10「館の幽霊」

 イツィリはアントニオから拳銃を受け取り、再び2階寝室前へとやってきた。ドアの前で横たわっているパウロはやはり意識を失っているようだが、命に別状はない。


 寝室は薄暗くはあるが、ベッドの上に女の姿がないのは確認ができた。だが、内側に開いた扉の影に隠れている可能性がないとは言い切れない。


 銃を構えながら音を立てないように部屋へ侵入し、足でドアを勢いよく閉めて銃を突き出す。


「…。」


 しかし、そこには誰もいなかった。ただでさえ物が少ない部屋だ。ベッドの下が無人であることを確認すると、もう調べられる場所はない。


 女が部屋から逃げ出したのは間違いないだろう。逃げ出した後にどこに行ったのかはわからないが、少なくとも1階には現れていない。そうなると、2階のどこかの部屋に身を隠しているか窓から脱出したかだろう。


 窓から脱出したというのは考えにくい。なぜなら女は裸足だったし、館の周りは石やら雑草やらで荒れている。足を怪我するのは目に見えているし、そんな状態で遠くまで逃げようとは思わないだろう。そもそも女はここがどこなのかもわからないのだ。


「…閉まってるよな。」


 寝室の窓は閉まっている。鍵は掛かっていないが飛び降りたのなら開けっ放しのはずだ。


 その後2階にある部屋を一つ一つ確認してまわるが、どこにも女の姿はなかった。それと、さっきから1階が少し騒がしい。


「…!」


 その時、銃声が響いた。その音を聞いてイツィリは様子を伺うべくゆっくりと1階まで引き返していく。その間にも数発の銃声が聞こえてきた。


 階段中腹の折り返しとなっている踊り場で身をかがめて1階の様子を伺うと、既にフーバー、ミーシェル、ヨーウィーの3人が倒れているのが見える。


(あれは…どうなってるんだ?)


 だが、最も目を引いたのは宙に浮かんだ拳銃が次々と弾を発射している様子だ。撃ち出された弾丸は部屋の壁や家具を破損していく。


 やがて全ての弾を撃ち尽くすと、拳銃はその場にゴトリと落ちた。その後すぐに玄関の扉が開いたが、そこに人の姿はない。


「くそっ、逃げやがった!」


「待て!ヒース!!」


 扉から外へ出ようとするヒースをアントニオが制止するが、既にヒースは躓いて転んでいるところだった。


「うっ…!」


 転んだヒースはいつまでたっても起き上がらず、やがて全身の力が抜けたように動かなくなってしまった。イツィリは何が起こっているのか把握できずにただその場で固まってしまっていた。


「くそっ…!」


 そしてアントニオも突然苦しそうに悶え、やがて同様に意識を失った。


(俺以外、みんなやられちまった…。何が起こってる?)


「…痛ぇっ!!」


 突然右手に痛みが走った。まるで思いっきりつねられたような痛みに、持っていた拳銃を落としてしまった。


「…ねぇ。」


「ひゃあっ!!!!?」


 突然耳元で女の声が囁いた。慌てて振り返るがそこには誰もいない。


「私の言葉、わかる?」


 今度は正面から声がしたので再び前を向くが、そこにも人影はない。だが、落とした拳銃が宙に浮いてこちらに狙いを定めているのがわかる。


「じ、銃が喋った!?」


「ふふふ…」


 笑い声。それはイツィリが銃が喋っていると勘違いしたことが面白くてソフィアが笑っているだけなのだが、混乱しているイツィリには不気味な笑い声に聞こえたようだ。


 イツィリが共通語を話せることもわかり、都合の良い勘違いもしてくれたので、ソフィアは一芝居打つことにした。


「私はこの館に住み着いている幽霊…。今…この拳銃に乗り移ってるの…。」


「ひいぃいいいいッ!!お助けをォ!!」


 恐怖で錯乱するイツィリが滑稽で、ソフィアは一先ず先ほどまでの怒りを忘れることができた。


「助けてほしかったら私の言う通りに行動しなさい…。」


「わ、わかりました!!」


 ソフィアはまず指輪を押し当てて気絶させた5人の男を拘束するように指示をした。これで万が一目が覚めても慌てなくて済む。


「お腹が空いた…何か食べるものをちょうだい?」


「ゆ、幽霊って何を食べるんでしょうか?」


「今はお肉の気分…。」


「そ、それってまさか人の…ッ?」


「ぎ、牛肉がいい…。」


「かしこまりましたァ!」


 イツィリはすぐに食事の用意をし、食卓に並べた。部屋には香ばしく焼きあがったステーキの香りが漂っていて、ソフィアは思わず生唾を飲み込んだ。集落では芋や名前も聞いたことのない動物の肉しか食べておらず、脱出後もお土産のクッキーや口の中がパサパサになる携行食しか食べていないため、久しぶりのちゃんとした食事である。


