9「洋館にて」

「失礼します。」


 IPOのイサディア仮拠点の指令室にノックの音が響き、一人の分隊長が入室した。部屋に入ってきたのはリッド・コールマン、招き入れたのはウスラー・ハーゲン中隊長である。ハーゲンの肩書は中隊長であるが、現在このイサディアに駐在しているIPO隊員の総指揮官である。


「疲れてるとこ悪いね。」


 ハーゲンは報告書の確認を中断すると、デスクから立ち上がり軽く手を挙げて部下をねぎらった。


「いえ、問題ないです。」


 リッドは手を後ろで組み、胸を張って答えた。それに対してハーゲンは挙げた手を左右に振りながら言う。


「あー、畏まらなくていい。とりあえず座ってくれ。…どっこいしょっと。」


 デスクの前にあるソファに勢いよく座るハーゲンに、リッドは少し肩の力を抜きつつ正面のソファに腰を下ろした。


「で、何です?他の分隊長は来てないみたいですが。」


 仮拠点に帰還し、救出した少女を空いている部屋に搬入して拠点に在中している女性隊員に外傷の確認と処置を引き継いで、隊員たちと明日の作戦のミーティングをしているところで彼はここに呼び出された。


 てっきり列車に乗っていた避難民が意識不明の状態である事態を踏まえた上で明日以降の作戦予定に変更があるために分隊長が全員呼び出されたのだと思っていたのだが、部屋にいるのはハーゲンただ一人でミーティングのように畏まった雰囲気でもない。


「リッドくん、着任初日で申し訳ないんだが…君に本部への帰還命令が下されたよ。」


 ハーゲンは言葉通り申し訳なさそうに後頭部を撫でながらそう言った。リッドがグラディを出てこのイサディアまで移動したのが昨日である。IPOは昨日中にイサディアの軍や政府関係者から状況を集約し、作戦を立案し、今日からそれを実行に移しているところであった。


「そいつはえらく急ですね…。それに隊員全員じゃなく、俺一人ですか?」


「あぁ、君の分隊の指揮はサムくんが引き継ぐことになる。今現在本部から陸路で護送車両が何台かこちらに向かっている。その車両で医療施設では抱えきれない避難民を本部に併設されている病院へ搬送する予定なんだが、それに同乗してもらう予定だ。」


 列車に乗ってきた意識不明の避難民たちへの処置は日が沈んだ今も続いてはいるが、病院などには入りきらず公共施設などを仮設の収容所としている。さらには点滴などの物資も不足し始め、IPOが一部の避難民を受け入れることを表明したのだ。


 だが、それでもまだ全員を搬送する目処は立っていない。イサディア政府は世界政府経由で隣国にも救援要請を出し、受け入れ先の確保に奔走している状況である。


「はぁ…まぁ、了解です。」


「そして君が呼び出される理由だが、実は私も知らされてはいないんだ。とりあえず行ってもらって司令官の指示に従ってくれたまえ。」


 今回リッドが呼び出された理由は彼が魔法適性を持っているからであるが、IPO本部では魔法や魔物といったディエゴから齎された情報は現時点では機密扱いとなっている。検証や裏付けがある程度進み情報の信憑性が得られれば、世界政府から各国に公表することになるだろう。


「あぁ、それと君が救出した少女も本部の病院に搬送されることになったから、救出したときの状況を担当医に説明しておいてくれ。」


「了解です。出発はいつですか?」


「護送車両の到着は早く見積もっても明日の早朝になるだろう。明日の8時までに出発準備を済ませておいてくれ。サム君に隊を引き継いだら今日はもう休むといい。」


「わかりました。」


 疑問は残るものの、本部に戻ればわかるだろうと割り切ってリッドは指令室を後にした。






―――――――――――――――――――――――――――――――


 日が落ち外が薄暗くなりつつある頃、ソフィアは眠りから目覚めた。


「んぅー…?」


 気が付いたら眠ってしまっていたようだ。確か親切な人に車に乗せてもらって、疲れて眠っちゃって…ってあれ?ここはどこだろう。


「えっ!?私どうして裸なの!?」


 寝かされていたベッドから降りてひとまず部屋を見てみる。ベッドの他には、背の低いチェストとその上に乗っているランプしかない簡素な部屋だ。窓に掛かっているカーテンを少しずらしてわかったのは、今が夜だという事とここが2階だという事、そして森の中にこの建物があるという事だ。


 ドアを確認してみるが鍵が掛かっていて開かない。普通は内鍵が付いている筈だけれど、ドアノブの中央にあったのは鍵穴だった。つまり私はこの部屋に閉じ込められているということになる。


(私をどうするつもりなの…?)


