨めっこする。
「俺はそうじゃない」
「そっか。それは残念」
どことなく淡白な声とともに、液体を飲む音が信春の耳に響いたあと、
「それでどうするの。付き合う? 付き合わない? 私はどっちでもいいけど」
話は本題に戻ってくる。カエルの置物はそ知らぬ様子で笑顔のままだった。信春は諸々のことを頭の中で天秤にかけたあと、
「保留で」
結局決めきれぬままそう答えるに留まる。
「わかった」
真衣は特段、声色を変えないまま応じ、
「いつ決めてくれてもいいから。私の方が一目惚れでもしなければできるだけ待ってる」
何の衒いもない様子で答えた。信春は残っていた缶の中からハイボールを手にとったあと、わかった、と応じ、プルタブをあげる。再び目があった真衣は、ニヤニヤした。
「でも気を付けてね。私って、こう見えてけっこう惚れっぽいから。ずっと何も言わないとすぐにいなくなっちゃうかもよ」
「なんか、そんな気はするな」
「そう、素直に、肯定されるとそれはそれで傷つくんだけどな」
話の続きや、さっきまでやっていた野球の結果がどうなったか、先輩たちへの愚痴などとともに、缶と菓子とツマミの空き袋を重ね、夜は更けていく。
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