「いただきます…。」


 ソフィアは出されたステーキと付け合わせのコーンや人参のグラッセ、ステーキの下に敷いてあった玉ねぎまで残さず食べた。当然一緒に出されたパンやスープも完食した。


「ごちそうさま…。」


「料理が…次々と消えて…?」


 イツィリの目には、宙に浮いたナイフやフォークが肉や野菜を次々に空中に消し去っていくようにしか見えなかっただろう。


「美味しかったから、あなたには何もしないでおいてあげるわ…。」


「あ、ありがとうございます!」


 実際はイツィリの腕を掴んで指輪を押し付けても効果がなかったため何もできないわけだがが、食事が美味しかったのも事実だった。


 イツィリは魔法に対して適性を持っている為に、指輪に触れてもマナ酔いにはならない。ソフィアの目にも彼の周りには青いオーラのようなものが視えていて、そういった人間には指輪は通用しないと彼女も先ほど理解している。


「お腹もいっぱいになったし、そろそろ成仏してあげてもいいんだけど…。」


「…!」


 幽霊の突然の成仏宣言にイツィリの顔が明るくなる。彼も幽霊を目の前にしている恐怖から早く解放されたいのだ。


「私、心残りがあるの。」


 幽霊と言えば心残りがあることと、それを解消すれば成仏することで有名である。その心残りとやらを解消できればようやく解放される。


「その心残りというのは?」


「お洒落な服を着て、大きな街に行ってみたいの。」


「…お、お洒落な服?」


「この館に、女物の服があるわね?それを持ってきてちょうだい。それと、私を車で街まで送って行ってくれる?」


「女物の?…あ、あぁ!今日さらってきた女の服が確かにあります!さすが館の幽霊だ…なんでも知っている。」


 イツィリはソフィアの荷物を全て用意し、追加でサンドイッチなどの弁当を作らされたり、風呂に入りたいからとお湯を準備させられたりしながら荷造りをしていった。そしてそれを車のトランクに積み込むと、幽霊に尋ねる。


「あの…本当に車で送るんですか?街のある方角は教えるんで、空からひゅーっと飛んで行ったりとか…。」


「あなた知らないの?幽霊は空を飛べないのよ?」


「そ…そうなんですか。」


 できればこのまま幽霊に出て行ってもらいたかったが、空を飛べないというのならば仕方がない。幽霊を助手席に乗せて車のエンジンをかける。因みにソフィアは助手席で念のために拳銃の銃口を運転席の方に向けている。


 服は荷物の中に入っていて、未だに全裸である為にシートベルトが肌にひんやりとする。


(幽霊もちゃんとシートベルトするんだな…。)


 そして車はコルティの首都ランカーズへ向け進み始めた。






―――――――――――――――――――――――――――――――


「リョウ、明日にはリッド分隊長がここにやって来る。」


 ディエゴの話を受けIPOの各方面へ忙しく指示を出していたザックだが、ようやく一息つき、今は目の前で肉厚のステーキを豪快に食べている。


「手配が早いですね?」


「あぁ、彼の話が真実であれ虚実であれ有力な戦力を集めて専門の討伐部隊を作ろうというのは、前から計画していたからな。それを早めただけだ。」


 因みにそのディエゴはリリスに魔法のことを根掘り葉掘り聞かれているところだろう。先ほどこのカフェテリアに食事をとりにやってきたのだが、すぐに研究所に戻らなければならいと疲れた表情で言っていた。


「早い再会になりましたよ。」


 昨日リッドと越野を見送ったばかりだったのだが、まさかこうなるとは。


「そうだな。彼にも急な指示で申し訳ないと思う。…リョウ、君も今日はほったらかしにして済まない。」


「いえ、俺は大丈夫ですよ。」


「そういってもらえると助かる。そうだ、彼にも討伐チームへの参加を打診しておいたよ。グラディ軍総指揮官モーガン・ラフマーン氏にね。」


「もうですか?まだ素質があると決まったわけじゃ…。」


 モーガンはグラディで色々と手を貸してくれた恩人マーカスのかつての戦友であり、今は軍のトップに立っている人物だ。マーカスに彼を紹介されたときに握手をしたことを覚えている。


 指輪に触れるとマナ酔いをするという話をディエゴから聞き、彼のことを思い出したのだ。彼は俺と握手をした時に指輪に触れているはずだが、体調が悪くなるようなことはなかった。それをザックに伝えていたのだが、既にそこまで話を進めているとは手回しが早い。


「打てる手は全て打っておかないとならないのさ。それほどまでに現状の動物災害は深刻化している。…もう、魔法やら魔物やらの存在を前提に動き始めてもいいのかもしれない。」


「…俺は割とすんなり受け入れられましたよ。実際に魔法が使えちゃってるので。」


 そういうとザックは確かにな、と小さく笑ってワイングラスに注がれた赤ワインを飲み干した。


「世界が大きく変わることになるかもしれないな…。」


 ザックが小さく呟いた一言に俺自身も胸騒ぎを感じていた。

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