第2話
「ただいま」
つい最近まで自室に他人が居なかったゆえ、なにかと忘れがち言葉を口にしつつ居間に入れば、女がテーブルの上でうつ伏せになり、小さく寝息をたてている。せめて、まともなところで寝てくれよ、と思いながらも、安らかな寝顔を妨げるのも気が退けて、放っておいたまま洗面所に向かい、うがいと手洗いを済ませて戻ったあと、対面に腰かけた。
ここに住みはじめたばかりの頃はテーブルなど嵩張るばかりでいらないと思っていたが、こうして役にたっているところからするに、絶対に買っておけ、という母の助言は正しかったのかもしれない、と信春は思う。もっとも、ベッド代わりになるとは少しも考えなかったのだが。
頬杖をつきながらなんとはなしに女の方を見やる。もしかしたら寝たふりをしているのではないのか、と疑いかけたものの、そうだとすれば随分とタヌキ寝いりが上手いことになるので、さしあたっては考えないようにした。薄暗さの下からでもはっきりとわかる浅黒く焼けた肌からは、こころなしか夏の気配を感じる。
はたして、この女は俺がいない間、ずっと家に籠もっているのだろうか? ふと、信春はそういった疑問が抱く。なにせ、大学に行っている間、別行動している以上、その間の女の行動は謎そのものでしかない。合鍵は預けたわけではなかったものの、少し棚を探ればすぐに見つかる場所に置いてあるうえ、最悪施錠しないで外に出てしまうことだってできる。
鍵を閉めずに伸びをしながら外に出る女の姿。家の中で女がだらだらしている様子ばかり見ている信春ではあるが、外でふらふらと店を冷やかしているというのも実に合っている気がした。そもそも、家の中で暇を潰せるものもさほど存在しない現状、ただ寝ているだけで居続けられるかどうかも甚だ疑問ではある。こうして机の上で転寝してしまうほど疲れそうなことをするのにも向いていない。
外に出るんなら出てるでいいんだけどな。そんな風に思いながら、信春は考えを打ち切る。正直なところ、勝手にすればいい、という感じではあったものの、何も言われないままふらふらされているのであれば迷惑ではあった。もしも、鍵をかけていないのかもしれないという懸念が当たっていれば、さほど栄えていない町とはいえ、泥棒の一人や二人入ってくるかもしれない。
だとすれば、今日にでも聞くべきだ。そう決心し、あらためて女を見下ろす。寝息は規則正しくたてられており、いまだに起きる気配はない。
もう少し、寝かせておいてやるか。女の穏やかな表情を見た信春はそんな温情をかけてから、欠伸を噛み殺した。
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