 やはりこの洗練された身体が目的なのだろう、きっとそうに違いない。私が可愛すぎるばっかりにこんなことになるなんて。


(まだ何もされてないよね?)


 体調はばっちりで変わった様子はない。少しお腹が空いてる気もするけど、それ以外は至って普通だ。初めての後は痛くて歩くのも辛いってキャサリンも言ってたし、何ともないってことはまだ無事ってことだよね、うん。


 でも裸は見られてしまったし、もしかしたら触られたかもしれない。眠っている美少女を好き放題視姦して猥褻行為に及んだということだ。許すわけにはいかない。


 知らない場所で目覚めて不安や恐怖もあったが、そう考えると強い怒りが湧いてきた。


「よし、ぶっとばす。決定。」


 冷静に決意を口にしながら、それを実行に移すのに必要なものを確認するために私は自分の手を確認した。そこに指輪は嵌っていないが、感触は確かにある。


(指輪を透明にしておいてよかったー。もしかしたら盗まれたかもしれないもんね。)


 透明化の魔法を解除すると指輪が姿を現した。光って目立つからと思い、指輪にだけは魔法を継続して掛けておいたのだ。最も指輪を取ろうとしたら気分を悪くするだろうから大丈夫だったとは思う。


 あぁ、でも私のように指輪に触れる人の可能性もあるか。うん、消しといてよかった。


 さて、まずはこの部屋から出なきゃ。とりあえずこのチェストの中は…うん、空っぽだね。窓から飛び降りるのは…怪我しそうだからやめておこう。


「んー…どうしようかな?」


―――――――――――――――――――――――――――――――


 同時刻、古い洋館の一階ではソフィアを寝室に幽閉した犯人の一人であるヤン、その他5人の男たちが部屋の所々に座していた。部屋は広く、大の男が6人いても走り回れるだけの余裕がある。


 そして今、玄関の扉が開き一人の男が入ってきた。それを確認すると部屋にいた6人は立ち上がり、その男を迎え入れる。


「「お疲れ様です!」」


「あぁ、ご苦労。クスリの仕分けは済んだか?」


 頭を下げる6人に片手を挙げて答えると、迎え入れられた男は作業の進捗を訪ねる。それに応えたのはヤンだ。


「へい、指示通りに。」


「そうか。ボスは明日の夜に持ってこいとのことだ。つーわけで、イツィリだけ残して今晩中にここを出るぞ。」


「それはわかりやしたが…あの女はどうするんで?」


「あぁ、ついでに連れてくとしよう。ロイド人はアブールよりもユールの方が価値が高いからな。…パウロ、とりあえずクスリ打ってこい。」


 男はヤンに対してパウロと呼称したが、名前を間違えた訳ではない。パウロというのがヤンの本当の名前である。ヤンという名前も、この男がソフィアに名乗ったマーフィーという名前も偽名である。


 この男の名前はアントニオ・ムーア。ユール地方に古くから根付いているマフィアの幹部である。マーフィー改めアントニオの指示を聞き、ヤン改めパウロが鼻息荒く返事をする。


「へい!ついでにやっちゃっても?」


「好きにしろ。ただ、ゆっくりはしてられねぇからさっさと済ませるんだな。」


「ハハハ!おいパウロ、お前ぇ得意じゃねぇかよ!」


「違ぇねえ!適任だぜ!」


 話を聞いていた他のマフィア構成員が色めき立つ。パウロは「へへへ…」と苦笑いを浮かべながら壁に掛けてあった寝室の鍵を取り、二階へ向かう。クスリの方は既にポケットの中に準備してある。


 一階に残っているのは現在6人。彼らの名前はそれぞれアントニオ、ヒース、フーバー、ミーシェル、ヨーウィー、イツィリという。先ほどパウロをからかった二人はヒースとフーバーである。


「ヒース、フーバー、ミーシェルは仕訳けた薬を車に積んで来い。ほら、鍵だ。」


「了解しやした。」


 アントニオの指示を聞き、放り投げられた車の鍵をキャッチしたヒースは部屋の隅に置いてあったスーツケースをいくつか抱え、3人で玄関から出て行った。


「ヨーウィーは武器庫の中身をまとめろ。銃も一式持ってく。」


「ういっす。」


 ヨーウィーは壁に掛かっている武器庫の鍵を取ると一回奥の部屋へ消えていった。


「イツィリ、メシの用意。酒はナシだ。」


―ゴトン


 ふいに何かの音がした。その音に気付いた二人は揃って上を見上げる。何かが床に落ちるような音は二階から聞こえてきたようだ。


「パウロか?…でも寝室は防音だったよな。」


「ドアも閉めずに盛ってやがるんじゃないですかね。夕食の支度する前にちょっと見てきます。」


「あぁ、わかった。」


 イツィリは椅子からひょいと立ち上がると階段を上がり二階へと向かい、一階にはアントニオだけが残る。


「おい!どうした!!」


 一階からでもわかるような大きな声で様子を見にいったイツィリが叫んだ。それを聞いてアントニオは懐に入れてあった拳銃を取り出す。


「…うわっ!何だァ!?」


 再び叫び声をあげたイツィリはすぐにどたどたと階段を駆け下りて来た。


「おい、どうした?」


 一階に戻り、息を乱しながら後方を確認しているイツィリにアントニオが何事かと尋ねる。


「パ、パウロのやつが寝室の前で倒れてたんで、どうしたのか確認しようと近づいたんですけど…誰かに腕を掴まれて…?」


「そいつは誰だ?拾ってきた女か?」


「いえ、それが…。」


 イツィリは少し戸惑いながらも答える。


「誰もいなかったんです。…もしかしたら俺の勘違いだったのかもしれません。」


 勘違いと言いつつも捕まれた感触はまだ記憶に新しく、気のせいと考えるのは難しかった。


「おい、誰もいなかったってことは無ぇだろ。寝室の女はどうした?」


「…そういえば、見てないです。」


 部屋の前でパウロが倒れ込むような何かが起こったにも関わらず、女が何の反応も示さないのはおかしい。考えられるのは女もまた意識がない状態であるか、或いはその女の仕業であるかのどちらかであろう。


「よし、こいつを貸してやる。もう一度見てこい。」


 アントニオは持っていた拳銃をイツィリに渡し、再度状況を確認するように指示した。


「わ、わかりました。」


 イツィリが銃を構えながら再び階段を上り始めると同時に、ヒース、フーバー、ミーシェルの3人が車に荷物を積み終え戻ってきた。


「積んできやした。…どうかしたんで?」


 何も知らない3人はアントニオが何かに警戒している様子を感じ取り、尋ねる。


「いや、パウロが2階で倒れてたみたいでな。今イツィリに…」


「うぐっ…!!」


 最後に入室し、玄関を施錠していたミーシェルが突然うめき声をあげて膝をついた。


「おい!どうした!?」


 フーバーが駆け寄るが、ミーシェルは左手を床に着き苦しんでいる。そして数秒の後に意識を完全に失って倒れ込んだ。


「あ…がっ!」


 男たちが突然の出来事に呆然としている中、今度はフーバーが苦しみ始める。ミーシェルと同様に床に膝をついたが、彼は背筋を伸ばして首元に手をあてている。まるで誰かに首を絞められているかのようである。


「おい、フーバー!」


 ヒースが駆け寄ると、フーバーは拘束から逃れたように床に倒れ込んだ。意識は辛うじてまだあるようだ。


「待て、ヒース!」


 アントニオに腕を掴まれて静止したヒースの目の前を椅子が横切り、大きな音を立てて壁に激突した。


「ちっ…誰だ!?」


 咄嗟に椅子が飛んできた方向に叫ぶが、そこには誰もいない。


「ヒース、俺も信じがたいんだが…椅子が勝手に持ち上がって飛んでいった。」


「なっ…マジですかい?」


 アントニオが見ていた光景を話すが、自分でも言っていておかしな話だと思っていた。


「フーバー、意識はあるか?」


 アントニオが不意打ちを警戒して慎重にフーバーに近づき声を掛けたが、ほんの数秒の間に気を失ってしまったようだ。


「何事っすか?」


 騒ぎを聞きつけて武器庫から戻ってきたヨーウィーが顔を出した。その手には拳銃が握られている。


「おい、お前ら…。」


 倒れているフーバーとミーシェルを一瞥して今までの状況を思い返しながらアントニオは部下たちに声を掛けた。


「…この部屋に幽霊か透明人間がいると思え。」

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